下記の続きです。
【「洗濯に」と「洗濯しに」の違いを教えて下さい】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11698966.html
桃太郎の話を検索すると、ほとんどが「おばあさんは川へ洗濯に行きました」と書かれているそうです。
1)「洗濯に行きました」
2)「洗濯しに行きました」
3)「洗濯をしに行きました」
1)〜3)の意味はほぼ同じだと思いますが、この3つにはどのような違いがあるのでしょうか。
No.2
- 回答日時:
みな意味は同じ。
「洗濯に」「洗濯しに」「洗濯をしに」
洗濯は体現。「し」は「する」の変化。3)は「を」をつけて丁寧にしただけ。
お爺さんは山へ芝刈り、お婆さんは川へ洗濯。
これは昔話でそういう設定にすれば、子供向け童話でいやらしさがないと作者が思っての改め。
実際にはお爺さんは父、お婆さんは母。桃太郎は子供。孫というのは作者のすり替え。
変な話かもしれぬが、ここで2人がしたのは子作り行為(夜の営み)。いわゆる男女の交わりですね。
山はいわゆる行為の舞台になる場所の形はそう見えますね。
桃になったのは言葉の変化。桃とは本当は腿ですね。子供は下半身つまり桃ならぬ腿から出てくる。卵子を桃に変えただけ。
川といっても本物の川でなく、輸卵管の通り道を川に代えたのでしょうね。
まあ、童話にして、健康的で平和な言葉にしたほうが子供に受けがいいという作者の心遣いでしょうね。
昔話というのはこんなものですよ。
コメントありがとうございます。
「意味はほぼ同じ」に2票目ですね。
昔話はそれほど配慮に満ちていますか。
『竹取物語』の場合は?
『一寸法師』の場合は?
No.3
- 回答日時:
以前も質問したのでは?、ややこしい言い回しの説明が得意な人の餌食になった?。
話変わるが、元総理の田中角栄、口癖が「よっしゃ」ではなく「よしゃ、よしゃ」でしたね、通常は安請け合いで使われる。
裁判の場では弁護士、その他はこれを「よ・し・や、よ・し・や」と言ってと表現していましたね。
あのややこしい言い回しの人も、自分が相手の上げ足とり?で相手を全否定するので、自分がそうならないように、ややこしい言い回ししているだけです。
洗濯、→熟語なので一応名詞です、でも意味としては、ものを洗う動きの表現です、それを写真にすれば、洗濯の場面。
洗濯の場面(聞いた側の想像)、「に」はいろいろ説明がありますが、位置、場所と考えることも可能です、洗濯の画像=位置?。
洗濯しに→洗濯は名詞なので、それを「する」動詞を付しただけです。
洗濯をしに→「を」と「に」の相違の問題になります、これは理屈で説明されても多分理解できません。
正しいといわれる日本語に接して感じ(感性)を養うしかありません。
ただ、飛行機が空を飛んでいる、雲が空に浮かんでいる。
飛行機なら「を」、雲なら「に」、何故というより、どんな感じを受けるかを考えるほうが先です。
まったく個人的な思いですが、じっと見つめたとき、飛行機は見えなくなります、雲はいつまでも見えます(もちろん浮かんでいるだけの状態)。
「に」は収束、収束すれば1点に集まり動きません。「を」は拡散、一点から四方八方に広がる、やがて見えなくなります。
でも洗濯が拡散、イメージできませんね(もちろん私もです)。
こじつければ洗濯の場面の写真画像を想像すれば、それ以上の変化はありません、写真画像ではなく洗濯する動きの中身を考えると、工程はゴシゴシからすすぎまでいろいろありますね。
コメントありがとうございます。
>以前も質問したのでは?
たしかに以前も質問していますが、このテーマは初めてだと思います。
類似質問がありましたら、教えてください。
>ややこしい言い回しの説明が得意な人の餌食になった?
