

No.23
- 回答日時:
1.平和な国の善良に生きている人を殺してはいけない、ということを説明する
論理は比較的たやすくつくることはでき、ほとんどの人はこれに賛同するでし
ょう。
2.戦争によって、あるいは経済的競争によって(間接的に)人を殺してはならない
ということを説明する論理は、天才でなければつくれないだろうと思います。
そして、それを万人に納得させることは至難でありましょうが、可能であると思
います。
3.京アニ放火事件の犯人や、銃乱射事件の犯人などを殺してはいけないことを説
明する論理を組むことは可能でしょうけれど、それを万人に納得させるには、宗
教的生命観を万人が受け入れない限りは、不可能でしょう。
No.22
- 回答日時:
ホモサピエンスの家畜を含めるのではなくて、同じ社会の構成員である市民としての人ですね。
それならば、社会を維持できなくなるからです。人を殺せば、誰かの憎しみを買いますし、そうでなくても死体となれば処理するコストが生じますし、死体が腐らないような極環境であれば働き手を失うので、どちらにしても社会を維持できないです。
ホモサピエンスの家畜を含めるのであれば、そのような論理は存在しないです。理由は家畜だからです。
No.21
- 回答日時:
人間には想像力が備わっているから。
人を殺して良いという考えをする場合、自分も「人」の一員なので、何らかの条件さえ整えば自分も殺されて良い対象であることを、自ら論理的に認めていることになる。
自分が殺されないためには、『何らかの条件』が整わないように努力するしかなくなる。
実際問題として、『何らかの条件』が整ってしまえば(たとえば、極端に切れやすい人物の逆鱗に触れるとか、死刑に値する罪を犯してしまうとか)自分は殺されてもしかたない、と認めていることになるし、その認識が正しいのも事実。
つまり、実は「人を殺してはいけない」というのは(条件次第では良いことになるのだから)厳密には正しくない。
「何の理由(条件)もなく人を殺してはいけない」が正しい。
しかし、その理由(条件)というものは千差万別であらざるを得ないわけで、そんな前提をつけているようでは、「人を殺してはいけない」という結論部が霞んでしまう。
よって端的に「人を殺してはいけない」とだけ表現するわけです。
「人を殺してはいけない」なんてのは嘘だということでもある。
No.18
- 回答日時:
理論的な説明は困難です。
あのウイトゲンシュタインも、無理、と
しているぐらいです。
理論的以外なら可能でしょう。
人を殺して良い、となったらどうなるか、
想像すれば一目瞭然です。
しかし、これは理論による説明とは言えません。
困る、というだけですから。
人間は社会的動物です。
社会で育たなかった人間は二足歩行すら
できません。
その社会を構築するためにはルールが
必要で、人を殺すな、というのもそのルールの
一つです。
その他にも盗るな、犯すな、とか色々な
ルールがあります。
No.17
- 回答日時:
No.5のお礼を見て...。
あれ?
知りたかったのか...。
じゃあ、教えてあげるよ。
人は好むと好まざるとにかかわらず社会の一員だ。
いわゆる「社会を構成」する一部ってこと。悪い表現なら「社会を回す歯車の一つ」とも言う。
その社会を構成する人を殺すことは、社会を壊すことになる。
それは社会にとって脅威である。維持できなくなるからね。
よって、人を殺すことは禁じられる。
迷惑云々って話じゃないんだよ。
戦争って人を殺すよね。
殺す相手は敵国の人。
敵国の人を殺して敵国の社会を壊し、敵国そのものを壊すんだ。
こういう原理なんだよ。
だから自殺もダメって言われるの。
ここに感情論は無い。
分かったかな?
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