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オウム真理教事件で皆が不思議に思ったのは、非常に頭の良い大学出身者がオウム真理教の信者に成っていた事です。

例えば、村井秀夫。大阪大学理学部物理学科にトップ合格しX線天文学を専攻。大阪大学大学院理学研究科修士課程修了、理学修士となる。リチャード・バックの『かもめのジョナサン』の気持ちに成ってオウム真理教に入信し、オウム真理教に省庁制が採用された後は科学技術省大臣。

オウム真理教の組織は省庁制で、日本の国家をモデルにしていました。それは教祖の松本智津夫を天皇とする組織で、その下に村井秀夫を大臣とする科学技術省などが有りました。その科学技術省が強力な毒ガスであるサリンガスを造ったのです。

つまりオウム真理教は、天皇を含めた日本を乗っ取ろうとしていたのです。松本は天皇に取って代わろうとしていたのです。もちろん、そんな途方もない計画は成功しませんでしたが、少なくともオウム真理教の組織の内部では成功していました。

オウム真理教の内部では、松本を天皇とし、それを支える村井などの大臣が居ました。このような天皇を有する疑似国家を日本の内部に作る事は、戦前は不可能だったでしょう。なぜなら戦前は国民の多くが万世一系の天皇の価値と重要性を認めていたからです。

しかし、戦後の教育界は左翼が支配し、左翼の教師によって万世一系の天皇の価値や重要性を否定する教育が行われて来ました。その結果、万世一系の天皇の価値や重要性を否定する左翼の教育を受けた者達が、オウム真理教に取り込まれたのです。

オウム真理教の最終目的は、現在の万世一系の天皇に取って代わり、松本智津夫を頂点とする新たな世襲王朝を作る事でした。その方法は左翼が行ったロシア革命と同じ暴力革命です。

松本智津夫はサリンガスを使った暴力革命で、現在の万世一系の天皇を殺し、自分が新たな世襲王朝の始祖に成ろうとしたのです。その為に頭の良い村井秀夫を科学技省庁大臣にして、サリンガスを造らせたのです。

暴力革命によって万世一系の天皇を殺し、自分が天皇に取って代わるなどという計画は、戦前の教育を受けた者なら、とうてい容認しなかったでしょうが、戦後の大学生は万世一系の天皇の価値や重要性を否定する教育を、左翼の教師から受けていたので万世一系の天皇を殺す計画を容認してしまったのです。

つまり、万世一系の天皇の価値や重要性を否定する戦後の左翼思想が、オウム真理教事件を産み出したのではないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 組織の規模が全然違います。オウム真理教は富士山のふもとのサリン毒ガス工場で大量のサリンガスを造り出しました。

    これを東京にばら撒けば、数十万人の死者が出ていたでしょう。こんな事をやろうとした組織が戦前に有りましたか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/11/10 13:17
  • 東条英機は大臣ですよ。松本智津夫が「大臣」の身分で満足するわけないでしょう。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/11/10 13:19

A 回答 (4件)

そうなんですね。

よかったですね。
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カルト教団は戦前からありますし、天皇暗殺計画も同様です。


馬○以外の日本人なら常識ですね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

組織の規模が全然違います。オウム真理教は富士山のふもとのサリン毒ガス工場で大量のサリンガスを造り出しました。

これを東京にばら撒けば、数十万人の死者が出ていたでしょう。こんな事をやろうとした組織が戦前に有りましたか?

お礼日時:2020/11/10 13:16

麻原は東条じゃないの? 天皇の願いに反し自滅的な作戦を指揮したわけでしょ?

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

東条英機は大臣ですよ。松本智津夫が「大臣」の身分で満足するわけないでしょう。

お礼日時:2020/11/10 13:12

麻原彰晃は、サリン事件を起こす前に、全世界ボツリヌス菌散布計画を構想し、世界人口を激減しようと画策した。


手始めに、皇居・霞が関にボツリヌス菌を散布計画炭疽菌したらしいが、残念ながら効果はなかった。

次には、現天皇の皇太子時代のご成婚パレードに、炭疽菌を撒こうとしたが失敗。そしてサリン事件に至るが、サリンに関しては、実現しなかったが、天皇の神宮球場観戦を狙った神宮球場サリン散布計画、米国サリンテロ計画が計画・準備されたことが分かっている。

ある意味、麻原彰晃は、日本というか世界の王になることを妄想していた人物で、スケール感だけで云えば、天皇がどうのというレベルではない。

しかし、この狂気・妄想が、「おもしろいオッサン」から、劇的に過激化したのは、マスコミ人気に過信して国政選挙に主要信徒とともに出馬し、惨敗したうえ、多額の供託金を没収されたため、教団の資産が底をついてしまった時だった。

麻原は、これを教団を潰すための国家権力の陰謀と断定し、自分自身が造った妄想的恐怖心に怯えまくることになった。

それが国家権力に対する反撃としての、官庁・警視庁のある霞が関駅を狙った地下鉄サリン事件を実行するに至る。

その心理的背景に、天皇制を否定する左翼思想があったかどうかは分からない。
関係していた可能性までは否定できないが、一度は国政に参加しようとしたくらいだから、最初は現行の国家権力の中で勢力を拡大しようとしたわけだ。ということは、天皇制を認めたうえで、その事実上の頂点である内閣総理大臣を目指していたという可能性も考えられる。

いずれにしても、彼は、選挙惨敗が、自分に問題があるのではなく、国家権力にあると責任を擦り付け、自分が創り上げたその妄想に怯えていた。それがあの異常事件の背景だと思う。
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