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豊臣秀吉は1592年-1598年に、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)を起こしましたが、朝鮮出兵は結果的に失敗でした。

そこで秀吉は兵力を朝鮮に向けるのではなく、アメリカの西海岸に向けた方が良かったのではないでしょうか?

この頃、アメリカ大陸はスペインの支配下に有りました。従ってスペインとの戦争に成りますが、日本の方が有利に戦えます。なぜなら距離的にスペインからアメリカ西海岸は遠いからです。

それに当時、カトリック教徒のスペインは、ヨーロッパでオランダやイギリスのプロテスタント教徒と戦争しており、東アジアに兵力を向ける余裕は有りませんでした。

ですから、秀吉はアメリカの西海岸に兵力を向けていれば、アメリカの西海岸、ローキー山脈の西側を占領できましたよね?そうしてたら、後の世の太平洋戦争の敗北も有りませんでしたよね?

スペインの船を真似して作ればアメリカの西海岸に行けます。西海岸に着いたら、現地のアメリカインディアンと協力してスペインと戦うのです。アメリカインディアンは人種的にはアジア人と同じですから日本軍に協力するでしょう。

質問者からの補足コメント

  • プンプン

    あなたのような人が日本国民の足を引っ張って、秀吉に北アメリカの西海岸ではなく、朝鮮に進ませたのです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/10 19:36
  • HAPPY

    あなたは歴史を知らない。当時のスペインやイギリスに中国と戦争して勝つ力は有りませんよ。ヨーロッパは内戦状態でしたから。

    八十年戦争、1568年から1648年(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む)ネーデルラント諸州がスペインに対して反乱を起こした戦争。これをきっかけに後のオランダが誕生したため、オランダ独立戦争と呼ばれる。

    三十年戦争
    1621年に停戦が終わると、独立戦争はヨーロッパ全体を巻き込んだ三十年戦争(1618年 - 1648年)にもつれ込んだ。

    1637年、オラニエ公フレデリック・ヘンドリックによる第四次ブレダの戦い(英語版)によってブレダは解放された。マールテン・トロンプ率いるオランダ海軍は、1639年2月にダンケルクの海戦でスペイン艦隊を破り、同年10月のダウンズの海戦(英語版)で上陸軍を含むスペイン・ポルトガルの大艦隊を撃破した。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/11 07:41
  • へこむわー

    >秀吉が朝鮮出兵をやったのは、第三の元寇を阻止するためです。
    >当時、日本は世界一の銃保持国でした。


    日本は世界一の銃保有国なら、元寇など恐れるに足りませんよ。それに当時の明帝国を滅ぼしたのは北方の満州族ですよ。明帝国は満州族と戦いながら、日本を攻撃するどころではないですよ。

    満州族が怖いなら、明帝国を助ける為の兵力を出してやれば良いのです。しかし逆に秀吉は明帝国と戦ってしまった。その結果、明帝国は弱くなり、満州族に負けてしまったのです。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/11 07:49

A 回答 (7件)

そこで秀吉は兵力を朝鮮に向けるのではなく、


アメリカの西海岸に向けた方が良かったのではないでしょうか?
 ↑
秀吉が朝鮮出兵をやったのは、第三の元寇を
阻止するためです。
米国ではそうした目的が果たせません。



秀吉はアメリカの西海岸に兵力を向けていれば、アメリカの西海岸、
ローキー山脈の西側を占領できましたよね?
そうしてたら、後の世の太平洋戦争の敗北も有りませんでしたよね?
 ↑
そうですね。
そもそも大東亜戦争も無かったでしょうから。



スペインの船を真似して作ればアメリカの西海岸に行けます。
西海岸に着いたら、現地のアメリカインディアンと協力してスペインと戦うのです。
アメリカインディアンは人種的にはアジア人と同じですから
日本軍に協力するでしょう。
 ↑
当時、日本は世界一の銃保持国でした。
やれば勝っていたでしょうね。
この回答への補足あり
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秀吉の当時、アメリカへの航路は明らかにされてなかった。

