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大正生まれの男性で背が高いといえば何cm以上ですか?170くらいでしょうか?

A 回答 (3件)

1910年(明治43年)の20歳男子の平均身長は161.3㎝、


1920年(大正09年)の20歳男子の平均身長は162.1㎝
です。
https://konisimple.hateblo.jp/entry/20110307/129 …

したがって、当時背丈170㎝の男と云えば数字の上では背が高かった
ことに成ります。

しかし、当時の人がその人を「背の高い人」と呼んでいたかは
はなはだ疑問です。
大正02年生まれの父の背丈は167㎝程度でしたが、特に背が高いとは
認識されていませんでした。1902年(明治35年)以前に生まれた祖父は
170㎝程有りましたが、周囲から「背が高い人」とは言われていません
でした。

ある人を見て「背の高い人だ」と感じるのは、数字上の差+そういう人の
出現頻度が関係していると思います。これを考えてみます。
現在の若い人の平均身長は172.1㎝で、伸長のバラツキが正規分布と
した場合の標準偏差σは5.6です。
https://konisimple.hateblo.jp/entry/20110307/129 …

これの意味するのは、172.1±5.6㎝の範囲の間に68%の人が入り(σ区間)、
172.1±11.2㎝の間に95%の人が入る(2σ区間)事です。
2σ区間の場合、172.1+11.2=183.3㎝以上の背丈の人は、5÷2=2.5%、
つまり、100人に2、3人ですから、誰もが「あの人背が高いな」と
思います。

これを念頭に、大正09年の平均身長を162㎝で標準偏差が5.5として頻度を
見てみると、当時167.5㎝以上の人は32÷2=16%程度居た事になります。
168㎝以上なら「背が高かった人」と言えるでしょう。
父が特に背の高い人とは認識されていなかったのは当然としても、明治の
祖父でさえも誰もが認める「背の高い人」では無かったのですから驚き
です。認識のグレーゾーンでしょうか。
2σなら173㎝ですから、誰もが認める「背の高い人」だったでしょう。
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私の父は大正生まれで身長が165cmでした。


当時はかなり背が高かったようです。

ンo1の方がおっしゃられてように、徴兵検査で甲種合格になって、満州事変と第二次世界大戦と
二回召集をうけましたね。

特に二回目では南方の戦場に送られて200人中生き残ったのは20人でした。
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当時の男性の平均身長は160cmだそうです。



170cmなら充分に高身長ですね。

170cmもあったら、戦争で徴兵されやすく、生き残るのは難しかったそうです。
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