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平成も終わり 令和の時代と成りました。

昭和には「命に代えても・・・」というものが有りましたが

今時自分の命より大切なものは何でしょう?

何かありますか そんなに大切なものが?

A 回答 (23件中11~20件)

no12のkoさんに同意。


質問者さんは思考が浅い。
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この回答へのお礼

ありがとう

そりゃ 思考が浅いから質問しているのです。

不可逆変化というものがあります。自分をもう一度作り直すことは出来ません

すべてが変わっているのです 環境も何もかも。

私は人間は性質で出来た精神だと思っています。

体は生き物 動物です。

人間存在とは何か? どの様な可能性を持つのか? 運命はどうなるのか?

などを質問してきました。

お礼日時:2019/10/08 08:55

私は誰でしょうか。

大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。
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この回答へのお礼

ありがとう

生まれる前には自分の関わった世界はありません

生まれてからは一挙手一投足が世界に影響するのです

全ての営為が未来に影響していくのです。

それらは全て因果律に則っている訳ですが 

その次の生などはありません。輪廻転生、生まれ変わりなど一切ありません。

時間は流れて行って決して戻れません。タイムマシンは出来ないのです。

お礼日時:2019/10/08 09:02

ないですね



仮に守るべきものとして何か思いつくものがあっても、それは「自分」の判断で
自分より大切だと定義したもので、その定義を守る「自分」が大切ということ
つまり、自分というアイデンティティを守るための行動に過ぎません
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この回答へのお礼

Thank you

成る程 そう考えることも出来るわけですね。自分が死んでも自分の為に成るように生きる。

それも自分のためだと。自分?自分のためでしょうか?

お礼日時:2019/10/07 21:21

ありません



ある、と言う人は嘘つきか、勘違いか、間違った教育のせいです
お国のために死んでいった方々には大変申し訳ありませんが
自分が最も大切と思うなら、相手も自分が最も大切と思うだろう
これが大切なのです

仏典に
思いによっていかなる方向におもむいても、
  自分よりさらに愛しいものに達することはない。
  このように他の人々にとっても自分がとても愛しい。
  それ故に自己を愛する人は他人を傷付けてはならない。
       (『サンユッタニカーヤ』)
どちらへ向かって探し求めても、
自分より一番愛しいものはない、と。つまり誰だって我が身可愛や。
他の人だって同じじゃないか、と。そこで人と人との関係を反省するわけです。
 それならば、人に対して害を与え損なうということが一番悪いことで、
反対に人を愛し愛しむということがもっとも尊いことである、と。
これは誰にとっても同じことである、と。
 だからこの気持を人々の間で実現しようじゃありませんか、と。
そこから仏教の慈悲の教えが出てくる訳です。
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この回答へのお礼

Thank you

ちょっと分かりにくいですねえ。

私は自分の体験上 自分より大切な人はいましたけどねえ

愛ですね。愛は自我を超える存在性だと思います。

自分を愛するのが今流。人を愛するのが昔流なのでしょうかねえ??

お礼日時:2019/10/07 22:02

自分の命が一番大切、というのは


本能的なモノです。

本能から言えば、子孫を残すことが
第一で、自分より子供が、というのも
本能でしょう。

そうした本能は動物にもみられます。




今時自分の命より大切なものは何でしょう?
何かありますか そんなに大切なものが?
 ↑
アドラーも指摘していますが、己に執着すると
不幸になります。

だから、フランスの哲学者サルトルも
社会運動に精を出すようになりました。

幸せになる技術として、自分の命よりも
大切なモノを創るのは、あり、だと思います。

そう考えて、ワタシは嫁さんが大切だ、と
決めました。

確かに、幸せ感は増すようです。
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この回答へのお礼

助かりました

そのとーり そのとーり そのとーり!!

仰る通りですよ。

自分寄り大切なものはありますよ それを創ればいいんです。

御説ご尤もです。あんたは偉い☆

どうしてそうスッキリした答えが出るのでしょうねえ

無駄なことを考えなかったのでしょうねえ

健全な身体に健全な魂が宿るかあ・・・

お礼日時:2019/10/07 22:19

自分らしさ



(  ̄▽ ̄)にっこり
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この回答へのお礼

Thank you

自分が生きてても、自分らしさを失うと・・・

ソクラテスやイエスも自分らしさを捨ててまで命を守ろうとはしませんでしたねえ。

お礼日時:2019/10/07 22:03

恋人、この人の為なら命もいらない。

愛する人の為なら私は死ねる。
そんな素敵な恋に憧れる。子供頃学校でこういう恋に巡り合えたら幸せと習いました。
でも、そういう恋人はなかなか巡り合わぬものですね。
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この回答へのお礼

Thank you

私は中学校3年間 そういう恋人に片思いして過ごしました

もうあれ以上の恋はないと思います。

でも機会があればその様な人に会いたいものです。再び。

お礼日時:2019/10/07 20:10

生きる意味とは、自分以外に「大切なもの」を見つけることだと思います。


その「もの」がまた自分の大切さを教えてくれるのかもしれません。
昭和も平成も令和も関係ないと思います
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この回答へのお礼

Thank you

自分より大切なもの 私にとっては此の様に真理を求めることですねえ。

哲学と言うのですかねえ。結婚してれば別でしょうけど。

この世の不条理をなくすための智慧が欲しいですねえ。

時代は関係ないですかね?

お礼日時:2019/10/07 20:02

私共夫婦にとっては、命より大切なものは、二人の息子達です。



生まれて来てくれた事だけでも感謝ですが、彼等は、努力の甲斐あって、親の背を乗り越えてくれましたから、掛け替えのないものです。
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この回答へのお礼

助かりました

矢張り産み育て共に過ごし、未来に行きていってくれる子供は何より大切な者でしょうね。

親の背を乗り越えていってくれたのですねえ。成る程。

お礼日時:2019/10/07 19:42

人類と書こうと思ったら、人類も命かw  じゃあ、地球


いや、
>「命に変えても・・・」
って事は自分の命との比較って事になるから、人類だな

映画「アルマゲドン」のハリー(ブルース・ウィリス)のようにね。
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この回答へのお礼

Thank you

人類ですか。それは自分より人類のほうが大事ですよねえ。納得。

お礼日時:2019/10/07 19:35

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