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仏国土というのはどこにあるのでしょうか?
六道と同じ世界の中にあるのでしょうか?

そもそも、インド人は天界や地獄を、私たちの住むこの宇宙の中にあると考えたのでしょうか?
少なくとも畜生道はこの地球上にありますよね。ということは、神々や、地獄の住人たちも、この地球のどこかにいて、ことによると人間と接触することがあると考えていたのでしょうか?
その距離感はどのくらい?
現代的なたとえで言うと、外国くらい?別の惑星くらい?別の銀河くらい?

どうも仏国土は六道輪廻の思想とちょっと違うと感じるのです。

岩波文庫「浄土三部経」の無量寿経によると、阿弥陀仏の仏国土に生まれたものは、
・地獄、畜生、餓鬼、修羅道に落ちる者はない(第2本願)
・無限の寿命を持つ。ただし誓願によって寿命を短縮するものを除く(第14本願)
・もう一生だけこの世に縛られる。ただし誓願によって衆生を救おうとするものを除く(第21本願)

もともとインド人は、神々ですら死すべき運命にあり、輪廻からは逃れられないと考えたのですよね。
しかし、この本願によると、阿弥陀仏(すなわちブッダ)は神々や輪廻の法則も超えた力を持つということです。
無量寿経の成立は1世紀ごろということですが、いつの間にこんな思想が生まれたのでしょうか?

第11本願:この国土に生まれたものはいつかは必ずパリニルヴァーナに至る
ということは、仏国土にいる間も悩みや苦しみはありそうです。
このことと、神と人の区別がないということ(第4本願)から、仏国土は六道の外ではなく、天界に属するとは考えられないでしょうか?

A 回答 (8件)

私たちの住んでいる娑婆も仏国土の一つですね。


だから「此処にある」と言えます。

我々の娑婆の西隣にある仏国土は阿弥陀如来様の極楽世界ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「私たちの住んでいる娑婆」とは日本のことですか?地球のことですか?宇宙のことですか?
それが分からないとその「西隣」もわかりませんので…

お礼日時:2012/11/26 10:48

#6の者です。



>1と2に論理的なつながりがありませんし、

私の考えで申し訳ない限りですが、ご質問の追補のようですので;

最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事に
よって生じています。
自我仮説(時間の流れ)と時空仮説(空間の広がり)の相補分化。
そこへの無の射影こそ量子性(時間軸と空間軸が虚数関係にある事
により等距離点に0の面(界面原点)が生じる<時空性の無への還元)。

そうした自分の影に怯えず(=他律的生「欲や執着を去り」)、自律的
に生きれば、全てのものは、あなたが存在するための補完(物理的
根源にまで遡った)なのです。
世界は、あなたの自己存在の本質に根差した意志を、予め充たして
いるのです。
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 こんにちは。



 ブッダター(仏性)というのは 霊ですよ。
 まぼろしです。

 まぼろしを実在と見てしまうなら・またそう説くなら それは まやかしです。 
 実在ではないと規定するのも 勇み足です。まぼろしなのですから。

 霊で我慢しないなら どこまでもシンキロウを追いかけることにしかならない。

 つまり仏国土や浄土という概念は要らないというまでになるための修行の道として 浄土や仏国土という言葉があります。
 そのように言えなかったゴータマは 阿呆でありペテン師です。

 神あるいは霊については すべて まぼろしです。
 まぼろしをつかもうとするのは まやかしです。
 わが心の《非思考の庭》においていだきます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

他の回答者さんのお礼にも書いていますが、
1世紀インドの無量寿経を書いた人やそれを信じた人の立場からの
説明でないと私の疑問は解けないのです…

そもそも、仏国土という観念自体がゴータマの思想とかけ離れていますよね。

お礼日時:2012/11/26 11:08

畢竟、凡ての楽園は心の内に生ずる。


欲を去り、執着を捨てれば、自ずとあらゆるものは己を全うする糧となる。
(悟れば楽園に「行ける」という教えは、それを分かりやすくした比喩で)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

他の回答者さんのお礼にも書いていますが、
1世紀インドの無量寿経を書いた人やそれを信じた人の立場からの
説明でないと私の疑問は解けないのです…

psytexさんのお考えにも興味がないではないのですが、

1.畢竟、凡ての楽園は心の内に生ずる。
2.欲を去り、執着を捨てれば、自ずとあらゆるものは己を全うする糧となる。

1と2に論理的なつながりがありませんし、2はどのように根拠づけられますか?

お礼日時:2012/11/26 10:59

つづきです。



かなり複雑な概念のからまった事柄に関するご質問ですので
正直役不足であり、また有益さも感じません。

ですので、個人的見解を述べるにとどめます。

>この国土に生まれたものはいつかは必ずパリニルヴァーナに至る

”この境地に達したものはいつかは必ず涅槃に至る”が正しいと思います。
この境地とは、預流果、一来果、不還向などです。

そして、「この境地とはどんな境地か?」を説明するのは難しく、比ゆ的に仏国土としたものと推察します。

>少なくとも畜生道はこの地球上にありますよね。ということは、神々や、地獄の住人たちも、この地球のどこかにいて、ことによると人間と接触することがあると考えていたのでしょうか?

