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と思った。光秀による本能寺の変のあと 細川藤孝が取った態度に。


哲学してください。

gooドクター

A 回答 (5件)

最終回はほぼ予想通りの展開でしたが、やはり老獪な秀吉による情報操作と根回しがあったことを、におわせていましたね。



「動かないでくれてありがとう」みたいな秀吉の藤孝宛書状があったそうですから、密約があったかどうかはわかりませんが、根回しはしていたんだろうと思われます。

で、細川藤孝。
松永や荒木らを見てきた細川は、謀反に加担する気などさらさらなかったでしょうね。お家が大事です。

このあたりのことは、明智憲三郎氏の『本能寺の変 431年目の真実』にも書かれていて、池端氏はこの本も下敷きにされたのかもしれません。

あとは、そうですね、
一族郎党の生命を犠牲にして一人だけ生き延びて麒麟を追い求める、なんて幻想的なラストは、陳腐でシラケました。

信長という怪物を創り出したのは光秀だったとかいう話も、くだらなかったですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 最終回はほぼ予想通りの展開でしたが、やはり老獪な秀吉による情報操作と根回しがあったことを、におわせていましたね。
☆ そうですかね。秀吉は 光秀の動きに注意が必要だと自覚したまでだとは思いました。《大返し》の準備をしていた可能性があるとは思いますが。(質問者ながら 私見でコメントしますが)。


★ 「動かないでくれてありがとう」みたいな秀吉の藤孝宛書状があったそうですから、密約があったかどうかはわかりませんが、根回しはしていたんだろうと思われます。
☆ あぁ。そういう意味でですか。ううん。でも むしろ藤孝のほうが誰かに光秀のこのウゴキを知らせようとしていましたね。



★ 細川藤孝。
松永や荒木らを見てきた細川は、謀反に加担する気などさらさらなかったでしょうね。お家が大事です。
☆ ドラマでは光秀が鞆へ義昭を訪ねて行ったことに 藤孝は疑問符を打っていました。あるいは 信長に意見を具申する覚悟があるかと光秀に問われて 答えを控えていました。

信長を討てば それまでの天下静謐への努力が 自分〔たち〕のものまで 貶す対象になったことになるわけですし 何と言っても クーデタは ただの首のすげ替えにすぎません。



★ このあたりのことは、明智憲三郎氏の『本能寺の変 431年目の真実』にも書かれていて、池端氏はこの本も下敷きにされたのかもしれません。
☆ ほうお。ぢゃ 光秀は 藤孝が加担することはないと知っていた? ふーむ。これはこれで おもしろいですね。



★ あとは、そうですね、
一族郎党の生命を犠牲にして一人だけ生き延びて麒麟を追い求める、なんて幻想的なラストは、陳腐でシラケました。
☆ いいこと言いますね。一匹狼だったわけではあるまいに。ただ《死んでいなかったんだ》というのは 義経の場合とはまるで別だと思われます。

ただ暴発した・・・んでしょうかね。ただ単にプッツンしたに過ぎない?



★ 信長という怪物を創り出したのは光秀だったとかいう話も、くだらなかったですね。
☆ そうです。帰蝶のセリフでもありました。作った者が何とかすべし云々だとか。そういう傀儡だったのなら 初めから組まないでしょうよ。


☆ とにかくですね 日本中が――光秀観の転換だとか言って―― 変なユーフォリアに落ち入っているかに感じられます。

お礼日時:2021/02/08 21:36

あ、そうそう。


私も光秀と家康の関係はもっと掘り下げてほしかったです。信長は家康を警戒していたと思うので。

なんだか光秀と家康の談合を匂わせるだけ匂わせて、ハンパに終わってしまいましたよね。
あれでは、菊丸という忍を設定した意味がないじゃないかと。そこ、消化不良です(^^)
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この回答へのお礼

★ あ、そうそう。
私も光秀と家康の関係はもっと掘り下げてほしかったです。信長は家康を警戒していたと思うので。
☆ 信長は――少なくともこのドラマでは非常に――家康を警戒していました。ただ 秀吉の台頭する段階では やはり同盟関係が基調だったのでは?


そういう場合にも:
★ 光秀と家康の関係はもっと掘り下げてほしかった
☆ というようにも思いますし あるいはまた 要するに両者は歳が離れていますので 家康は表向きだけでもへりくだった態度を取ったのではないかと思われますが。



★ なんだか光秀と家康の談合を匂わせるだけ匂わせて、ハンパに終わってしまいましたよね。
☆ あぁ なるほど。船の上で密談をしたという匂わせは たしかにきついですね。それが どうなったか。菊丸に思いを託した恰好になっていますが 果たしてどうか。・・・


★ あれでは、菊丸という忍を設定した意味がないじゃないかと。そこ、消化不良です(^^)
☆ たしかに。伊賀越えも もう申し訳程度でしたし。

(いや このような経過を考えると 談合も何もきちんとした中身のものは なかったようにも思われますね)。

(あっ 分かった。作者池端氏のあたまでは 光秀の反旗には周りの多くの人が賛成しているといった雰囲気を醸し出したい ということだったのだろうか)。

お礼日時:2021/02/09 03:54

★ 信長という怪物を創り出したのは光秀だったとかいう話も、くだらなかったですね。


☆ そうです。帰蝶のセリフでもありました。作った者が何とかすべし云々だとか。そういう傀儡だったのなら 初めから組まないでしょうよ。

これについては帰蝶が明智光秀をそそのかして信長討つべしと、
影で命じたとかいう話を過去にある本で読んだ記憶あり。

でも昔は濃媛は信長と本能寺で最後をともにしたという切り口の時代もありましたね。

つまり本能寺の変の時、濃姫はどこにいたかです。


一族郎党の生命を犠牲にして一人だけ生き延びて麒麟を追い求める、なんて幻想的なラストは、陳腐でシラケました。

これについては明智光秀が天海僧正となって徳川家康や春日局の前に
現れて、再会を喜ぶとか、


ありえないか。(笑)
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この回答へのお礼

◆◆ 信長という怪物を創り出したのは光秀だったとかいう話も、くだらなかったですね。
☆☆ そうです。帰蝶のセリフでもありました。作った者が何とかすべし云々だとか。そういう傀儡だったのなら 初めから組まないでしょうよ。


