プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

カウンセリングを何度も受け…
毒親って、
遠い遠い、赤の他人のお話…というより
本当にいらっしゃるとは思いますが、
程度・ランクで分けるととてつもない数になるのと、受け取る側の“取り方”でも、大きく変わってくるのかと…。

片方の親が毒親だったと
明白にわかった時、
片方の親は、その話を受け入れ
「心配しなくても、大丈夫。 
◯◯(私)は、何も間違ってない。
うちの母さんは、気薄とゆーか…
人付き合いも苦手で、昔から言わなくていい事を言ってしまって…。浅はかな考えやから…。気持ちはわかったから、親の事は考えずに自分の子供達の事を第一に考えて欲しい。
父さんと母さんは2人で面倒見合ってしていくから
。」
多くは語らなくても、理解してくれた安心で
涙が止まらなくなり、
私は、“自分の子供達と自分を守る為”少し、母親と距離が必要だ。と父に「それとなく、うまくごまかしてほしい。」とたのみました。

幼少期(私が3〜4歳頃から)
母親は泣きながらてをつないで
「死にたい、すぐにでも消えてしまいたい」と
幾度か聞かされていました。

母は、嫁・姑問題で上手く行っていなかったのもあったみたいですが、
この幼い私には
自分のわかる言葉で、精一杯・その場で励ます事しか出来ず、その日1日恐怖から逃れれたら
“あ、今日、助けれた〜”と安心するの同時に
私の姉達とケロっと楽しそうに会話している母の姿を見て“あれ?さっきのは何やったんやろぅ?”
まぁ…こんなこと、いつもの事!
もう少し大きくなったら、内容も相談してくれるだろう。それまでは、できるだけ日々の顔色を見て
笑顔にさせる事が、自分に出来る事だった。

その少し前(2歳の終わり〜3歳の始め頃)
私は、薬のアレルギーで急遽入院し、
心臓がとまったりと、命の危機でした。
医師の勧めで、血液交換をし、一命を取り止め
そのまま病状は回復し、完治してからは
大きな病気もせず、過ごしています。

父は、献血で沢山の方から血液を頂き
助けていただいた事から
長年、献血に通い、沢山の血液を寄付してきてくれました。
祖父も、私の病状が悪くなった時、
仕事を放って病院に向かおうとしてくれたそうです。

その事実だけでも
愛されていたのだと…心の支えになっていました。

一方、母は仕事で忙しく
日々の生活で精一杯だったとは理解しています。
アレルギーになった原因の、風邪薬?を
何を飲ませたのか記憶に無く、
退院時、先生から説明を受けた
「今後◯◯と◯◯は薬の成分に入っていれば
絶対に飲まないで下さい」と説明を受けたのに、
その成分が何だったのか、メモも無く
ある程度の年齢になるまで、ほとんど薬(痛み止めなど)飲まずにすごしたのですが
自分自身、気になるのと“知りたい”ので
1人、病院にアレルギー検査をしに行きました。

私は、沢山の方から血液を頂き
生かしてもらいました。
感謝でしかありません。

退院して、元の生活に戻ってからです…
母の弱音?グチを聞くようになり、
行かせてもらった私と、死にたいと無く母…
母も、その時は辛く、吐口が他に無かったのもわかります。ただ、私の歳でその話を悲壮そうに話す母は
“本当に死んできまうかもしれない”何とか誤解を解いて少しでも気持ちを楽にしてあげたい…。
母の姿がみえなければ、不安・心配になり
探し回る日々。
周りから見れば、ただのマザコン。
親戚の叔母からは「いい加減離れなさい」や
「お母さん、疲れて◯◯ちゃんの事いらんってら言ってたよ」と母も一緒に笑ってる姿を見て
部屋に泣きながらこもってカギをしめたりしました。

容姿の事・全て
褒めてもらった事も記憶になく
ダメな所だけピックアップされて
言い続けてられ、ある程度の歳までは
本当に人様の前には出たらアカンと思っていました。 

