
人類は変わらないもので、大昔から「最近の若者はだらしない」と、言われてきた。
何千年も前の遺跡で「最近の若者はだらしない」と書かれた粘土板が見つかったとか、いった話を聞いたことがある人も多いかと思います。
が、これは本当の事なのでしょうか。
どこかの遺跡で、そういう碑文が見つかったと、誰かが言っていたという様な都市伝説じみた話ではなく、遺跡の名前や時代、記述内容を明確にすることができるのでしょうか。
ネットなどで見つかる話は、どうも都市伝説じみた伝聞ばかりで、具体的にどこで見つかったのやら不明なことが多いように思います。
思うのですが、「最近の若者はだらしない」と言われ始めたのは、その通り、最近の事ではないのでしょうか。
最近といっても100~200年は起源を遡れるかもしれませんが、それ以上は無理ではないかと思っています。
質問では、余裕をもって1000年としますが、
実際に、1000年以上前に「最近の若者はだらしない」と言われていた事を示す事例はあるでしょうか。あれば、お教えください。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
同じような疑問を持った方が、おどろくほど詳しく調べているようです。
それぞれが十分に読み応えのある文章を書かれていますので、検索して読まれることをおすすめいたします。清少納言が「ふと心劣りとかするものは」で似たようなことを書いているというのも見かけますが、読んでみると真逆で『いい大人の言葉遣いの悪いのを聞いて、若い人がいたたまれなくなるのはもっともだ』みたいな感じだったりしますねw
検索してみました。
確かに、良く調べている方がいるのだと感心しました。
古代エジプト人は…の出どころは柳田國男らしい、しかもそれはガセ、というのは実に興味深い内容でした。
同時に、実にいい加減な言説が、何の批判も受けずに流布しているのだなあ、とも思いました。

No.7
- 回答日時:
№6回答者です。
お礼のコメントありがとうございます。1.下記です。
なに事を言ひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにせんとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」など言へば、やがていとわろし。
2.日本の城の原点は古代中国にあると確信して、いろいろとネット検索したことがありますが、そのような写真や絵を見出すことはできませんでした。現代に残っている中国の古文書は写しを繰り返しており、古文書そのものが残っているのは墓など保存の条件を偶然満たした場所に限られると妄想してしていましたので、古代中国の戦乱での焼失は想像をはるかに超えていると妄想しました。
>なに事を言ひても、「そのことさせんとす」…
枕草子の、この部分を確認しました。
これは、「と」を抜く言葉遣いは、良くないと言っているだけで、それらは若者言葉であるとは書かれておらず、「最近の若者」と無関係です。ましてや「最近の若者はだらしない」という主張ではありません。
2.は、私の質問とは無関係に思います。
再度申し上げますが、「存在したが全部消失した」と言うのなら、それは「そのような遺跡はない(残っていない)」という事で、存在を示す証拠はない、という事です。少なくとも、「最近の若者はだらしない」と言われ始めたのは最近の事である、という説への反論にはなりません。
ここで再確認しておくと、この説への反例をあげる場合、昔の文献から「若者は〇〇だ」という内容を見つけただけでは不十分です、昔と違って(おそらくは当人の若い頃に比べて)、最近の若者は〇〇だ、という主張が必要なので、お間違えの無い様に。

No.6
- 回答日時:
そんなこと言っている連中はシッタカに多く、単なるバカで、昨年の今頃「マスクに予防効果はない。
」と言っていた専門家連中と同類です。枕草子に若者言葉の乱れを嘆いたくだりがあるようで、1002年のことです。
年寄りになると、最近の若い者は〇〇とか昔は良かった、という人が必ず出てきますが、これは太古の昔からあったと確信して良いと思います。
亡き父が、「人は、昔も今も変わらん。昔の遺跡にも、今の若いものは〇〇というのが残っている。」と良く言っていましたが、年寄りになってその理由がわかったような気がします。人の心は今も昔も変わらず、変わっているのは、その時代を取り巻く環境の違いによる倫理観や正義感に過ぎない、からだと思います。
