準・究極の選択

天下統一を成し遂げたのは、織田信長ですか?豊臣秀吉ですか?徳川家康ですか?

A 回答 (8件)

天下とは?



京都を掌握して官位を好きに得られる立場で良いなら信長
国土全体に法令を発する事なら秀吉
それ以上なら家康
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天下というのは二種類あり、


当時の日本の常識だったのが「足利将軍が直接収める領域」つまり畿内を含む近畿地方とその周辺の一部。
今の日本で天下統一と言えば北海道を除く日本全土ということになる。

前者の意味で天下統一したのは織田信長。
足利義秋(のちの将軍義昭)の教書という錦の御旗をもって、近畿の豪族を平らげた。
ちなみに信長が用いた「天下布武」とは「近畿を武力をもって平定する」という意味であり、まさに義昭の教書そのものである。

後者の意味で天下統一したのは豊臣秀吉。
小田原征伐のあと引き続き行われた奥羽仕置の終了をもって、北海道以外の日本は秀吉の傘下となる。

家康は前者2人の意味での、つまり武力による支配権拡大による天下統一は行っていない。
彼は秀吉の死後の豊臣政権の混乱を収め、それによって豊臣政権の第一人者となったに過ぎない。
そこから征夷大将軍になるまでの動機はいまいちわからないが、混乱によって豊臣政権に求心力がなくなった以上、新たな求心力を作り日本の統一を保つというのは、当然考えられることである。
また、野望もあっただろう。
戦国武将なら、隙あらば上に行こうとする。
家康がやったことは、信長の死後秀吉がやったことと同じである。
そういうことも統一と言ってよいというなら、日本という意味での天下を最後に統一したのは、関ヶ原に勝利した家康である。
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歴史上そんな人はいません。

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秀吉です。


ただ「天下統一」がなにをもって達成した、と考えるかによって、評価が変わることもあります。

戦国時代というのは、内戦であり「誰が天下を取るか」と言う戦いだったわけですが、「天下を取る(統一する)」というのは、実質的に「室町幕府開祖の足利尊氏のように、天皇を囲って征夷大将軍の勅許をもらうこと、またはその類似行為を成し遂げること」を言います。

実際、信長は正親町天皇の保護者的な地位にあり、財政的また軍事的に天皇を保護していました。つまり光明天皇を保護した足利尊氏と同じところまでは到達したので、実質的な天下統一はほぼ手中に収めていた、といえます。
ただ、本能寺の変で弑され、幕府とか関白のような形を取れなかったか、あるいは天皇家を滅ぼして自分が新皇になるか、という最終統一には至らなかった、のです。

それに対して秀吉は天皇から関白地位を許され、名実ともに天下統一を為したとされますが、関白という手段が「武家としての到達点」といえるかどうかは別で、関白は公家の最高位ですから、秀吉は「武家をやめて公家として天下に君臨した」と考えることもできます。

なので「全国の武士たちが考えている鎌倉幕府の再興=天下統一」という点からいえば、それを成し遂げたのは徳川家康だ、という見方もできます。
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豊ちゃんだね。

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豊臣秀吉ですね。


織田信長は道半ばで倒され、その後豊臣秀吉が統一し、秀吉死後、その後継者争い(関ヶ原の戦い)で徳川家康が勝ったということですね。
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訂正 


本能寺の変 です
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秀吉です


(信長はあと一歩のところで本能寺に辺に倒れました
家康は、秀吉の後を引き継ぎました)
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