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他国から捕鯨は残酷であるから、廃止にすべきだと批判されている日本ですが、捕鯨はすべきかすべきでないか
皆様のご意見をお聞きしたいです ♀️
国際的な意見もあればよろしくお願いします。
大学の授業で使わせて頂きます。

A 回答 (6件)

客観的に述べるとだな



①今は反捕鯨国が主流だから、その意見が「国際的な意見」に最も近いのだろ。
②しかし国際社会は多数決で動かない。力によって動く。国連安保を見れば分かる。
 日本に一番の影響力を持つアメリカはこの件に関し静観している。
 なので、日本から見れば「国際的意見は定まっていない」とも言える。
③したがって現段階では「○○の立場から見れば」という程度のことしか言えない。

ここからは自分の主張だがな。

①廃止論者にも存続論者にも、納得できる根拠が存在しない。
 廃止論者にはなぜ命に上下を付けるのか問いたいし、
 存続論者には、なぜ日本の食卓からほとんど消え失せている食材にこだわるのか、その理由を正したい。
 文化の保護などは理由にならない。文化とは世につれ時につれ移ろいゆくのである。
②判断の根拠がない状態では、外野である俺がとやかく口を突っ込むことはできない。
 突っ込んだところで見当違いになる。

結論:情報不足により判断不能
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>残酷であるから、廃止にすべきだ



ではないですね。
宗教的、文化的、歴史的、因習的な要因です。

ユダヤ教、キリスト教では、「神は、いろいろな生物を創造された後、自分の姿に似せて「人間」を創られた」とされるように、人間は生物・動物の中で「トップ」「最上位」に位置する特別な存在です。
そして、羊や牛、豚などは、神が人間の「食料」として創造されたので、殺して食べて当然なのです。
旧約聖書の「アブラハムと息子イサク」の話のように、神に捧げる羊がなかったので息子を殺そうとしたアブラハムに、神は「羊」を与えて無事息子イサクを殺さずに済んだ(その代わりその羊を殺して捧げた)というような文化です。
羊や牛、豚と違って、「クジラは神が食料として創られたものではない」というのが彼らの発想です。「捕鯨阻止」をする団体は「羊飼い」である「シー・シェパード」を名乗っていることが、それを端的に表しています(キリスト教では、イエスは「迷える子羊」を導く「羊飼い」ですから)。

「食」が「グルメ、楽しみ」になったのは、「王侯貴族」を除けば20世紀以降のことではないでしょうか。19世紀以前の欧米、そして途上国では現在でも「食」は「生きるため」のものです。
「捕鯨」も、それがなければ生きられない、餓死するしかない、という状況の中での選択だったはずです。
欧米の捕鯨は、「食べるため、生きるため」ではなく「油をとるため」だったので、石油や他の油脂で代替できるようになれば必要なくなりましたが、日本では昔からずっと「貴重なたんぱく源」でした。

日本やアジアでは、仏教文化の影響で「一寸の虫にも五分の魂」「生きとし生けるもの」という発想がありますから、欧米以上に「無駄な殺生はしない」という文化であり、その中でぎりぎりの選択で「捕鯨」をし、「必要最小限だけ捕る」というやり方で資源も保護してきたはずです。

1970年代ぐらいまでは、日本文化が世界に広まっていなかったので、「生魚を食べる」ということに欧米人は拒絶反応を示していたと思います。それが今や「サシミ」「スシ」といって喜んで食べるようになりました。なので世界的な「マグロ資源減少」を招いています。
逆に、欧米人はなぜか昔から「生牡蠣」だけは大好きで、グロテスクな外見にも関わらず嬉々として「生」で食べていました。
「文化、因習」とはそういうものです。
(ヒンズー教では牛を、イスラム教では豚肉や発酵食品(酒、しょうゆなど)を食べないのも同じ背景でしょう)

捕鯨を解禁すると、中国や北朝鮮が「儲かるなら乱獲」を始めるかもしれないので「資源保護」の観点も必要だと思いますが、「和食」が世界遺産になるご時世ですから、そういった「文化的多様性」を冷静に理性的に議論して良い方向にもって行けるとよいと思います。
そのためには、「サシミ」「スシ」のように、いろいろな情報発信や「実際に異文化に触れ体験する」という場を増やしていく必要があるのでしょうね。
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かつて捕鯨をしていた国のうち, 捕鯨をやめて「反対派」にまわったところもいくつかある. ただし, その理由は


「鯨油」という鯨に由来する資源を必要としなくなった (石油や植物性油脂などで代替できるようになった) ため経済的に見合わなくなった
からであって, 「残酷だから」などという理由ではない.

そのような国が, なにをもって日本に対し「残酷だから廃止しろ」などといえるんだろう.
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できるものなら、生きとし生けるもの、肉食せずに生きていられたら平和になっていいのですが、そういうわけにいかないのですよね…。



他の動物は食べていいけれどもクジラはダメというのは他文化からの一方的な押し付けです。もちろん、絶滅に追い込んでしまうようでは問題ですが、その辺はすでによくコントロールされているはずです。

「べき」という問題でもないですけど、捕鯨を禁じられる理由はないでしょう。
クジラのと殺が他の家畜に比べてなにか特別に苦しめるよりないとしたら考えてしまいますけど、どうなんでしょうかね? 少なくとも過去、反対してきた人たちはそういうことから言っていたわけじゃないでしょう。聞いたことないですから。
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個人的にはしてもいいと思います。


家畜や他の海洋資源と同類に扱うべきです。

ただ捕鯨委員会の捕鯨賛成国の大半が捕鯨国に買収された捕鯨と縁のない内陸国であったり、捕鯨をすることで鯨が捕食する魚の数が増えるという論の科学的根拠が曖昧であったり日本の捕鯨を正当化するやり口が汚いなとは思います。
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賢いからうんぬんは、牛豚鶏魚達に無礼だと思うがね…廃棄物になるのを問題にするなら分かるがね…

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