【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

ユーゴスラビアの紛争についての質問です。
宗教や言語(端折ります)など、色々な違いから紛争が絶えないと言われていますがかつては長い間共栄して来たと聞きました。それなのに時が経つにつれ、ヨーロッパの火薬庫と言われる程に紛争が絶えなくなってしまったのは、外的要因(仕向けた何者かが居る?)が合ったからだとある人に言われました。
もし仕向けたとしたらどこの国、または人なのでしょうか。

A 回答 (3件)

元々第一次世界大戦後に成立したユーゴスラビア王国(当初はセルボ・クロアート・スロヴェーン王国)自体が外的要因(フランス)による人工国家なのですよ



フランスが敗戦国オーストリア、ハンガリーが再び力をつけて旧領回復しないようにユーゴスラビア、チェコスロバキア、ルーマニアで小協商を作ったのです

チェコスロバキアはドイツ系住民のドイツないしオーストリアへの帰属を無視して領土編入し
ルーマニアはトランシルバニア、ベッサラビア、南ドブルジャを併合した大ルーマニアを作り小協商諸国を強化したのです

クロアチアとセルビアは元々、ビザンティン帝国が現在のハンガリーの所に移住したアジア系遊牧民アヴァール人を牽制するために現在の地に誘致したのですが
その後はセルビアはビザンティンの勢力圏下でセルビア王国と自立し、オスマン配下になります
文字はキリル文字で宗教は正教

クロアチアは神聖ローマ帝国、ハンガリー、ヴェネツィアなど西側国家群の影響下ハンガリーやオーストリア帝国の配下になり
文字はラテン文字、宗教はカトリック

クロアチアはズリンスキーやイェラチッチのようにハプスブルク帝国で戦功のある軍人たちを出し
今もオーストリアの装甲車の名前にもなっているパンデュール(Pandur)はクロアチア猟兵(軽歩兵)部隊は帝国軍でも忠誠心のある精鋭部隊でした

一方、セルビアはオスマン臣従後はオスマンの尖兵としてアラゴンの戦いでティムールと戦ったりしています

つまりクロアチアとセルビアはハプスブルク帝国とオスマンの戦いでは敵同士なのです

クロアチアは第一次世界大戦後、選択肢は許されずセルビアとの合同を余儀なくされたのです
従って無理矢理セルビアが主導するユーゴスラビア王国が成立してから
連邦制を強硬に主張し続けたのです
結局、ユーゴスラビアが連邦制を施行するのは第二次世界大戦勃発後です

第二次世界大戦後の社会主義化したユーゴスラビアでもクロアチア、スロベニアが稼いだ金がセルビアやモンテネグロ、マケドニアに毎年流れ代償はなし
これでは不満が蓄積するのは見えています
チトー時代は統制が取れていたと言われるが、統制が取れていたのではなくチトー時代の秘密警察が厳しく弾圧したのです
秘密警察は海外に逃れたクロアチア人活動家にもしつこく追跡し暗殺までしているのです

長くなりましたが
クロアチアとセルビアでは歴史的に見て水と油

もしセルビアが本当のユーゴスラビアを作りたいのなら文字的にも宗教的にもクロアチアよりブルガリアを選択すべきだったでしょう
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意図的に仕向けたわけではないでしょう。



ソ連のゴルバチョフの民主化政策により、
衛星国の締め付けを緩めた
結果です。

共栄してきた、というよりも、ソ連の
支配が強すぎた結果です。

アラブの春で、民主化が進み、そのため
シリア、リビア、チュニジア、エジプト
で内紛が始まったのと、同じ図式です。
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この回答へのお礼

共栄して来たというのはだいぶ昔の話ではあるとは思います…他国が干渉する前というか、ソ連時代存在していなかった遠い昔の話

お礼日時:2019/11/25 00:48

第一次世界大戦後にヨーロッパ諸国がちりじりに各地域を支配していました。

それにより民族間が対立する構図ができました。第二次世界大戦後に資本主義、社会主義で2つに割れその2間でも対立ができました。これらを経て民族、主義、宗教で対立する構図が出来あがりました。

仕向けた国と言われれば大戦を指揮したヨーロッパ先進国、社会主義と資本主義を牽引したソ連、アメリカということになるのではばいでしょうか。
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