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東海道新幹線新横浜駅の建設について
なんで赤字の国鉄がわざわざとんでもない土田舎に新幹線駅を作ったのですか。
当時の新横浜駅って左右田んぼで
とても新幹線の駅をつくるなんて
どんな理由があったのですか。
横浜駅周辺はは地盤が軟弱で
用地買収が困難で作れなかった。
なら東京の次の停車駅を小田原にすると
いう案はなかったのですか。
新横浜駅が作られた理由を教えてください。

A 回答 (7件)

話は戦前から始まります。



>1940年[昭和15]
>▽ 第75回帝国議会(~3月25日)で「東京-下関間新幹線増設に関する件」に関する
>予算案が通過した。これによってルートの選定作業がおこなわれ,
>現在の新幹線に近いルートが決定された。
>……この計画は一般には「弾丸列車計画」といわれていた。

>1958年12月19日(金)[昭和33]
>▽ 「日本国有鉄道幹線調査会」が出した答申が閣議で了承され,
>工事がおこなわれることになった。工事は「東海道本線の線路増設(複々線化)」として
>認可を受けた。

>1964年10月に東京オリンピックが開催されるのに合わせて,
>完成目標は1964年の春とした。

>1959年11月14日(土)[昭和34]
>▽ 駅名と停車駅がほぼ決定した。
 >特急:東京・名古屋・大阪
 >急行:東京・横浜・小田原・熱海・静岡・浜松・豊橋・名古屋・米原・京都・大阪
https://isok.jp/rail/history/tsr-todo.htm

新幹線のルートは戦前の弾丸列車計画を引き継いだようなものです。
新横浜駅と新大阪駅、ここでは土地買収の汚職事件がありました。

>新横浜駅は、始め菊名駅付近に建てられる予定であったが、付近住民の反対にあい、
>港北区篠原町の田んぼと湿地帯を埋め立て、現在に至っている。
>この手つかずの広大な土地を巨大化する横浜市街の副都心計画によって建てられ、
>駅名は新しい横浜、「新横浜」と名付けられた。
http://touyoko-ensen.com/mini%E2%80%90info/cook/ …

>「もし新幹線の駅ができるとなれば、辺りの土地は一気に高騰するでしょう。
>そこで、新横浜駅建設の発表がある前に土地を抑えてしまおうと考え、
>大阪の土地ブローカーを名乗る男がやってきます。これが、横浜市の職員も絡む、
>大汚職事件に発展していきました。時の運輸大臣は佐藤栄作、
>衆議院議長は西武グループ創立者の堤康次郎です」

>利用価値のない土地を買いたいと申し出る人物が、菊名駅前の不動産屋に現れる。
>件(くだん)の大阪の土地ブローカーが来たのは、1959(昭和34)年のことだった。
>……新横浜駅の建設の話が公表されるのは、2年後の1961(昭和36)年である。
>だから、男の言った「細く長い」という表現が、新幹線の駅を表すものだとは
>誰も夢には思わなかったのだ。

そのブローカー曰く
 >―新横浜の土地買収の真相は

 >「私が先代の西武鉄道会長、堤康次郎氏に話を持ち込んだ」

 >―だれから情報を得たのですか。

 >「だれからでもない。私は戦前、国鉄の前身の鉄道省大阪鉄道局にいて、
>新幹線の原型となった『弾丸列車計画』に携わった。新幹線のルートや駅は
>弾丸列車と同じと確信していた」

詳しくはリンクをご覧ください。
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/p …
https://hamarepo.com/story.php?story_id=3860
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理由は二つ



・横浜という大都市の需要があったから
他の方も書かれていますが、横浜市は今は大阪市よりも人口が多いので、当時としても駅が必要で、ただし、横浜駅だと線路を作る土地が無かったので、新横浜駅を作りました。

・横浜駅は通過待ち用の駅
横浜駅は見て分かる通りホームが4面になっています。これは当時「こだまが停車している間にひかりを先行させるため」でした。
 開通当初、ひかりは今ののぞみとほぼ同じで東京駅を出発すると次の停車駅は名古屋、新横浜駅ができたとはいえ、当時は野原でひかりを利用したい横浜駅周辺のビジネスマンは東京駅まで行って乗っていたのです。

だからひかりが各駅停車のこだまを追い抜くために「こだまが通過待ちをしてくれる駅」が必要で、小田原駅じゃあ遠すぎて困るのです。新横浜駅は東京駅と小田原駅のほぼ真ん中の場所で、国鉄の横浜線で横浜駅付近から集客できる場所なので、通過待ちできる駅の場所はあそこしかなかったのです。
それが新横浜駅があの辺りに出来たもう一つの重要な理由です。
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No.3です。



> 横浜線の新横浜駅は東海道新幹線と同時にできたのですか。

そうです。
東海道新幹線開業にあわせて開業しました。
以下参考に。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%A8%AA …
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駅を作れという地元の要請、というか、地元政治家の圧力。


東海道なら、赤字というほどではないでしょう。
駅を作ることで、その周辺が発展していくのを期待。
横浜なら、幕末に何もない漁村から、外国船の貿易港として一気に繁華街に発展した前例がありますから。
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東海道新幹線計画当時から県内の代表的人口密集地であった横浜・川崎の近くに「新幹線駅を設けない」という選択肢は無かった反面、神奈川県内は比較的直線部分が多いためルート的に県庁所在地である横浜市の中心部近くは通らないことが決まっていた。

そこで既存の在来線である横浜線と交差する場所に新駅として新横浜駅を作ったと。

なお、東海道新幹線開業当時、横浜線は単線だったはずで、新幹線も「こだま」しか停まりませんでした。

参考まで。
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この回答へのお礼

横浜線の新横浜駅は東海道新幹線と同時にできたのですか。

お礼日時:2019/09/03 16:09

>赤字の国鉄が…



東海道新幹線が計画された昭和30年代は、まだ赤字ではありません。
当時はまだ鉄道が国内輸送の王者でした。

>横浜駅周辺はは地盤が軟弱で用地買収が困難で作れなかった…

そんな理由ではありません。
東京-大阪間を可能な限り最短で結ぶためできるだけ直線上にルートを敷く必要があり、遠回りとなる横浜駅は諦めざるを得なかったのです。
もちろん、川崎から横浜駅の前後あたりまではすでに住宅や工場その他が密集しており、用地買収が難しかったこともあります。

>東京の次の停車駅を小田原にするという案は…

当時から 6大都市の一つである横浜を素通りするわけにはいきません。
そこで、15分ほどで乗り継ぎできる横浜線の菊名-小机間に新駅を作ったのです。

当時の横浜線は東神奈川止まりなので、やや利便性に欠けるのは事実ですが、それでもどの線路とも交差しないところに新駅を作ってバス連絡などと言うのよりはよっぽど良いでしょう。

菊名で乗り換えれば東横線方面からの集客も期待できますし、素直に横浜線をたどれば八王子方面も近いです。
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横浜駅を経由すると膨大な追加予算がかかるので通過としたが、横浜市民にも最小限のアクセスを提供するために最も地価が安いところに新横浜駅を作り、横浜市民には黙ってもらった。

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