プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

キリスト教では亡霊、成仏という概念はあるのでしょうか?仏教では死んだ人がこの世に未練があると亡霊として地上を彷徨い成仏できないから、ご冥福をお祈りしますと言って成仏できるように祈る(と私は理解しています)のですが、キリスト教の場合地上に未練があっても神の国に行けるのでしょうか?それとも霊的ななにかとして彷徨うのでしょうか?

A 回答 (7件)

キリスト教もいろいろありますが、カトリックでは最後の審判の前に待機する場所に死者の魂は導かれるわけで、死んで何かになるという発想はありません。

あと亡霊という考え方はキリスト教的ではありません。
    • good
    • 1

そもそも「成‘仏’」と言うくらいですからあくまでも仏教の概念であってキリスト教に存在するわけはありませんが、改めて「成仏」を辞書機能で調べてみたら「①煩悩を捨てて無上の悟りを開くこと。

仏となること」「②死者が迷うことなく浄土に生まれること。また、一般に死ぬこと」と出て来ました。キリスト教には「悟りを開く」「浄土に生まれる」と言う考え方はありませんし、比喩的に同じ意味とされる「死ぬこと」以外にはやはり「成仏」と言う概念は存在しない事になります。
    • good
    • 1

もともとの仏教は、死んだ瞬間に生まれ変わるらしいから


亡霊とか成仏などという概念はありようがないらしいですから・・・
    • good
    • 1

亡霊成仏はありません、キリスト教は最初っから天国を目指している、死んだ者には祈りはしない、地上に未練はない、神との約束が守られ天国へ、しかし全ての魂は一度裁きの場で裁かれなければならない、ふるいにかけられ大多数はドボンドボン落下していく熱い場所に、ふるいにかけられ残った魂は永遠の命を得る、生きているときに天国に行くこと決めておく、どうでもいい関係ない知らんというのは大概地獄へ行く。

    • good
    • 3

http://tinyangel.jog.client.jp/Race/Ghost.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3 …

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF …

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B …

https://www.greelane.com/ja/%E6%96%87%E7%B3%BB/% …

http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/12345678 …

当時の民衆、彼らは自らの死生観をその都度、政治的に変更せざるをえず、煉獄の存在と不在、その両極の間を揺れ動く心情そのものが、当時の民衆の死生観=パラダイムを表象するものとなったと推測されるからである。公式にはプロテスタント信者である一つの家族のなかにおいてでさえ、祖父母、父母、子供は各々異なる心情、死生観をもっていたこともありえるだろう(果たして、息子ハムナット、シェイクスピア、父ジョンは一つの死生観を共有していただろうか。)―「時の関節が脱臼してしまった。何たることだ。これを直すために私が生まれてきたとは。」(『ハムレット』)さらにこの問いは、幽霊存在への問いと同じ意味をもっている点にも注目したい。当時のヨーロッパにおいては、幽霊の唯一の棲家は煉獄であるとされ、ゆえに煉獄を認めないプロテスタントは幽霊の存在自体を否認しているからである(プロテスタントにとって、王の暗殺を告げる幽霊は悪魔が見せる幻覚以外のなにものでもなかった)。プロテスタントの牙城、ウィッテンブルグ大学の留学生ハムレットが父の幽霊に慄き決断を遅延するのも無理はない―「父の幽霊は存在するのか否か、それが問題である。」かくして、独白の問いは存在Xの名前をたくみに隠÷することで、現世とあの世の間に三重の意味を発生させ、あれかこれかの張り詰めた緊張感のなかで響きわたるひとつの声、劇的な沈黙の声となる―「煉獄/幽霊/隠れカトリックは存在するのか否か、それが問題である。」

ハムレットは父の幽霊と出会うまえに最初の独白において、すでに自殺をほのめかしている。だとすれば、父の幽霊による密告と誓いのあとでの自殺の同語反復は共謀にいたる一連のプロットを無意味なものにし、結果、劇の構成を破綻させてしまう。ここに一体何の劇的効果があるというのだろうか。これに対し、独白の問いが父の幽霊の存在/不在を巡るものだと捉えるならば、知の共有は大いに意味をもつものとなり、劇的効果も十分認められるだろう。父の幽霊が存在しているかどうか、確信がもてないハムレットの心的状況を当時の観客は共有しているからである。
    • good
    • 1

基本的にはキリスト教では「死者」は「最後の審判」の時を待つと言うことになりますが、シェークスピアの「ハムレット」などでもわかる通り「苦悩する霊魂」がこの世をさまようという考え方もあり「魂の抜けた肉体」を「悪魔」が乗っ取って「ゾンビ」のような存在を作り出すという考え方がありますが、死によって「肉体」と「魂」は別れ、最後の審判を待つことになるのだと思います。

キリスト教徒にとって神の国に行けるかは、生きているときの未練や執着でなく「どのように生きたか」を神が審判して、決めるだけです。
    • good
    • 1

エクソシストがそれらを除霊してるんじゃないの?

    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!