とっておきの手土産を教えて

A: 普遍神っていうのは あるかも知れないけれど これが普遍神だって言う
主張はおかしくないか?

B: そうだ そうだ。それぞれわが神なんてのは おのおの自由にえらんでい
だいていればいい。それが 普遍神だ。

C: ただ それでは 何でもかんでも神になっちゃわないか? 無い神も神か?

D: いや。無い神は 神だよ。普遍神というのなら 信教・良心の自由が 大前
提だ。

E: だけど ふざけた神でもいいのか? たとえば ポアの思想をゆるす神。

F: たしかに。あのニーチェの阿呆が 復讐のためなら人殺しもゆるすと説くデ
ィオニュソスの神をたたえた。ゆるされることではない。

G: まぁ。ただ ニーチェもあとで それは引っ込めたらしいから。

H: ぢゃあ まったく自由ってことか?

A 回答 (5件)

お返事ありがとうございました。



貴殿の解釈、そのとおり私の思っていることを別の表現から説明してもらえています。

このスレッドの直接の応えでないのに、真摯にお返事いただけたご容赦に感謝申し上げます。
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この回答へのお礼

いえいえ。そんなに言ってもらうと 恐縮します。

あるいは わたしは誘導されたかも知れませんね。



質疑応答も いいものですね。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/06/29 15:59

こんにちは、お久しぶりです。



いつも、よく思うんですよね。
こういう禅問答のような、どうでもいい、かつ、貴重な問いは、
その答えに意味があるんでなくって、その問いをしなければいけなくなった、問うてみるしかなかった、
人々の気持ちにこそ、普遍性があるんでしょうね、って。

「「どうして」を問うんだ?」の、「どうして」、です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
こんにちは ようこそ。


★ いつも、よく思うんですよね。
★ こういう禅問答のような、どうでもいい、かつ、貴重な問い
☆ なんですね。――たぶん 神は非知ですから そういう気配は
つねにあるかも知れないですね。


★ こういう問い・・・は、
その答えに意味があるんでなくって、その問いをしなければいけな
くなった、問うてみるしかなかった、
人々の気持ちにこそ、普遍性があるんでしょうね、って。
☆ ですか。つまり:

★ 「「どうして」を問うんだ?」の、「どうして」、です。
☆ 言いかえると――ちょっと筋を外すかも知れませんが―― 《な
ぜ 神を問うんだ?》に対して 《いやいや 神について問うのに
なぜ〈なぜ?〉と問うんだ?》というようなナゼのあり方・・・で
しょうか?

要するに 答えのほうに意味を見出すよりも 問う姿勢やその背景
事情に重心があるんだと。

その姿勢や事情には 普遍性が――何となくでも――あるんだと。



思うにですが 思うにそういった人間の側に普遍的な楽屋事情があ
るとしたら そこで問いから消えず取り上げざるを得なくなってい
る神には 何らかの普遍性がある・・・のかも知れないですね。


ちょっと まじめに問いに向き合っていますが表現としては茶化し
た恰好になったかも知れません。

何かありましたら またいつでもどうぞ。お待ちしております。

お礼日時:2019/06/29 15:34

コメントをありがとうございます。



>《人間や世界を造った神》というのは、人間がそのように表現しているに過ぎないという側面があります。
こうなってくると、私はお手上げ状態になります。

神が人間をつくる。人間が神をつくる。これらは言葉の意味どおりではないんでしょうか。
このようにただ、人間が表現しているだけで、実際はどうなのかわからないとしたら、私たちは単なる言葉の遊びをしているに過ぎないと思うのですが、どうでしょうか。
言葉で表現することが、主観に過ぎず、真実ではないかもしれない。ということですよね。人間は主観的な生き物だと思うのですが。なんだか煙に巻かれているような気がするんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ >《人間や世界を造った神》というのは、人間がそのように表現して
いるに過ぎないという側面があります。
★ こうなってくると、私はお手上げ状態になります。
☆ ええ。ですから 哲学の神論は たいへんです。


★ 神が人間をつくる。人間が神をつくる。これらは言葉の意味どおりでは
ないんでしょうか。
☆ 前者は神が何であるか 分からないのですから そういう表現をしてみ
るといった程度の議論です。後者は 無理です。観念としての神をこしらえ
ることは そういう表現をすればよいわけですから かんたんですが。