もう少し具体的に書いていただかないと、コメントができません。
>あのややこしい言い回しの人も、自分が相手の上げ足とり?で相手を全否定するので、自分がそうならないように、ややこしい言い回ししているだけです。
「あのややこしい言い回しの人」とは誰のことで、「相手」は誰のことでしょうか。
>「に」は収束、収束すれば1点に集まり動きません。「を」は拡散
どういうことでしょうか。
No.5
- 回答日時:
>「に」は収束、収束すれば1点に集まり動きません。
「を」は拡散どういうことでしょうか
説明が理解できないようでは助詞「に」「を」の理解はできません。
文法でも、大言(名詞)形容詞、助動詞、に次いで習います、大半の人は助動詞でむつかしいと諦めます、それより困難なのが助詞です。
「に」の働きに関して、
あるかたは〈時間的・空間的な位置付けの認識を表わす〉と言う(笑)。
あるかたは〈【着点】〉と言う。
あるかたは〈「に」は収束「を」は拡散〉と言う。
どれが一般的なんでしょう。
当方は、一般の辞書あたりを信用します。
「着点」と「収束」は通じるものがありそうですね。辞書と照らし合わせても、かなりの部分はこれでOKの気がします。ただ、無理やりひとつにする必然性も感じません。どうしても例外が出てきて、それを拾っていくと、またいろいろな意味になるのでは。
なかでも例外になりそうなのは、「先生にお電話をいただきました」の類いの気がします。
下記あたりから話が進展しているのかいないのか。
【「に」という格助詞の説明のしかた】2014/03/24
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8527145.html
【続 「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】2016/05/28
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9291488.html
No.6
- 回答日時:
「に」は目的を表す格助詞。
「洗濯」のという名詞につく場合、「洗濯」に行く。サ変動詞の連用形につく場合。「勉強に行く」「勉強しに行く」「勉強をしに行く」結局は同じでしょうね。コメントありがとうございます。
>結局は同じでしょうね
ということは、「意味はほぼ同じ」に3票目ということでよろしいでしょうか。
No.7で、それらのコメントをまとめて否定するようなコメントが入っています。
当方には毎度毎度の念仏にしか思えず、まったく理解できません。
OKATさんは念仏への理解を示していたことがあった気がしますが、No.7のコメントはどうお感じでしょうか。
何か建設的な話になりそうなら、苦痛を感じ{ながら/つつ}もちゃんと読み直してみたいと思います。
No.7
- 回答日時:
本件は、前回既に回答済みですが、理解いただけないようなので問題点を明確にし、回答致します。
「意味はほぼ同じ」「ほとんど同じ」「結局は同じ」と回答がなされていますが、問題は意味とは何かが明らかでないままに、感覚的で、曖昧な回答がなされているために問題が収束しません。これが、ラングを言語本質とするソシュールパラダイム下の根本的な欠陥です。
ラングとは簡単に言えば規範であり、辞書に記された語の意義です。しかし、ここで問題となっているのは、個別の「桃太郎の話」という昔話しの場面での話者の認識の表現である文の意味です。この個別の意味が辞書に記されている訳がありませんが、ではこれはどこから生まれたかが問題になります。
ラングが言語であるとする言語道具観からは規範である語が組み合わされた結果、語の意義が意味に変化したと考える他ありません。したがって、意味は文にあるか、あるいはその文を生みだした対象の側にあるということになり、この二つの折中的な解釈から、先の曖昧な感覚的回答が生まれます。
文自体に意味があると考えれば、似たような単語が並んでいれば「意味はほぼ同じ」「ほとんど同じ」「結局は同じ」ということになります。対象の側にあるということであれば、「おばあさんは川へ洗濯に行きました」という対象事実は同じで「意味はほぼ同じ」「ほとんど同じ」「結局は同じ」ということで、必然的にここに見られる回答の通りの状態になる他ありません。
しかし現実には、
1)「洗濯に行きました」
2)「洗濯しに行きました」
3)「洗濯をしに行きました」
と異なった表現がされています。これが何故かを明らかにしない限り問題の解決にはなりません。これは、当然ながら話者が異なる表現をしているからで、なぜ異なる表現が為されるかといえば、話者による対象の捉え方が異なるためです。言語は話者の認識の表現であり、対象→認識→表現の過程的構造に支えられた表現であり、パロールであるという事実を正しく認識することが重要です。