造船技術もなかった。
朝鮮へは、その前の外交で、対馬藩が翻訳のさいに内容を大幅に変えて、簡単に朝鮮を占領できると錯覚させた。この誤情報にのったのが秀吉の失敗。

現実味があるのは、沖縄、台湾経由で、東南アジアへの進出。
沖縄は、関ヶ原直後に島津家が単独で占領し、植民地にしているので、成功の可能性は大きい。

ま、晩年の秀吉、判断力がおかしくなり、今で言うまだらボケ状態だったでしょう。
そういうのが、国のトップに君臨し、大きな政策をするのは、国にとって不幸なことです。
ここ数年、似たような状況ですが、、
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この当時、日本に外洋航海できる船はなく、外洋航海できる船を手にするのは明治維新後です。

そのため、秀吉の軍はアメリカ大陸に行けません。

スペインの船を真似て作れば良いとのことですが、基本構造が全く違うので短期間での造船は無理です。あなたは、どの程度の期間で作れるようになるかを想像できていないと思いますので、教えてあげます。

 日本人は、歴史的に見て新しい技術を短期間で自分のものにする能力に長けています。鉄砲伝来の時は、全く0からスタートして3年でコピーを制作できるようになっています。船の場合は、鉄砲よりも複雑で強度に対する作りが職人技だよりですが、これも3年程度で製造可能と想像します。

 しかし、鉄砲とは違い船には外洋航海のための航海術が欠かせません。この習得にも1年程度は要すると思います。

 日本の昔の船に関連した別の話です。
昔の船というとバカな歴史家は、ガレー船や千鳥ヶ淵にあるようなオール式の船を思い浮かべますが、事実は全く違っていて和船でした。歴史家の実証実験でもオールで船を漕いでいるテレビ映像は笑えます。
和寇は昔から盛んに朝鮮半島や中国大陸の沿岸を荒らしまわっていましたが、これに使われた主力の船が和船で、元々古代中国で発明されたものです。この和船は、志那事変の時の蘇州河渡河で使われた映像も残っています。
和船と言われてもイメージできないでしょ。櫓漕ぎ船と言ってオール式の船よりもはるかに優れています。まず、常に進行方向を見ながら漕げる。そして、素人でも連続して30分は漕げる。

秀吉は当時の戦国大名とは全く違う商人的な異才の持ち主でしたが、日本統一後は明国の占領という発想が、いかにも武士らしい発想のようにも感じます。
これに対して、家康は鎖国と言う手法で貿易を国家独占にしています。朝鮮通信使の再開も家康が生きていた時代です。
なお、貿易の国家独占は江戸時代が最初ではなく、足利義満が最初です。

歴史的に見て日本軍の海外遠征でまずいところは、国内戦闘の延長線上で兵站を考えているところで、秀吉軍の朝鮮出兵当時も現地調達ありきで、日本とは全く違う極寒の中でかなり悲惨な目にあっているようです。

これがアメリカ大陸出兵だったら、アメリカ大陸にたどり着く前に船内で死ぬ連中もいただろうし、生き残った兵士たちも骨と皮だけの有様だったのではないかと想像します。

なお、秀吉の朝鮮出兵と同じ失敗を明治維新後に繰り返し更に痛い目にあうことになりますが、人は歴史に学べない象徴的な出来事だと思います。

ついでに、二つの元寇は中国側から見て全く違う目的です。
1回目は南宋を滅亡させるために、万が一の南宋と日本との連携を阻止するため。
2回目は南宋滅亡後に溢れた南宋軍を日本に移住させるため。
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ジンギスカンのマネをしたかっただけ、キリスト教迫害するようでは海外の情報は入らない、秀吉は日本のチャンピョンだけど海外には強いのがいっぱい、井の中の蛙だね。

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「ローキー山脈」ってどこだろ.

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確かにその通りですね



その当時 秀吉に
America大陸の
情報が無かったのと

朝鮮半島や中国
の方が米大陸より
圧倒的に近かったのでしょう。

そして 秀吉は日本を守ると言う
指命があったのでしょうね

米が列強の手に落ちても

離れているから
特に問題は起きないが

シナや朝鮮が
落ちたとなれば

日本は目と鼻の先ですから

列強に奪われる前に先に占領して
基盤を固めようと
したのでしょうね
この回答への補足あり
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マジレスしたら負け。

「秀吉は兵力を朝鮮に向けるのではなく、アメ」の回答画像1
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