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さまざまな分野の学問を学んでいると合理的に考えることが良いことであるかのような印象を受けますが、合理性をそこまで信用しても良いのでしょうか。

合理性を疑う行為そのものが合理的かもしれませんが。

A 回答 (20件中1~10件)

無矛盾ではあり得ないので、その場合の「合理性」とは、そのパラダイムを先入化しない、


とありえないと明言しているのに、破る方途を示している。
どういうことなんだろう。
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何について論理的に理屈に合うのかが問題だということです。


つまりその土台の普遍性によるということだと思います。
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「合理性」には、2つの意味があります。


「~の合理化」などという場合の、効率化・有益化を
意味する場合と、論理的に矛盾していないか、つじつ
まが合っているか、という場合です。
前者は、環境や時代の変化によって変わるので、信用
するに値しません。
後者の合理性がなければ、言葉で他人に伝える事が
できず(全ての理解は誤解)、まずは信用しては
なりません(信仰する事は可能)。
ただ、不完全性定理によって、どんな合理性も、その
パラダイム(公理系)の範囲でしか無矛盾ではあり
得ないので、その場合の「合理性」とは、そのパラ
ダイムを先入化しない、という事です。
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① 全ての人が納得しえるであろう、論理的な帰結と言う事でしょうね。


② 必ずしも、論理的である必要はありません。
あいまいだなぁ。

① 因果性が無い事があり得る(もしくは、人間が因果性を検証できない)と言う事を信じている
② 手法の評価としては、因果性を認める限りは正しいでしょう。
あいまいだなぁ。

① 論理の根拠になると言う意味です。
違うなぁ。命題だよ。

文章を読めばその人の知能が分かる。お前だけではない。お前だけではない。
昔は、人前ではぺらぺらしゃべるなし、戒められている。
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他の回答者の回答に対して、回答を書くのは規約違反ですが、前回の回答で、「神秘的な力があるかどうかはわからない」と記載したのは、「神秘的な力に依存する」に訂正いたします。


特に、神秘的な力があるかどうかを問題にしているわけでは無く、前提が論理の根拠になると言う意味です。
個人的には、神秘的な力に対しては、何も言及するつもりはありません。
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#4ですが、#14さんのご回答を興味深く拝見しました。


ただ、一点、異論があるので、申し述べさせてください。

>論理的な合理性であれば、以下の全ては、前提を別とすれば、全て合理的な解釈になります。
例.
「神秘的な力が、世界を構成している」このロジック自体は間違いではないが、神秘的な力があるかどうかはわからない。

「神秘的」
普通の認識や理論を超えて、不思議な感じのするさま。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/115486/meaning/m …
です。
この世界が何らかの力で構成されていることは(でなければバラバラになって存在していないわけですから)間違いのないところでしょう。
しかし、それが何であるか、永遠に判明することはないはずです。
つまり、「何らかの力=神秘的な力」と言わざるを得ません。
よって、『神秘的な力があるかどうかはわからない。』という認識は誤りであり、
「神秘的な力が、世界を構成している」という命題は、前提を別とすることなく、ロジック全体として間違っていない(=合理的=論理的)、とすべきでしょう。
おそらくですが、
『神秘的な力が何かはわからない。』ということと混同なさっているように思われます。
因みに、「神秘的な力」は色々な呼び方が可能だと思いますが、「宇宙全体をバランスさせている摂理」と同じものであると捉えるのが妥当ではないかと考える次第。
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合理性をどのように考えていますか?(科学的、論理的な意味の合理性という事なんでしょうか?)