学校、社会に出ると 
ありのままの自分を褒めてくれる人は何人か居ましたが、その言葉も疑いの目で見てしまっていた為全てが上手くいかず 一人で過ごす事が平気になっていきましたら。 この頃は、誰に対しても不信感があったとら思います。
唯一の楽しみは
家に帰って、姉と遊ぶ事。 
喧嘩は多くても、姉2人はいつも優しく
今でも大好きです。

自分が、立場になってみて、
母にアドバイスをもらいたかったのですが
質問する前に「お母さんに聞いてもわからんから」と…。思い起こせば、一緒にお風呂に、入った事もなければ、「一緒に入りたいと」言った時も
私がごねたから
「これが最後やで!」と、記憶では
一度だけ。(4〜5歳ごろ)

常識的・冠婚葬祭のマナー・も
誰かに聞かないとわからない…
+母の幼少期の記憶も皆無。

母も何か、精神的疾患を、持ってるのだと思うのですが、心療内科は、拒んでいます。

20年近く、私は“母親”
というより、弱い娘を見る感覚…
辛そうにしている姿を見るのが怖くて
いつも、母が喜ぶ・笑うものを、探していました。

コレ、喜ぶかな?
コレ、好きそうやな…
沢山のプレゼントをしてきました。
でも、いつも満たされない姿…それ以上に
欲が勝って「このバッグが、欲しいな…」
それで喜ぶなら…と、プレゼントしたら
数日後、電話があり
「あの、バックは本物❓偽物じゃない?
ちょっと、鑑定してきて!」
また残念な言葉…。

自分なら、子供がどんなに些細な物でもプレゼントしてくれたら心から喜ぶし、ありがとう!と大事にするのに…何で、こんなに違うの?
母が、心から満たされる物の正解がわからなくなってきた頃です。

朝一、母から何度も着信が…
子供の支度をしていてバタバタしていたのですが、
合間を見て、、電話をかけ直すと
「パンクしたねん、すぐ来て!」
「わかった。とりあえず、子供達がアドバイス10分で学校行かないとアカンから、10分だけ待てる?
送り出したらすぐに向かうし、電話も、かけるから。」と、通話を切ったものの
すぐに何度も何度も電話がかかってくる…
「JAFが…か」 「もーちょいやからお願い、待って欲しい!すぐかけ直すから!!」
送り出して、速攻で母に電話。

私も、プロでは無いし
まず見て見ないことには
何もわからないので
現場に到着するまで、落ち着かそうと
通話したまま…。

何とか、タイヤを新しい物に入れ替える為
母の車をJAFに引っ張ってもらい
私は、その後ろをついて行きました。

その車中の会話は…
「こないだも◯◯かんが…!」
「やっぱり◯◯って名前がキライやわ〜」と
差別的な文句が止まらない。
何度、注意しても
思考は変えれないのか
また聞き流したらいいのか。。。
考えてる間に、別の話題に。

その日、とても大事な約束があった私も
テンパってる母を放っておけず
手伝いにかけつけたのですが
それでも感謝も、無く
「◯◯がおらんかったら、私はどぅなってたことか。」
いやあや、ありがとうの一言わ言えないのか?

遠回しに言ってるだけで、
“当たり前やろ?あんたはお母さんの為に
生きて行きなさい”って言われてるようで
限界を感じました。

もし、同じことを私がお願いしたら
「お母さんは無理」と即答だったと思います。

年齢を重ねると、子供返りするとはよく聞きますが
あまりの扱いに“腹立つ”より“残念”“ショック”で
落ち込んでしまいました。

私の大事な家族の子供
否定・文句しか言わないので
一気に孤独感・喪失感に、襲われ
呼吸も長い間、薄く、全身の力が固まり
不調続きです。
時間薬で、ある程度で楽になるのか
近いご経験のある方、何か
アドバイスをいただけませんでしょうか?

