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「虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか」という本に、『(乾井先生の)言ってることはわかりますけど、心から反省できるかって言われれば、そうとは言い切れません。だって相手も悪かったし、(自分だって)わざとじゃなかったから』
私は過去にいじめという内容の犯罪をしました。
被害者(Aとする)が、私のことをいじめたからです。
先生に怒られた日の帰り道、「あっちも悪いんだ、同じになったんだ」と泣きました。
今でも、友達だったAにいじめられてから、友達という存在がトラウマで友達を作れないです。こうした深い心の傷があるので、上記のように、心から反省を私はしていないと思います。
【私のことをいじめたから、あいつもやり返してやる。】
母親からの暴力を受けながらそう強く思ったのを今でも強く覚えています。
※周りの人は私がAからいじめを受けていたことを知りません。母親からの暴力を受けていたことも。
Aは嘘をよくつくので、言っても無駄だと思いました。なのでいじめ返しをしました。

この文章を読んでどう思いますか。

A 回答 (3件)

対話ではどうにもならないことがある。


距離を置くだけでは感情はどうにもならない。
結局は復讐をしないと激しい憎しみからは解放されない。
激しい憎しみに囚われたものが納得して受け入れられる答えなど『道徳』と称されるものには存在しない。

ってなとこですね。

私自身、精神的なイジメにキレて暴行した挙句に私の暴行のみが取り沙汰されイジメ加害者として処理された経験があるので大いに共感できてしまう内容でした。

あと気になったのは、本のタイトルならびに虐待された事実とイジメの関係、そして乾井先生の言ったことですね。
その事件ってのが、イジメの報復としてのイジメのことなのでしょうか?
乾井先生の言ったことってのは安易に復讐を否定する綺麗ごとだったのでしょうか?

>先生に怒られた日の帰り道
この先生ってのは乾井先生ってことでしょうか? ソレとは別の教員でしょうか?
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別の人間関係を広げた方がよい、と思いました。

また、親しい間柄の人とのやり取りの方法を「いじめ」という形をとらないようにする、とか。「いじめ」という方法に限定しないように。

私もNo.1さんに賛同します。

私自身、人とかかわるときは相手との関係性によって考えることもありますが、親切にする、優しくする、上品に接する、形式を重んじる、敬意をもって接する、自分が責任をもってリードする…等々、【いじめる】という接し方は念頭にないです。

相手が同い年でも年下でも、自分に意地悪をしてきた相手でも。相手との人間関係にかかわらず、第三者から自分を見てもらったときにも、誠実な接し方を心掛けるというか。

人との接し方の種類を増やす、ということも方法としてありだと思います。
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>この文章を読んでどう思いますか。


 文章は、上手ではないですね。
 意味が…要点がよくわかりません。


イジメられたから、反省していない相手をイジメ返したことに対してどう思うのか?
を聞きたいのでしょうか?

私は、自分がどう生きるか、自分がどう行動するか…後悔しないか、胸を張って生きられるか…ということが重要です。
仕返しをするということは、自分も悪いことをする、ということになりますから、それはしたくないです。
相手が反省しているかどうかはどうでもいいです。
関わらなければいいので。
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