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明智憲三郎氏の「本能寺の変 431年目の真実」という本を読みました。
そこには、愛宕百韻で最後に「国々は猶のどかなるとき(土岐)」と詠まれたと記されてありましたが、どの資料を見ても、最後の歌は、
「国々は猶のどかなるころ」と記されており、「ころ」を「とき」と詠んだなどとは思えません。
「国々は猶のどかなるとき」などと詠んだ資料があれば教えて下さい。

質問者からの補足コメント

  • 私も、可能性はゼロだと思いました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/02 18:03

A 回答 (3件)

連歌には、(原則)同じ言葉を一回しか使ってはいけないという基本ルール(一座何句物)があります。


里村紹巴など一流の歌人がいる前でルールを破る事など全く、可能性ゼロです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2020/02/02 18:02

その方の本や言動は基本的に信用しちゃいけません…。

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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2020/02/02 18:02

その様な、資料はありません。

「国々は猶のどかなるころ」が正しいのですから、ある訳がありません。
この連歌の最初の歌は、「ときは今」ですので、同じ言葉で始まって同じ言葉で終わるという事は、歌としてもおかしいです。
愛宕百韻は、戦勝祈願です。その歌の最初の言葉と、最後の言葉が同じであれば、ずっと立ち止まっている事になります。止まって、勝てる戦はありません。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2020/02/02 18:01

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