文字通りに考えれば、合理性とは、理由が理解できる、理由が合致していると言う意味です。
広義に考えれば、合理性を信じるんじゃなくて、何かが合理性を持っているから、その何かが信じられると言う事でしょう。
つまり、合理性とは、判断基準の規範なわけです。
そういう意味では、個々人の合理性とは、個々に存在すると言う事です。
一般的な合理性と言うのは、全ての人が納得しえるであろう、論理的な帰結と言う事でしょうね。
ただ、それが確実に定まると言う事はあり得ないでしょう。
因果性は、人間の思考としては、ある意味アポリオリな概念ですが、因果性を検証できない現象と言うのはあるわけですから、一般的にも、個々人でも、必ずしも、合理性を持った理解が出来ない事柄があるのは、仕方ない事でしょう。
質問の意図は、そういう意味では無いですよね?
合理的に考える事が良いのでは無くて、納得するには、(個人にとっての)合理的な理由が必要だと言う事です。
質問文では、その合理性が、特定の手法として存在する事を前提としているようです。
一般的には、論理学などのロジックは、因果性に基づいた合理性の判断基準になります。(少なくとも、論理的整合性が取れていれば、真偽は、前提条件の真偽に委ねる事が可能となるでしょう)
このような手法を合理性と考えるならば、その思考方法としての論理学は、その手続きとしての合理性は担保できるといえるでしょう。
これが、信じられないとすれば、基本的には、因果性を信じないと言う事になります。
つまり、現象には、因果性が無い事があり得る(もしくは、人間が因果性を検証できない)と言う事を信じていると言う事になります。(物理学的には、量子力学の分野では、因果性が特定できない部分はあります)
宗教的合理性は、基本的には、揺らがないものとする場合が多いでしょうが、その解釈自体を人間に委ねている宗教もあります。
哲学的合理性は、基本的には、その説明は論理学によりますが、最終的な結論が得られない以上は、あくまで論でしかありません。
科学的合理性も哲学と同様、基本的には全ては論です。(未来において、さらに合理性の高い論が生まれる可能性を排除しないと言う事です)
法的合理性は、その性質から、その時点での確実な判断を司法が与えなければいけないので、論であっても、その判断基準によって、司法的処分が行われる事になります。
目的合理性は、その目的が適正かどうかの判断より、目的に適合するかを判断する為の判断基準です。
価値合理性は、必要な価値に適合するか、どうかを判断する為の判断基準です。
合理性自体は、合理性を求める事項によって、それぞれ違うわけですが、質問の意図としては、論理的=合理的と考えているような感じがします。
それ自体は、手法の評価としては、因果性を認める限りは正しいでしょう。
合理性を求める対象によっては、論理的な評価がその対象の合理性を評価できない場合もあります。
合理性とは、その対象をどう評価するかが、適正になされると言う事であれば、必ずしも、論理的である必要はありません。
論理的な合理性であれば、以下の全ては、前提を別とすれば、全て合理的な解釈になります。
例.
「神秘的な力が、世界を構成している」このロジック自体は間違いではないが、神秘的な力があるかどうかはわからない。
「神が世界を創造した」(前提→結論)上記と同様、神の存在に依存する。
「万有引力により、地球上の物質は、地上に向かって落下する」万有引力と言う概念に依存、現象は存在する。
「時空のゆがみが、重力ポテンシャルを生み出す」時空及び、時空がゆがむと言う概念に依存、現象は存在する。
「真空中の光速度は一定速であり、物理現象の伝搬速度の上限値である」全ての空間で検証されているわけでは無いが、地球及び、人間が測定可能な範囲では、観測事実と一致している。
「スパゲッティモンスターが世界を創造した」スパゲッティモンスターに依存、神概念と類似。
どちらかと言うと、合理性を信じると言うより、信じるために合理性が必要だと言う事だと思いますけどね。
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考えられたら頭が良い、という認識をやめることが出来る知能を得ることが出来たら。


話せたら頭が良い、という認識をやめることが出来る知能を得ることが出来たら。
思ったら頭が良い、という認識をやめることが出来る知能を得ることが出来たら。
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学問は合理性に富んでいると思うが、それを使う人間はそれほど合理的じゃないからちょうどいいんじゃない?

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米国在住です。



私は、日本の社会は、合理性に則って構成されていると思います。

駅で電車に乗ること一つをとっても、時間と手間のかからないよう、ぎりぎりまで、研究され、実行されているので、部外者・外国人などは、もたもたと、手間取ります。一分電車が遅れることも、ままならない世の中です。

無駄を捨て、簡便に生きるために、コンビニが、競うように並び立つ一方、付加価値に依存するデパートで物が売れなくなってきています。

他に、きわめて合理的だと思ったのは、日本の折り畳み傘です。軽さ、性能、使いやすさ、丈夫さ、どれをとっても、世界一かと思われます。製品としての優秀さを、追及する、技術者がいるし、それを歓迎する国柄です。

おかげで、街が雑然とするように感じます。合理性を追求した結果、全体の印象がちぐはぐになる、そんな感慨を持ちました。40年前に見た、京都の町家の屋根瓦の美しさが、十年前には、ビルに侵食されて、残念でした。住む人の快適さと、景観をはかりにかけ、前者をとった結果でしょう。

国外から見ると、日本の国全体が、合理性の信奉者のようにみえますし、それは、これからも、変わることはないでしょう。
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