★ このようにただ、人間が表現しているだけで、実際はどうなのかわから
ないとしたら、私たちは単なる言葉の遊びをしているに過ぎないと思うので
すが、どうでしょうか。
☆ はじめに定義をしておけばよいわけです。しかも ふつうに経験科学に
よる定義では埒が開きません。なにしろ人知を超えているものを定義しろと
言っても 無理です。

そういう場合は 仮説法(アブダクション)で想定して定義する手が 哲学
にはあります。

《非知:知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》と想定し定義し得ると
思います。

その概念説明としては 《超経験・絶対性・善悪の彼岸としての至高善・愛
憎を超えた慈愛》となるはずです。



★ 言葉で表現することが、主観に過ぎず、真実ではないかもしれない。と
いうことですよね。人間は主観的な生き物だと思うのですが。なんだか煙に
巻かれているような気がするんですよ。
☆ そこが 神――普遍神――のおもしろいところではないでしょうか。

お礼日時:2019/06/24 21:59

https://www.asahi.com/articles/ASM6F7VDQM6FULZU0 …新聞のインタビュにー答えたm助レオd

~~~~~~~~~
ツイッターで私m氏tれ田感じですね。合って場漢詩智慧知阿精神科医が
よくも平気で引篭り事件を方rメアす世よね。



わたしはあいてにしれない
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この回答へのお礼

ちょっとよく分かんない。


相手にする・しない してくれる・くれないは むつかしい問題です。

相手の心や意志ひとつの問題であって むつかしいというのは その
ような意志の問題について どう対処すればよいかは むつかしい。

お礼日時:2019/06/24 22:02

まったく自由ではないと思います。


自由だとしたら、鰯の頭も神になってしまいます。
たぶん、自由だとしたら
人の数だけ、普遍神が出てくるのではないでしょうか。

私はやはり人間が作った神ではなく
人間を造った神が普遍神だと思います。

彼らが呼ばないうちに、わたしは答え
彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。イザヤ65:24

人間の心の中にあるもの、
その根源を知っている存在。
呼ばないうちに・・
人間が求めることの意味を知らないうちにも
すでにその答えを用意している。
語っているうちに・・
あれやこれやと、積んだり砕いたり
議論を重ねている人間の声を
聞いている。
聞いて答える。つまり、人間が
その存在を肯定しようが否定しようが
普遍神は揺るぎない存在と言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

この質問では MCになろうとしています。ただし 《いちゃもん》をつけて問い
求めを互いに推し進めようというこんたんです。


★ まったく自由ではないと思います。
自由だとしたら、鰯の頭も神になってしまいます。
☆ たしかに。ただその場合 《イワシノアタマ》というまじないのような名前
であれば それは 自由なのではないか? という意見が出たら どうしますか?

★ たぶん、自由だとしたら
人の数だけ、普遍神が出てくるのではないでしょうか。
☆ そうだと思います。もっとも 普遍神というくらいですから どんな名前の
神でも すべて《絶対性》なる同じ一つの普遍神だとみとめられるものと思われ
ます。

名前や言葉や発音や文字が 神なのではないのですから。


★ 私はやはり人間が作った神ではなく
人間を造った神が普遍神だと思います。
☆ ただし 《人間や世界を造った神》というのは 人間がそのように表現して
いるに過ぎないという側面があります。

神からの啓示によると言っても 証明のしようがないはずです。(その神観につ
いて 主観の内部でいだくことは 自由なはずですが)。

▲ 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え
彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。イザヤ65:24
☆ これは:
▲ 65:17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。
さきの事はおぼえられることなく、
心に思い起すことはない。
☆ という主題のもとにあるのですよね。《あたらしい契約》にも関係している
はずですね。


★ 人間の心の中にあるもの、
その根源を知っている存在。
呼ばないうちに・・
人間が求めることの意味を知らないうちにも
すでにその答えを用意している。
☆ あぁ。そういう趣旨として受け取るのですね。
そうですね。かなりいぢわるになりますが 《わたしを知っている。その答えを
わたしが表現しうるか?》となると また別の話になるかも分かりません。



★ 語っているうちに・・
あれやこれやと、積んだり砕いたり
議論を重ねている人間の声を
聞いている。
聞いて答える。つまり、人間が
その存在を肯定しようが否定しようが
普遍神は揺るぎない存在と言えるのではないでしょうか。
☆ それは そうでしょうね。そのことを証明する必要がないでしょうから。

お礼日時:2019/06/23 21:56

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