従来、拘束は自由を制限する行為です。しかし、拘束が危険を未然に防ぐということから、自由と考えあわせると、拘束されていることは安全で、結果的に拘束が自由にするとの解釈も可能だと思います。
また、精神的な拘束(言論、宗教、思想など)の場合は、逆に自由が際限なく奪われるように思います。しかし、時にはそうした拘束という状態が精神的な集中をもたらし、思ってもみなかった発想やアイデアの源になるようなこともあります。
また、もっと広い視野で見ると世の中は、拘束というものの度合いがだんだん大きくなっているような気配もあります。拘束と自由について、どのように思われますか?
No.13ベストアンサー
- 回答日時:
★(補足欄) 車の両輪に例えると、拘束と自由は二つ揃ってはじめて機能
するもの、と言えるかもしれません。
☆ いいえ。 しかるべき条件のもとに拘束が成り立つのは そのことより
広い範囲の全体としての自由をまもるためのことでしょう。
拘束のために拘束をすることは 不法行為においてでなければ ありません。
引力は――自然環界における自然法則は―― 拘束という人為的な行為によ
って起きることがらとは まったく別の話です。生まれながらにしてすでに
成り立っていることがらは 人間にとってあくまでも与件です。
第二の自然として 人間が社会的動物であることも 与件でしょう。社会と
いうことの制約も その前提の上で 自由が無条件において想定されている
という問題です。
★ 拘束を自主的に解除する自由も、私たちは持ち合わせています。
☆ 必要がなくなったら解除できるし するんだという拘束は もともとの
全体としての自由という基礎の上でおこなわれるただの仮りの現象です。
めちゃくちゃな議論が横行しています。
○ 完全な自由だとなるとひとは何をするか分からなくなる。
☆ といった議論もありました。
完全な自由をかかげていとなまれる社会と
拘束が必要なら自由と同じほどに必要とされ敷かれている社会と。
どちらが 暴走や不法行為がより多く起こりますか?
せいぜい同じ程度において秩序がみだされる――と推測されますまいか。
けれども 昔のほうが道徳がさけばれ 戒律がそれなりにきびしかった。
なら その時代のほうが 秩序立った社会がいとなまれていた・・・か?
道徳による治安や秩序維持は 何にもならないのです。
もっとも日本社会は 理念をかかげるのでは必ずしもなく クウキによっ
て 〔既存の〕秩序を維持しようとします。同調圧力です。
規律――哲学的な倫理規範――によるか。それとも きわめてあいまいな
雰囲気によって行動や思想をもしめつけるか。いづれの拘束も それに反
抗する暴走を惹き出すことがあります。
ただし 後者の場合には 前者にくらべると テロなどの凶行に走る事例
がまだ限られていて むしろ内向的になりメンタルな病いに落ち入ること
になります。
他人(ひと)に迷惑をかけないようにという明示的な規範もあって これ
が効いているのでしょう。
もっと自由に もっともっと自由に もっともっともっと自由に!
すみません。今、頭がこんがらがっています。
少し時間をいただけますか?