このように捉えれば、まず対象があり、それに対する話者の認識があり、これが表現されることにより意味が生まれることが明かになります。つまり、意味とは第一に表現と話者の認識の関係であり、さらにはそれを生み出した対象との関係そのもであるということです。表現した後に対象が消滅しても関係は消滅しません。親子関係は親が亡くなっても消滅しないのと同じです。親子共に亡くなれば、関係を支える実体が消滅し、関係も消滅します。これは、音声が消滅し、書かれた文が消されたりして消滅すれば意味も消滅するのと同じです。
つまり、意味とはこれらの関係そのものです。
したがって、上記、1)、2)、3)の文と話者の認識の関係がどのように異なるかが明かにされなければなりません。
1)「洗濯に行きました」
は、「行く」という動作の目標が「洗濯」という「衣類などの汚れを洗ってきれいにすること。」つまり一つの事態であることを関係付けています。
2)「洗濯しに行きました」
は、「行く」という動作の目標が「洗濯する」という行為であることを表わしています。
3)「洗濯をしに行きました」
は、「行く」という動作の目標が「する」という行為の動的な目標が洗濯であると関係付けており、目的としての行為として洗濯を捉え表現しています。
このように、対象自体は同じでも、話者による対象の捉え方が異なり、意味が異なっています。こうした、言語表現の過程的、立体的な媒介構造を捉えない限り意味とは何か、そしてそれを支える実体が何で、どのような関係が表現されているかを正しく捉えることはできません。
そして、この過程的構造に基づき助詞の意義も明らかになるもので、助詞は話者の対象世界である客体、つまり【着点】や【収束】や【拡散】などを表わすのではなく、客体である対象の関係認識、つまり主観を直接に表わすものです。
つまり、格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識自体を表現し、静的な目標の関係付けの【意識】を表わします。これに対し、「を」は二つの事物が運動と変化の関係にある場合の動的な関係認識を表わし、動的な目標の関係付けの【意識】を表わします。
この表現された結果/機能を捉え客体を含めた意味関係を表現したのが、【着点】や【収束】や【拡散】などで、これは個別の対象認識から生まれた意味に過ぎません。つまり単なる結果論に過ぎないということです。
以上、現在のソシュールパラダイム下の発想では、今回の質問に正しい回答はできないことを縷々説明させていただきましたが理解いただけましたでしょうか。■
コメントありがとうございます。
>前回既に回答済みです
それがまったく理解できないから再質問しました。それぐらい常識でわかりますよね。理解できない念仏は、何度繰返されても理解できません。
しかも、「洗濯をしに行きました」は前問にはありません。読めば小学生にもわかりますよね。
なぜ「回答済み」になるのでしょう。
No.8
- 回答日時:
>「に」の働きに関して、
あるかたは〈時間的・空間的な位置付けの認識を表わす〉と言う(笑)。
あるかたは〈【着点】〉と言う。
あるかたは〈「に」は収束「を」は拡散〉と言う。
人は自分の言いたいことの半分も言葉で表現できない、聞いたものはさらにその半分も理解できない、と言われます。
それを念頭に置いて考えれば、3人とも、言いたいことは同じように思えます。
着点、この言葉での表現は、点ですね、数学では、位置だけを表す、ただ着というからには動きの結果が想像できます。
時間的・空間的な位置付けの認識、「的」がついていますね、言い切ってしまうと上げ足を取られて否定される恐れがあるから、自身が他人に対しているもやっているので予防線を張って、言い切らずにごまかしています、いずれにしても空間の位置だけでなく時間についても特定の時間と認識する、だけですね、動きの結果という想像はできません、その意味では着点との表現よりお粗末?。
これらの内容を自分なりに考え、自分なりの理解を得る必要があります、その上で自分なりに主張できる内容を構築する必要があります、これが本当?の勉強です。
コピぺして丸投げ可能な知識を得ようとしているのでこんなことを言います。
(笑)で余裕をかましている場合ではありません。
別の人ですが最初は反論の後ろに(笑)、次回は(爆笑)、その次は(爆W笑)、以降は(爆WWWW笑)後はWが増えるだけ。
余裕をかましているつもり?、逆に受けtる方は比例して顔が引きつっているのを連想します。
※「に」も単に位置だけ(動き無用)とも思える場合があります。
個人的には、対象の動きではなく、観測者の動きの結果、例えば注目、視野を一点に収束させます。
収束は収束してしまえば点でそれ以上動きません。
拡散はとどまるところがありません、それが動き続けるとなり、動きの感覚はより強調されることになります、くだんの「的」使用の人も確か「を」については言及しているはず。
