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言葉を普通に使えるのは、非陳述記憶によるものですか?

A 回答 (2件)

言葉を普通に使える場合は、意味記憶、エピソード記憶を言語で陳述できます。


言葉を普通には使えない場合の、「普通には」の範疇にも寄るでしょうが、意味記憶、エピソード記憶を言語で述べてもらっても、言語として理解できないことが多いでしょう。

ある種の哺乳類は、親が子に行動見本を示して子の発達を促し、子はこれを学習し我が物としますが、言語は使いません。集団行動をする生物でも何かしらの意思伝達をしそれで行動をコントロールしている様子を見受けますし、過去のエピソード記憶に基づいて自分の行動をコントロールしてしまっている様子がうかがえることもあります。プライミングであろうが条件付けであろうが、記憶はあり、その記憶に基づく行為を他に伝承することも可能です。

言語によるか、言語によらないかは、その種によるだけではなく、個体が手や喉などの言語表現手段を使えるか使うのが適切でないかという状況にもよります。
いわゆる知的学習を他に促すには、言語を使うよりは、他の方法、見本を示す、心理的圧迫や報償の提示が有効なことも多いです。
会話の流暢さ、受け答えのうまさ・処理の妥当性適応性迅速性効の向上は、非陳述記憶とされる要素が多分に働くものの、表面上の流暢さではなく、実質を伴う深みのような面からすれば、陳述記憶の集積と臨機に想起組み合わせる言語的連合能力が必須の要素です。

聞く・話すに関わる言語機能、読む・書く関わる言語機能を失う失語症があるように、非陳述記憶があったとしても、言葉が使えないことはあります。

陳述記憶、非陳述記憶とかは、記憶を考えるときに、分類した方がわかりやすい場面があって、その都合上、2分類にしているだけなのだと思います。
言語を使う上では、どちらの記憶も必要なのだと思います。
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言語を陳述記憶と非陳述記憶のどちらかに分類するって難しい気がします。

どちらの記憶も必要ではないでしょうか。

人間の脳には、「言語野」という場所があります。言語野には、運動性言語(発話、自発書字など)に関わる領域であるブローカ野と、感覚性言語(聴理解など)に関わる領域であるウェルニッケ野があります。
小さな子どものうちは言葉を操る周囲の大人を真似しながら言語を無意識的に覚え聴理解と発語を発達させていくので非陳述記憶で言語を操れるようになっていると言えるのかもしれませんが、、、

その無意識に覚えた言葉を使いこなすためには教育を受けたり、本を読んだりする必要がありますよね。
言葉の意味を理解し文脈を作って会話を成立させるためにはエピソード記憶や意味記憶の含まれる陳述記憶も必要ではないかと。
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