なぜ、この質問をしたかと言いますと
今、現実にかかわっている
問題があるからです。
整理する時間をください。
No.15
- 回答日時:
蛇の足ですが。
自由は 無条件に無根拠にてよきものとしていだかれています。
拘束は・つまり不自由は 自由の実現のために・また侵された自由を
取り戻すために用いられる手段です。
言いかえると 自由は無条件の自由ゆえに その自由度が むしろお
のれのであれ他人のであれ 自由(具体的には意志と心)を奪ったり
踏みにじったりする負の自由にもおよびます。
拘束のために拘束するひどいヤカラとて――それは ヘンな自由度に
なりますが―― 自由を謳歌しています。
*
観想としては:
▲ わたしは 真理であり 道であり 生命である。
▲ 真理は きみたちを自由にする。
現実の社会と生活では:
○ 自由は 人間であることのつつましやかなほこりである。
○ 削除され得ない。世の中が 思うようにならないとしてもである。
○ 自由が必ずしも実現されないのは 自由をはき違えている負の自
由をも 自由が大きく包み容れているゆえである。
○ 自由は 必要以上に不自由ないし負の自由を拘束しないからであ
る。
○ 自力救済を 基本として つつしむようにとムッシュー(または
マダム)自由は 考えている。
(議論の余地をのこすところでしょうが)。
No.14
- 回答日時:
キャラさん、深夜ですが
こんばんは❀
なるほど*・゜゚・*:.。..。.・*❀
自由と拘束の関係性は
人間だけでなく他の生命にも
自由と拘束の面白い関係がありそうな気がしました
これは生命維持活動の一環なのでしょうか
少し想像してみました.。..。.❀
確かに人間社会においては
ある者の自由がある者の自由を奪ってしまう場合には
両者をはかりにかけて、どちらかに一定の制約を課します
これも社会が成り立っているうえでは
生きていくためには必要なことかと存じます
そして植物と動物においても自由と拘束が
関係していそうな気がします
現在の陸上植物は海中の緑藻類から進化した
種族の末裔であるといわれますが
当然、陸上植物には移動できる(=自由な)種族は
一つもないです(知る限りにおいては)
しかし陸上植物の祖先の緑藻類には、自ら海中を移動できる
種族も存在しましたし、現在においても緑藻類の一種には
移動能力を持つものも存在したりします
それらが何億年も前から生命維持活動の一環として進化を遂げ
当然ながら、松や梅、稲などのほうが緑藻類よりも
遥かに進化した種族となり、これは生命活動の拡張のためなのか
自由から拘束への進化ですかね
またその陸上植物(拘束)と動物(自由)の関係性として
例えば、アカシアの仲間などはキリンなどの侵略者に襲われると
苦い物質(タンニン)を生産し食べられないようにすると同時に
防御策としてフェロモンのような揮発性の化学物質を放出して、
周囲の仲間に教え、その仲間たちもタンニンを生産します
キリンは食べ始めるとこの植物がおいしくなくなることを知っているために
遠くの植物を食べるために移動します
この化学的警戒信号を出すのも、植物同士のコミュニケーションです
これは拘束されているものが自由度の高い侵略者から身を守るために
能力を発揮しているようにも思えます
また、ハダニがキュウリの葉肉を食べ始めると、
キュウリの葉はハダニの天敵に助けを叫び(揮発性の化学物質を放出し)、
この叫びを嗅ぎつけてハダニハンター達はまっしぐらにやってきて
ハダニを捕食したり、
またいくつかの植物においてもイモムシに食べられ始めると
急いでこの化学物質を出してハンター蜂に助けてもらったりなど
これは植物(拘束)と動物(自由)の立派なコミュニケーションであり、
自由と拘束のコラボレーションです
なので生命たちは生きていくために自由と拘束をうまくコラボさせて
生命維持活動を行っているのかとも思いました❀*・゜゚・*gratias❀
ラヴさん、回答をありがとうございます^_^
