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今年、東京オリンピックが55年ぶりに開催される予定です。
前回、昭和39年の東京オリンピックの時代は、現代とは違い、一般家庭ではお風呂がついていない自宅も多く、建設工事に携わる作業員も仕事で汗をかいて帰宅しても、お風呂に入らずそのまま就寝して、翌日またお仕事をする人も多かったのですか?(銭湯は週に数回?)
この時代は、風呂付の住宅は珍しく、毎日の入浴は贅沢だったのでしょうか?
では、この時代、夏に電車やバスに乗ると汗臭い人がたくさんいたのでしょうか?

A 回答 (3件)

都心の文京区で、風呂付でしたが、夏は毎日、春明は隔日、冬は三日に一回でした。

薪(近所の木工所でもらった)と石炭で沸かし、薪を割って、風呂を沸かすのは子供たちの当番だったので、ふろの日は遅くまで遊べず、夏は面倒くさかったです。家族以外にもらい湯があったので10人くらい入浴していました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2020/03/05 06:12

高校生でしたが、部活(ラグビー部)のあとは、全員で銭湯に行ってました。

ハイライトのたばこが70円、銭湯は、16円だったかな?

地下鉄もバスも、電車も冷房がないのがほとんどだったけれど、夏場でも汗臭いのはいなかったでえすけっど。
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ほぼ毎日銭湯にて入浴していました 



入浴料金も今よりずっと安かったので、家族3人なら銭湯の方が経済的 4人ならトントン 5人なら家の方が安上がり という程度です

55年前、小学生の入浴料金が、15円だったと思います

それと、自宅のふろの場合には、薪で沸かすのが普通でしたので、薪の入手と巻き割り、備蓄の管理、そして、沸かす手間など大変でした

50年くらい前になると、ガスで沸かす方が多くなりましたが、沸かす時間の管理をしなければならず、ちょっとタイミングがずれるだけで沸かし過ぎたりしましたし、火災の原因にもなっていました
(薪の場合には、気付いたら消えていて、もう一度火付けからやり直しでした)

という事で、入浴回数は今と変わりませんよ
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