
一応、下記の続きです。
【〜てはある・いる】の質問です。その2
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11168941.html
本題から外れるコメントが多くて、コメント数が30を超えてしまいました。
一部、何がなんだかわからないところもあります。
まず、「その2」で聞いて、関連コメントがほとんどなかった質問に関して。
「て」を「確認の助動詞」としている辞書類(国語辞典がありがたいのですが、文法辞典でも構いません)をご存じのかたがいらっしゃいましたら、教えてください。
いろいろ見ても、こんな記述は見当たりません。
「その2」でNo.4のかたが下記のように答えてくださいました。
===========引用開始
「て」古 助詞[接続助詞]
接続助詞の「て」は、いわゆる「完了」の助動詞「つ」の連用形「て」が助動詞としての一般的な機能から、助詞的な機能に転じたところに成立したとみられる。山田孝雄のように、接続助詞としての「て」を認めず、「つ」の連用形「て」として、「用法極めて広く、単に決定の意をあらはして、殆ど単独に『つ』の意義を離れて使用せらるる傾向あり」(『日本文法講義』)とする考え方もあるが、上代の文献に、すでに、「完了」の助動詞「つ」の連用形として説くのが無理な、次のような「て」の用法があることから、「接続助詞」の「て」が認められている。(以下長文のため省略)
『日本文法大辞典』(この項の筆者・西田直敏)
この引用からわかるように、「接続助詞」ではなく、「完了の『つ』の連用形」と考えることもあるようです。もちろん、これは古語の話で、「現代語」では接続助詞とみられているようです。
完了即確認と言うことですね。(今でも「た」を「確認」と言う人があります)勿論、私は「接続助詞」説です。===========引用終了
貴重な情報ですが、これは古語の話で、現代語にあてはまるとは思えません。
関連してもうひとつ。
↑の「その2」でも近い話題があったのですが……。
助詞の「ハ」の働きを「特殊性の認識」としている辞書類(国語辞典がありがたいのですが、文法辞典でも構いません)をご存じのかたがいらっしゃいましたら、教えてください。
これも見当たりません。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
一部だけ取り出して云々するのは、控えねばなりません。
しかし、一冊の本を読みなさいと答えるのも、みょうなものです。次のような文を引用することで、回答に替えます。以下引用………
『「は」には特殊性を扱う場合と普遍性を扱う場合と二種類の使い方があるという重要な事実』
『すでに江戸時代の学者は、「は」が他の<助詞>と性質がちがうことに、気づいていました。彼らはこれを<係助詞>の中に入れ、明治の山田氏の文法論もこの分類を支持しました。しかし山田氏は、「は」は「その意排他的にして」と特殊性を扱う場合の「は」が<係助詞>なのだと考えていましたし、この考えかたは現在の学校文法にも影響をおよぼすことになりました。教科書では、「が」は<格助詞>で「は」は<係助詞>だと説明し、「は」が普遍性を扱う場合を<係助詞>の「は」の特殊な使いかたであるかのように解釈しています。けれどもよく検討してみると、学校文法のいうのとは反対に、普遍性を扱う場合の「は」が実は<係助詞>の本来のありかたなので、特殊性を扱う場合の「は」は <副助詞>の中に入れるのが妥当であると、考えられてくるのです。』
以上の引用は、三浦つとむ著「日本語はどういう言語か」(p191~p196)より部分的に引用。
コメントありがとうございます。
「辞書類」はないのですね。
ご存じなのは、三浦つとむ著「日本語はどういう言語か」ですね。
ちなみに OKATさんは、この説をどう思いますか。
No.6
- 回答日時:
>>多くの辞書に書いてあることを信用するのが「盲信」だとします。
それを否定して三浦つとむ氏の書いていることを信用するのはなんなのでしょう。
この、あれか、これかの単細胞的な発想が質問者の発想の根底にあります。
<多くの辞書に書いてあることを信用するのが「盲信」だとします。>
<多くの辞書に書いてあることを信用するのが「盲信」>ではなく、無批判に辞書を引用するのが盲信で、辞書は単に結果を記しているに過ぎません。
それがどのような言語観、論理に基づき導かれているかを吟味することが重要です。そうした、根底を見ることなく結果だけを弄ぶのでは、そこにあるパラダイムの限界、誤りを超えることはできません。
当方が、三浦つとむ氏の書いていることを信用するのは、それを支えている論理、事実認識がギリシャ以来の哲学の止揚の上に、ヘーゲル以降の唯物弁証法の論理に従い、時枝誠記が述べている「凡そ真の学問的方法の確立或いは理論の帰納ということは、対象の考察から生まれてくるべき」(『国語学原論』第1編 総論)という対象である言語を正しく捉えたものとの判断によるもので、既存の辞書類の取捨選択などというな卑小な技に付くものではありません。■
No.5
- 回答日時:
>>特殊な考え方をムヤミにホニャララされると非常に迷惑な気がします。
>>日本語の初級者の質問に対して特殊な考え方を押し付けるのは……。
自己の理解力の無さを棚に挙げ、「特殊な考え方」とするのはいただけません。
特殊な考え方ではなく、論理的な正しい考え方なので、初級者にこそきちんと説明し、現在の不明瞭な機能的/形式主義的な説明の誤りを正すべきです。