まったくそのとおりですよ。動けない植物が生き残るために、動物に対抗しようと思ったら、自分を守る薬と攻撃する毒を作るより方法がありません。恐竜も氷河期の寒さによって絶滅したとされていますが、実は、彼らが常食していた植物が、食べられないために微量の毒を生産するようになって、恐竜はそれを食べることで少しずつ少しずつ弱っていき、氷河期の寒さに耐えられず絶滅してしまったのだそうです。キリンとアカシアの話を見て、思い出しました。
動物が植物を拘束し、植物はその拘束に立ち向かい自由を得るために、自ら身を守る。
そうだとすると、現代においても同じことが成り立つかもしれません。
私たちが食べる野菜、今や、F1、遺伝子組み換え、ゲノム編集。品種改良が大規模にすすめられ、在来種のものは捜すのも大変です。確かにこれらの技術によって、野菜や穀物の生産は飛躍的に伸び、また将来も食糧増産になくてはならぬものとして、バイオテクノロジーは進歩をし続けています。しかし、植物自身はどうなのでしょうか。彼らには自由というものはないのでしょうか。これらの技術は、人間が恩恵を受けるために行使されていて、植物にとったら拘束になると思います。実際、在来種の自然栽培の野菜や穀物には力があります。
拘束と自由を考える意味で、人間にとどまらず動物、植物との関係を考えていくことも、とても大切な視点であると思いました。これからは共存ということが、ますます大きなキーワードになっていくと思います。共存は自由を前提にしたあり方だと思います。拘束を一方的に推し進めると何らかの弊害が起こると思います。
No.12
- 回答日時:
ダーウィン『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。』これは、人間とはホモサピエンスの中から幼い者が生き残ってきたことを意味しています。
幼ければ仲間と協力して集団を作らなければ生きていけません。
集団の中では規則ができたでしょう。規則は仲間の活動を制約しました。
また、幼ければ脳が柔軟なので自由な発想ができて、閃きや良いアイデアが生まれました。
他の仲間も、それを共有できました。
拘束と自由とは、進化(幼い者が生き残った)を説明することができる証拠ですね。
馬鹿と利巧とは、幼い者のことでしょう。
ありがとうございます。
変化できる者は幼い者である。
つまり、固定観念がないので
世の中のめまぐるしい変化に順応できる
ということですね。
拘束にも自由にも、柔軟に対応できる
ということでしょうか。
No.11
- 回答日時:
寄せられた回答と、キャラウェイさんの応答を見ての、思いつきです。
「真の精神的自由は、自身に依る適度な肉体の拘束によってのみ、得ることができる」
ちょっと、かっこいい“格言”になると思いませんか?
なるほど。自身による拘束。新しい考え方ですね。
これはたぶん、自分の中に
緊張と弛緩があって
バランスを保っている感じでしょうか。
ギターの弦もそうですね。
きれいな音色を出すためには
使わないときは弦を緩めておく。
少し意味が違うかもしれませんが・・。
No.9
- 回答日時:
文春6月号、新連載第《玉三郎かく語りき》第1回。
「人間は、常に何らかに縛られている。きちんと座っていなくてはならないなどの小さなことはもちろん、社会のしがらみにもがくとか、日本という国から抜け出せない等。それは、肉体的、現実的な縛りです。本当は、魂は自由なはずなんですが、日々の拘束によって魂も縛られていく。そこから一瞬飛躍するというか、飛ぶ、あるいは飛ぶことによって解放される。舞踊とは、ある種の引力からの解放なんです。」
「 」の中は、玉三郎の言葉として紹介されています。
拘束がもたらす結果に、自由と云う言葉を当て嵌められるのだろうか?という疑問が残りました。
もし、あるとしたらそれは付録のようなものではないでしょうか。
自由を得るため、守るため?
自由は拘束によって得られるもの?
玉三郎は、ある種の引力からの解放されるために舞踊するらしい。
その舞踊は、拘束だらけだというのに!