追伸
maxに呼吸がしんどくなった時
父にhelpのメールをおくりましたが
父と母で来てくれたのはいいのですが
親が、家に帰った歳
“◯◯”の怒りが治らない。と結論を勝手に出され
父から
「いつまでも母さんを許せないのなら
 一切便りにしないで下さい。
お母さんがかわいそうです。」とメールが来ました。


やっぱり、ずれているのと
そんなに母が大切なら
もっと昔からかばって、大事にしていれば
子供が巻き込まれる事も無かったと…。

結局は、母が一番しんどかった時に
助けてあげなかった自分の否を認めず
絶対に謝らず
私のせいで、終わらされました。

家族です、信頼していたので
ほんとうに縁を切った方がいいのかを
真剣に考えています。

A 回答 (5件)

毒親という言葉がいつ頃作られたのか知りませんが・・


私も恵まれた幼少期でなかったため
カウンセリングに通い
退行催眠療法にも通いました。

ですが・・結局
トラウマというものは
自分自身の心で解決させるものだということに気づきました。

幼いころ 母親の頼りない言葉・・
「お母さんが死んじゃったらごめんね」
「いつまで生きていられるかわからない」
「お前さえいなかったら 今すぐにでも
  いい人と結婚できるのに」
「なんで お前みたいなのが生まれたんだろう」

等々 
聞かされましたから
あなたの心細さがいかばかりだったのかは
想像できます。
うちは母子家庭で
水商売の母親は男にだらしなく
貧乏でしたし・・
母親が死んだら
自分は孤児院に行くしかないんだと
幼いころは真剣に考えたりしました。

あなたには父親がいらっしゃるのですし・・
もうお母さんのことはお父上にお任せして
あなたはご自身の今の家族を守ることを
優先させていいでしょう。

過去の母親のことや今の母親のこと・・

それに囚われて
今ある自分を見失って
幸せを感じられないでいることほど
バカバカしいことはありません
あなたはあなたのこれからの人生や
幸せな家族を築きあげていけばいいんですよ・・

もう大人になったんですから
いつまでもお母さんのこと
考えたりせず。
あなた自身お母さんなんですから

私は母親より
自分の家族を大事にしてきました。
母親が亡くなった時も
「これから本当の自由がやってくる
 今まで苦しめられた分
 幸せになれる
 お母さん・・死んでくれてありがとう」

と心の底から思いましたよ
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最後までしっかりと読みました。


あなたのケースは愛着障害です。
愛着障害のせいで生き辛さを感じている人は結構多いんですよ。
お母さん自身もその可能性が高いと思いますね。
愛着障害の人は2パターンに分かれます。
①不安型・・・・不安により過剰な気づかいをしやすい
        承認欲求が非常に強い
        愛着対象に対する期待値が高い
        利害関係でしかない相手に対して愛着を抱く
        他人との関係を求める気持ちと拒絶する気持ちの両方が併存しやすい
②回避型・・・・距離をおいた対人関係を好む
        自分を守るために情緒的な強い感情を抑える
        コミュニケーション能力が育ちにくい
        面倒くさがり屋
あなたはどちらですか?
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50代の心療内科に通う主婦です。



うーん、お話を最初から、最後まで読みましたが、正直、長すぎますよ。
そして、すごく分かりにくいです。

もっと、回答する相手の為に、文章は簡潔に、わかりやすく、考えた方が良いです。


結局、貴女が言いたいのは、お母さまへの文句と、

>家族です、信頼していたので
ほんとうに縁を切った方がいいのかを
真剣に考えています。

と言うことですよね???

母と娘は、多かれ少なかれ、色々あると思います。
私自身も、母との関係で悩んできた一人です。

お母さまを変えることは出来ませんので、嫌なら、距離を置くか、
お父様のおっしゃるように、疎遠にしたら良いんですよ。
中途半端な感じにしてしまうから、お互い、ツラいのだと思います。

>父から
「いつまでも母さんを許せないのなら
 一切便りにしないで下さい。
お母さんがかわいそうです。」とメールが来ました。


ここまで、お父様に言われているのなら、疎遠にした方が良いです。

実は、私も、実母と疎遠にしています。
育ててもらった恩はありますが、実母と関わると、私自身、体調が悪くなるため、
心療内科の先生のすすめもあり、疎遠にしています。
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親は自律神経の乱れか


更年期
発達障害などでは。

まぁ しばらく縁を切った方がいい
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簡潔に言えばカウンセリングの失敗

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