参考
中学校当たりでは、先生が教えるだけでなく生徒同士が教えあう、そんなスタイルの授業もあるようですね。
その時教える生徒は、この本に書いていた、あの人が言っていた・・・ではなく、それを自分はこう理解した、それを相手に伝えます。それで伝わらなければ理解している内容を別の表現(相手が理解可能な表現)することも可能です、その別の表現を考えることが自分にとっても勉強になります。
アリストテレスが王様に言ったそうです、数学に王道なし、と。
王様といえど、数学(飲みならず学問)は他の人と同様に地道な学習を積み重ねる必要があるということです、コピペ丸投げするだけですべてのケースで通用するものはない、ということです。
昔の、こかの国の王様になった気分での(笑)です。
>コピぺして丸投げ可能な知識を得ようとしているのでこんなことを言います。
誰に対する批判なのか明確にしてください。
>アリストテレスが王様に言ったそうです、数学に王道なし、と。
当方が知っているのは、辞書にある話です。
いろいろ違っているようです。
https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A6%E5%95%8F%E3%8 …
No.9
- 回答日時:
No.8 の回答に見える根本的な誤りについて。
この方は毎回、念仏のような戯れ言を並べられていますが無定見な内容なのでこの点を指摘しておきます。
>「に」の働きに関して、
あるかたは〈時間的・空間的な位置付けの認識を表わす〉と言う(笑)。
あるかたは〈【着点】〉と言う。
あるかたは〈「に」は収束「を」は拡散〉と言う。
人は自分の言いたいことの半分も言葉で表現できない、聞いたものはさらにその半分も理解できない、と言われます。
それを念頭に置いて考えれば、3人とも、言いたいことは同じように思えます。
同じように見えるのは対象の本質の相違が理解できないための混同に過ぎません。
No.7で回答の通り、助詞は話者の主観である認識を客体化することなく直接に表現する語で、認識つまり主観と、客体である「点」や「収束」「拡散」とは品詞が異なり「同じ」ではありません。
この主観と客観の関係を正しく理解することなく、混同、同一視するのは論理的な混乱を招くことにしかなりません。
これらの内容を自分なりに考え、自分なりの理解を得る必要があります、その上で自分なりに主張できる内容を構築する必要があります、これが本当?の勉強です。
この点を拳拳服膺し、念仏とは異なる真っ当な論理的見解を展開していただきたいものです。■
>毎回、念仏のような戯れ言を並べられていますが無定見な内容なので
やっとご自身のコメントの欠陥に気づきましたか。
一歩前進しましたね。おめでとうございます。
で、次の課題です。
「喧々服用」ってどういう意味ですか。
「呉越同舟」ってどういう意味ですか。
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【本質坊主の念仏コメントに対する世間の評判】ごく一部です。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12429517796.html
>私は、「意義」という言葉を、meaning あるいは sense などの言語学の用語として使ったことはありません。
やはりそうなのですね。安心しました。
当方は、お念仏に関して最初から言っています。「意義」という言葉と「認識」という言葉を使わないで書いてくれ、と。
一般とは違う意味で使っていることはわかるのですが、なぜそんな言葉を使うのかさっぱりわかりません。定義も不明のままです。
どうやら基本的な言葉らしく、お念仏の中に頻出します。
意味がよくわからない言葉を頻出させて、文章の意味が通じると考えるのはどういう神経なんでしょうね。ただでさえ文章力がないのに、無意味にむずかしく書いて、通じるわけがないのに。
〈この文、意味が辞書に入っているというのはナンセンスでしょう。〉
はおそらく下記のような意味なのでしょう。
〈話者(いつも思うが「書き手」は関係ないのだろうか)の考えによってかわってくる「文」や「意味」の語釈が、辞書にすべてのっていると考えるのはナンセンスでしょう。〉
こう書いてくれれば理解〝は〟できるかも。少し説明を加えるなら、これは再三再四繰り返されている(重言?)「お念仏」(読む価値はない)。だからなんとか意味は想像できるけど、相当わかりにくい。しかも、繰り返す意味が不明。
〈「文」や〉は必要ないでしょうね。もしこれを入れるなら「文章」も入れるべきでしょう。入れるとさらにわかりにくくなるけど、それは原文がヒドいから。
一般の常識とは懸け離れたものすごく異様な理屈をこねているのですから、せめて文章は少し考えてもらわないと常人には理解できません。