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私の質問に対して、tanzou2様から下のようなご回答を賜りました。

<仏教における悟り、ってのは
結局は「我欲」を捨てることです。

だから、自分やその周辺のことしか
考えていないのは、我欲に囚われており
まだ悟っていない、ということに
なるのでしょう。

人類のことばかり考えているのは、
我欲が無くなり、遂には自我が無くなって
しまった、ということでしょう。>と。

質問は、仏教では自我が無くなることは、褒められることなのですか? あるいは、いけないことなのですか?

A 回答 (6件)

自我がなくなれば自分が無くなってしまうことなので、


死んだも同然です
自我はあっていいし欲もあって当然なんですが、それに
執着するのをやめることです

だからたとえば、食べたいものがあってそれがあれば食べて
美味しいと感じるけど、なければそれも良しとして、無理に
それを求めようとしない状態です
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この回答へのお礼

早速のごかいとうありが死んだも同然ですとございます。
<自我がなくなれば><死んだも同然です>ですね。
自我に<執着するのをやめることです
難しい行い・態度・心構えですね。

お礼日時:2021/03/20 15:28

自我であれ、強欲であれ、無欲であれ、



有っても良し。
無くても良し。

あれも良し。
これも良し。
それも良し。

何もかも、全て良し。

何かを悟れたつもりが、悟れない。
悟れなくても、悟れる。

誰も、何も、悟れない事が、悟れる。

それは、この世が、対のせめぎ合いだからで有る

森羅万象、此の世の全ては、極めると逆転する。
これを、究極の自然哲学【陰陽逆転の法則】と呼ぶ事にしました。

BY 逆転地蔵


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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2021/03/21 15:20

仏教の究極の悟りはとは「色即是空」です。


そこには自我というものすら空虚であることが指し示されていますが、決して自我を捨て去れということではありません。
自我への執着こそが虚しいに留まらず、それを捨て去ろうとする執着もまた同様に空虚なことであるというものです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<決して自我を捨て去れということではありません。>
<自我への執着こそが虚しい>のですね。

お礼日時:2021/03/21 15:19

No.3です。



><基本的には、自我が無くなる事はない。>のですね。

自我、、、言いかえれば、自身の『生命』の事ですよ。

><低俗な自我>と<高い次元での自我>があるのですね。

そうではなくて、前回の回答の『十界論』を良く理解してください。
具体的に、<低俗な自我>と<高い次元での自我>があるわけではなく、その瞬間瞬間で命の有りようは変化して行きます。
俗に、六道に対して上の4つを『四聖』と言います。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
くどいようですが、自我は低俗なレベル・状況と高い次元のレベル・状況との間を振れており、無くなることはない、ということですか?

お礼日時:2021/03/21 15:16

>質問は、仏教では自我が無くなることは、褒められることなのですか? あるいは、いけないことなのですか?



一つに、『自我』の捉え方にある。


>人類のことばかり考えているのは、
我欲が無くなり、遂には自我が無くなって
しまった、

ここでの自我というのは、良くに縛られた低俗な自我がなくなり、高い次元での自我が形成される、、、という意味。

良く、人間は『六道』を抜けられないとされています。
その六道を突き破り、菩薩道、仏として衆生(人間)に利益を与えていく事こそ、人間として崇高な生き方であるとされているのです。

基本的には、自我が無くなる事はない。


参考:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<基本的には、自我が無くなる事はない。>のですね。
ただし、<低俗な自我>と<高い次元での自我>があるのですね。

お礼日時:2021/03/20 19:20

いけない事です。



ひょっとして ”煩悩” と勘違いされていませんか。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<煩悩>は我欲に近いと思っていました。

お礼日時:2021/03/20 18:08

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