少なくとも1000年前まではその類の文書が残っているのは事実で、これを更に過去に延長していくと、その当時の年寄りが「今の若いものは〇〇」と言っていただろうことは容易に想像つきます。大昔が違うのであれば、人の心は今と昔で変化しているということになります。
万物は諸行無常ですが、現代人が過去を見通すことができ、過去の教訓や名言などが現代人にも通用するのは、人の心の普遍性を大前提にしているためです。
遺跡の有無は、過去にさかのぼるほど文字で記録を残している一般庶民の数が減るのと、竹簡や紙は年月とともに朽ち果てるだけではなく相次ぐ戦乱により焼失してしまっている可能性が高いからだと思います。
>枕草子に若者言葉の乱れを嘆いたくだり
具体的にどの部分でしょうか。これが『ふと心劣りとかするものは』であれば、そのような事は書かれていない事が分かります。
>年寄りが「今の若いものは〇〇」と言っていただろうことは容易に想像つきます。
想像することは自由ですが、
取りあえず、昔の人が言っていたかどうか別にして、「昔の遺跡にも、今の若いものは〇〇というのが残っている」かどうかが質問です。
言っていたけれど全部消失した、と言うのであれば、それは「そのような遺跡はない」という結論で良いと思います。
No.4
- 回答日時:
「最近の若者はだらしない」が1000年以上前からなのか?
という疑問には既に他の御回答者が答えておりますので、私は、なぜそういう若者批判が起きるのか。について考えてみたいと思います。
ヒトは誕生後の心身の成長に伴い、反抗期が訪れます。ある意味、独立に向けた親離れへの準備です。
最大が思春期における反抗期で、これは社会的独立に向けた最終段階で、親だけでなく大人たちが力を持っている社会全体に向かいます。
大人たちや社会が望むことに反抗するだけでなく、自分たちだけが共有できる新しいものに走ったりします。
その中で優れたものが、その若者たちが世に出るころには新しい文化として社会の流れのひとつとなり、社会を少しずつ変えていくことになります。
人類の社会史はその繰り返しであったと思われます。
これを古い大人たちの価値観からみれば「最近の若者はだらしない」という嘆かわしい状況の実態でしょう。
そして、その若者たちが「古い大人」になったときに、そのときの若者たちに向けて繰り返す言葉になる。そういう寸法です。
ここは、むしろ何故昔の人は、「最近の若者はだらしない」と思わなかったのか、を考察すべきでしょう。
貴方の説ならば、昔の人も「最近の若者はだらしない」と思う筈なのに、そうした記録が残っていない。何故なのか、と。
自信があるわけではないですが、「最近の若者はだらしない」というのは、実は近代思想じゃないかと疑っています。近代には社会は変化する、進歩するという考えがある。だから「最近の若者」という概念が生まれてくる。
近代以前、人々は世の中は全く変化しないと考えます。当然、「若者」はいつの世も変わらない事になり、最近の若者がだらしない筈などない、昔から同じ、という事になります。
また、前近代を生きる人々の価値観は、それこそ岩盤の様に強固でゆるぎないもの、「古い大人たちの価値観」などではない、価値観は唯一絶対のものです。
別の価値観など想像もできない。自分たちの価値観に反するものは、悪であり、そもそも理解不能な存在です。「最近の若者はだらしない」ではなく、若者という属性と無関係に、特定の個人を指し示し、だらしない奴、怪しからん奴がいる、という事になるのではないかと思います。
No.3
- 回答日時:
No.1
- 回答日時:
回答ありがとうございます。
しかし、具体的な書名などが殆どなく、こういうのが都市伝説じみていると言うわけです。
#3の記事からみると、これらは怪しいように思います。
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回答で紹介してもらったサイトを見てみたりしましたが、やはり「最近の若者はだらしない」と言われ始めたのは最近の事である、という考えが強まりました。
こうした俗耳に入りやすい言説は、面白がるより先に、ちゃんと根拠を調べてみるべきなのでしょう。