☆ 考えるのは楽しい。
拘束というのは、幾重にも積み重なって
人間の上にかぶさっているものなんでしょうか。
そういうことを感じました。
もしかすると、拘束は錨のようなものかもしれませんね。
錨があってはじめて人間は人間たり得る。
錨がないと、港という安息にやすらぐことはできない
のではないかと思いました。
No.8
- 回答日時:
拘束は 不法行為です。
意志と心とをないがしろにするからです。自由と同じ世界観における同じ次元で 成り立つものではありません。
もし そうではなく意味が対立するだけで 互いに相対的な価値の次
元に置かれている概念であるとしましょう。そうすると 次のような
論理が通ることになりましょう。
▲ 〔ヰキぺ:ポア (オウム真理教)〕 ~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2 …
§ 1 概要
△ (麻原彰晃 1989年) 例えば、Aさんという人がいて、Aさんは生ま
れて功徳を積んでいたが慢が生じてきて、この後悪業を積み、寿命尽きるこ
ろには地獄に堕ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうという条件があ
ったとしましょう。
このAさんを、成就者が殺したら、Aさんは天界へ生まれ変わる。(略)
すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ堕ちてしまう。
ここで、例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え、ポアさせた。
この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか、殺生ですか、それ
とも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますか。
人間的な客観的な見方をするならば、これは殺生です。しかし、ヴァジラヤ
ーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。
そして、智慧ある人─ここで大切なのは智慧なんだよ。─智慧ある人がこの
現象を見るならば、この殺された人、殺した人、共に利益を得たと見ます。
ところが、智慧のない人、凡夫の状態でこれを見たならば『あの人は殺人者』
と見ます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 自由は――その意志自由の基体を成す生命存在は―― 無条件で無根拠
にてとうといものであると〔公理として〕捉えられています。
拘束は 一定の条件のもとに〔だけ〕成り立ちます。
全体としての自由をまもるためです。
ありがとうございます。
拘束と自由は同じ世界観における同じ次元で成り立つものではないのですね。
拘束は、一定の条件のもとにだけ成り立ち、自由は無条件で無根拠にてとうといものである。この「自由は無条件で無根拠にてとうといものである」とは、人間としての福音なのでしょうね。そうであるならば、拘束というのは、不法行為だということに納得がいきます。人間として自由に生きる権利は、生きていく上で、ほとんど例外なく行使して差し支えないのですね。
No.6
- 回答日時:
拘束はルールやマナー、道徳や規範といったもので決して自由の反存在ではないと私は考えています。
これらの拘束がない自由はとても幼稚で野蛮になるからです。
いわば帯やベルトのようなものだと言えばわかりやすいでしょう。
緩すぎれば履物はずれ落ち、きつくしすぎれば圧迫され苦しくなる。
適度なバランスを保てば、人は下半身丸出しのおバカでも、内臓圧迫で苦しむ事もありません。
ありがとうございます。
なるほど。拘束は自由の反存在ではないということですね。
拘束と自由は持ちつ持たれつの存在なのでしょうか。
拘束のない場合の自由は、無法地帯のようなもので
自由でありながら不自由なあり方を強いられる
ということでしょうか。
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皆様の回答から、拘束というものは生きていく上で、案外必要なものであり、いろいろな意味での拘束が自由と何らかの関わりがあるのではないかと推測できました。
拘束は自由を制限するものですが、同時に秩序、ルールやマナー、道徳や規範といった、社会生活を円滑にするものに置き換えられます。
また、帯やシートベルトといった安全を意味する道具であるとも言えます。
しかし、拘束というものは一定の条件を除いては、基本的に不法行為に値するというご意見もありました。これは拘束という性質上、妥当な考え方です。
また、少し興味深い事例として、拘束を引力としてとらえたご意見もありました。
私たちは生きている限り、地球の引力から逃れられないわけですが、そうすると拘束というものも、人間が生きていく限り、常に存在するものと言えるかもしれません。
車の両輪に例えると、拘束と自由は二つ揃ってはじめて機能するもの、と言えるかもしれません。
最後に、もうひとつ。
拘束を自主的に解除する自由も、私たちは持ち合わせています。
このことは非常に重要なことと思いました。
私の見解は少し、というか大幅に間違っていたのではないか、と思いました。
>社会ということの制約も その前提の上で 自由が無条件において想定されている
>拘束のために拘束をすることは 不法行為においてでなければ ありません。
自由というのは、自分が考えている以上に大きく広いものではないかと考え直しました。まだ考えている途中ですが、たぶん、今の世の中において、拘束というものがあまりに強いために、自由に対する感覚が鈍っているのかもしれませんね。檻の中で飼われている鳥のように、これが世界だと思っている。
>もっと自由に もっともっと自由に もっともっともっと自由に!
目の前に広がる青い空が、自由を暗示しているのでしょうか。