★ これについては帰蝶が明智光秀をそそのかして信長討つべしと、
影で命じたとかいう話を過去にある本で読んだ記憶あり。
☆ つまりたとえそうであっても まさか信長がこの帰蝶の・光秀の・あるいは間接的に道三の操り人形だったとは 考えられません と言っています。

影響を受けたこととロボットであることとは 別です。


★ でも昔は濃媛は信長と本能寺で最後をともにしたという切り口の時代もありましたね。
☆ 信長から多少の主体性をも取り去るという史観は ありなんでしょうか?

★ つまり本能寺の変の時、濃姫はどこにいたかです。
☆ 操り人形が 操縦不可能になった てな話なんですか?




◆◆ 一族郎党の生命を犠牲にして一人だけ生き延びて麒麟を追い求める、なんて幻想的なラストは、陳腐でシラケました。

★ ~~~
これについては明智光秀が天海僧正となって徳川家康や春日局の前に
現れて、再会を喜ぶとか、

ありえないか。(笑)
~~~
☆ 哲学はあらゆるものごとを対象としますが 哲学ではない想像の世界としての物語やお話についてはそれが どうして表現されたのか・何を表現したことになるのかなど探究してもよいというのであって それを哲学プロパーの問題だとはあつかっていない・・・と思います。

《ありえないか。(笑)》とすでにおっしゃっていますので もう何も言いませんが 史実をめぐる見方考え方と仮想の話とは分けて扱うものと思います。

お礼日時:2021/02/09 03:25

あのー、


実は、麒麟が来たの最終回で
光秀が本能寺の変の後、
山崎の合戦で負け、その後、小栗須といくのかとおもいきや、

がらり代わって、光秀をコマが人込みの中から見つけて
追っていくシーンあるでしょう。

あれ、見ていて、
先ほどの回答思いついたのですよ。

それによく英雄不死伝説で、よく話題になる一人が光秀なのです。

NHKはそれを題材にラストシーンを飾ったと思いますよ。

こういうのは貴方の要求する哲学的見方から外れていますか。

やっぱり、正史通り、光秀は小栗須で死んでもらわないとだめなんですか。

物の見方には表と裏があるということです。

義経の場合も衣川館の戦いで主従全員全滅が通常の流れですが、
実は何名か、留守をしていて現場にいなかった。

帰ってきたら、義経・弁慶死んでいた。

よし、仇討ちだということで、流れ流れて、数年経って
源頼朝を見事落馬させ、海中に引きずり込み、
見事首を絞めて殺して主君の仇を討ったという小説ありますよ。

これでも歴史は代えていませんよね。
頼朝は落馬で死んだことになっていますよね。

主従の衣川館の戦いのその後は、義経生存伝説で津軽・北海道・大陸などを舞台に騒ぐだけですものね。

細川は味方せず。
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この回答へのお礼

★ ~~~
光秀が本能寺の変の後、
〔☆ 三年後に〕
がらり代わって、光秀をコマ(駒)が人込みの中から見つけて
追っていくシーンあるでしょう。

あれ、見ていて、
先ほどの回答思いついたのですよ。
~~~
☆ あり得ないと思います。


★ こういうのは貴方の要求する哲学的見方から外れていますか。
☆ 私見が基準なのではなく 互いに自由に情報(その見解)を出し合っていけばよいと思います。

ただし 死んだのに生きていたというお話になるというのは 願望をあらわしただけぢゃないですか。

哲学すると――わたしが――言ったのは 《死んだ》ということになったとしても これこれこういう考え方からすれば 意義があるのだとか何とか そういったいろんな見方がお聞かせ願えればいいかなと思ったのでした。



★ ~~~
やっぱり、正史通り、光秀は小栗須で死んでもらわないとだめなんですか。

物の見方には表と裏があるということです。
~~~
☆ 史実を変えて捉える場合には それ相応の見解(史観?)に立っての話だと思うのです。――でも 基本は 《イフ》は無しで考えるのがよいと思います。イフによる見方は 《表と裏》の問題ではないはずです。表と裏の話は 《イフ無し》です。



★ ~~~
義経の場合・・・

よし、仇討ちだということで、流れ流れて、数年経って
源頼朝を見事落馬させ、海中に引きずり込み、
見事首を絞めて殺して主君の仇を討ったという小説ありますよ。
~~~
☆ 胸の痞(つか)えが取れますか? 

頼朝は 義経に対する態度として 成っていないと考えます。平氏討伐の功績をないがしろにしたら 統治者としての力量がゼロになります。


★ 細川は味方せず。
☆ 謀叛ないし裏切りに《味方せよ》と言うほうがおかしい。

お礼日時:2021/02/08 20:24

光秀は生きていた。

小栗須の戦いで死んだのは実は影武者だった。

天海僧正として徳川家康と再会。
徳川幕府の参謀として
再起。

ああ、こういう話はお呼びでないか。
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この回答へのお礼

はい。ざんねんながら お呼びでないです わたしには。

・・・



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2021/02/08 19:49

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