それが証拠に「は」と「が」は学習者の難関となっており、質問者も辞書類の説明を捏ね合わせた混乱するしかない意味不明な解説を飽きもせずに記している現状が実態を如実に示しています。
無智が栄えたためしはありません。■
No.4
- 回答日時:
>ちなみに OKATさんは、この説をどう思いますか。
この方が信頼していらっしゃる(敢えて誰かさんのように盲信とまでは言いません)説なので。言語過程説は哲学者の三浦氏に受け継がれ、文芸評論家の吉本隆明に支持されましたが、どのような方々がそれを発展させられたのでしょう。アスナロウさんもそのお一人なのでしょうか。時枝氏が後継者として期待された、松村明氏は、古典文法の世界に入り込んでしまわれて、「日本文法大辞典」「大辞林」「大辞泉」などの辞書の出版に努力されました。それほど詳しくない世界ですから、批判などもっての外です。
このかたの思想ですから、それはそれで構わない気もします。
ただ、一般的な考え方とは相当離れている気がします。
そういう特殊な考え方をムヤミにホニャララされると非常に迷惑な気がします。
研究の場でなら「どうぞご自由に」と思いますが、日本語の初級者の質問に対して特殊な考え方を押し付けるのは……。
No.3
- 回答日時:
なお、質問者は辞典、辞書を盲信されているようですが、「現在の辞典編纂者は、文法を研究して自説を立ている学者ではない。
現在の出版社は、学生の要求に応じて辞典をつくるのであるから、学校で教えている文法の規定に従うことが営業上必要である。権威ある出版社が収録語数の多い厚い辞典を出しているからといって、明治のはじめにくらべてヨリ優秀な辞典だということにはならない。」(三浦つとむ『認識と言語の理論 第三部』107p注)のが現状なので、辞典、辞書を盲信することなく、対象の真実と取り組み自分の頭で考えなければなりません。日本語の非母語話者を対象とした日本語教育文法による辞典・辞書の類は橋本文法ではなく、寺村秀夫、仁田義雄、益岡隆志らの新記述文法に依拠し記述されていますが、これら形式主義的な言語論に基づく解説がどのようなレベルであるかは、今井幹夫が40年以上日本語を教えて来た経験に基づき、『非常識の日本語―三浦つとむ言語論による日本語解明―』(株式会社 日本評論社)で、下記の辞典類他を俎上に挙げ具体的に解説しています。
『日本語文型辞典』(くろしお出版)
『知らないと恥をかく「敬語」』(浅田秀子著、講談社)
『基礎日本語』(森田良行、角川書店)
『日本語類義表現の文法』(宮島達夫・仁田義雄編、くろしお出版)
『理想の国語辞典』(国広哲弥、大修館書店)
『日本語の類義表現辞典』(森田良行著、東京堂出版)
質問者は、辞典・辞書類の形式主義、機能主義的な文法論に振り回され、この著者が「まさにレーニンではないけれども、熱いかゆの釜のまわりを回っているネコのようなものです」と評する状態といえます。
これでは、これまでの実績が示すように、せっかくの論理的な回答を理解できずに何度も類似の質問を繰り返し、蒸し返すしかなくなります。
まずは、他の回答者も示されている三浦つとむ著『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)をじっくり読解し、真に科学的、論理的な言語論、文法論の基礎を理解されることをお薦めします。■
No.2
- 回答日時:
先に下記のように回答した通りですが、これは『日本語の文法』(三浦つとむ著:勁草書房)の第八章「<助動詞>の特徴をめぐる諸問題」の「三 <接尾語>の「て」と<助動詞>の「て」」の一部を要約したもので、詳しくは同書を参照下さい。
「て」を接続助詞とするのは学校文法ですが、この誤りの根源は大槻文彦が『語法指南』で「春過ぎ≪て≫夏来たるらし」などの例を掲げて、「此語ハ、過去ノ助動詞ノ≪つ≫ノ第五変化ナル≪て≫ナレド、稍赴ヲ変ズル所アリテ、接続詞ノ如クニ用ヰラルレバ、別ニ掲ゲテ、手爾波ニ列ネタリ 。」と第三類の<てにをは>すなわち<接続助詞>に入れたところにあり、以来これが定説となったものです。
これに対し、山田孝雄は動詞に加えられる「て」をすべて、<複語尾>と見て大槻の<接続助詞>説を批判しています。
これは、国学の冨士谷成章・富樫広䕃の見解を引き継ぐもので、冨士谷は「し」「めり」「なり」等とともに「て」を<身>に入れています。すなわち「て」を<助動詞>の一種と見ています。富樫広陰は<動辞>と<青辞>とを分離し扱っていますが、彼も「て」を動辞に入れ、これまた<助動詞>の一種と見ていました。
このように、「て」は助詞ではなく確認の助動詞で、「待っていて」「座っていて」などの「て」は「待つ」「座る」を「て」で確認し、さらに継続の「いる」を「て」で確認する表現です。■
コメントありがとうございます。
「下記」とあるのは、「その2」のNo.2のことですよね。
そう書かれても、信用してよいのかわからないので、「辞書類」と限定したのですが。
「辞書類」にはそういう記述はないのですね。承知しました。
「盲信」ですか。そうかもしれませんね。ただ、当方は辞書の記述に関してかなり否定的なことも書いています。
多くの辞書に書いてあることを信用するのが「盲信」だとします。
それを否定して三浦つとむ氏の書いていることを信用するのはなんなのでしょう。
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