エネルギーのパターンが違えば、隣に居ても全く別世界に生きるような感覚も起きてきます。
例えば、洞察力が高い者の行動は低いものから見れば予知能力者のようでしょう。

そういったエネルギーのパターンの似た者を神々や地獄の住人などと呼ぶのだと思います。

すぐ近くに居ても、観えるものが異なるならば別の世界に生きていると言う方がしっくりきます。

つまり、距離という概念を超えて重層的に存在するのだと思います。

梵天はすぐ近くにいながら絶望的に我々からは認識・接触できない。
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皆さんの気に障ると思いますが、ごめんなさい。



誰が頭の中ででっち上げたかもわからない戯言を、詳しく調べても無意味だと思いますよ。
そもそもが、インドや中国のおとぎ話から出た概念でしょう。
例えば、かぐや姫や、一寸法師の世界を、まともに信じるのと同じレベルじゃないですか。
「かぐや姫の月のお城は、月のどこにあるんでしょうか?」
あなたはこの質問をどう思いますか?

まず、六道やら、仏国土やら、天界やらを、実際に見るか体験したのは、一体誰ですか?
その人の氏名をご存じですか?
お釈迦様本人なのか、それとも後年の僧侶達ですか?
どこの国の僧侶ですか?
その人達の話は、本当に信用できるのですか?

仏教を信じるなら、魂の輪廻が本当にあると信じるだけで十分だと思いますよ。
そして、八正道を実践して、自分自身が悟りに一歩でも近づく様に努力すればいいのです。
仏教学か、民俗学などを研究したいというのなら、話は別ですが、そうでなければ、無駄な遠回りをしているだけじゃないでしょうか。
そんなことを研究して、一歩でも悟りに近づくのでしょうか?
少なくとも、私は、漠然とですが、少しずつでも悟りに近づきたいと思っていますよ。
仏滅時には、500人の阿羅漢がいたと言うではありませんか。
絶対に不可能と言うことはないと思います。(そうじゃないかな~)

あなたの夢を壊すような事を言って、ごめんなさいね。

最後に、宜しければ教えて下さい。
不勉強で済みませんが、そのような概念は、どの宗派のものですか?
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この回答へのお礼

他にご回答くださる方のためにも、私の立場を明らかにしておいた方がいいと思い、取り急ぎ書かせていただきます。

まず私の信心はほぼ確立しています。
それは浄土宗・浄土真宗に似ていますが、違う部分もあることが、今浄土教について調べていてわかってきています。

私の質問は、思想史的質問と神学的質問が混在していますよね。
前者は、「浄土三部経を作り出した人々はどんな世界観を持っていたのか知りたい」という興味からきています。
後者は、「その人たちの世界観に基づけば、仏国土はどのように説明されるか」という興味です。

>「かぐや姫の月のお城は、月のどこにあるんでしょうか?」
>あなたはこの質問をどう思いますか?
いやあ、実に興味深いと思います。
それをなんらかの文献等をベースに論じた説があれば、聞いてみたいと思います。
宗教でなくとも、フィクションの細部をまじめに考察するシャーロキアンのような人たちもいるではないですか。

お礼日時:2012/11/24 19:53

>仏国土というのはどこにあるのでしょうか?


>六道と同じ世界の中にあるのでしょうか?

浄土教の概念とは違いますが、、、

仏国土というものは、貴方の胸中にあります。
そして、貴方が仏教を信奉して生きる、この世が仏国土になります。

その上で、先ず『十界』を学びましょう。

・地獄界
・餓鬼界
・畜生界⇒以上三悪道

・修羅界⇒以上、四悪趣

・人界
・天界⇒以上、六道

・声聞界
・縁覚界⇒この二つを、二乗

・菩薩界

・仏界

以上、十界となります。

そして、六道までの境涯をさまよう事を『六道輪廻』といいます。

この十界は、人間の生命(命、心、魂、念心など)に包括して存在し、瞬間瞬間に縁によって変わっていくものなのです。中国:天台大師はこの十界を“一念三千法門”として展開しております。

そして、その生命状態は、貴方自身の相や動作に直接的に結びついており(色心不二論)、地域や社会環境とも関連しているのです(依正不二論)。ですから、言い換えれば、貴方が置かれている地域社会や環境は、貴方の生命状態の上で展開されていると言えるでしょう。

また、阿弥陀仏とは釈迦仏教の中で、西方に位置する仏とされています。ですから、浄土経では『西方極楽浄土』を説きますが、この教え自体は仮の教えであり、釈尊出世の本懐である『法華経』へと導くためにあります。法華経では、仏成の為の法である『妙法蓮華経』を説き現し、この法に帰依する事こそ、成仏の根幹とされたのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

天台宗の思想からのお答えですね。
私が質問の意図を明確にしておかなかったのが悪いのですが、No.3さんへのお礼にも書いたように、私は浄土三部経を作った人々がどう考えたかに興味があります。ですので、残念ながらいただいたお答えは私の疑問を解決してくれません。

十界の考えはいつごろどこで成立したものでしょうか?

>仏国土というものは、貴方の胸中にあります。

ダンマパダの最初にあるように「すべては心が作り出したものである」。
私個人は同意します。

>そして、貴方が仏教を信奉して生きる、この世が仏国土になります。

これも天台宗の公式見解なのでしょうか?

お礼日時:2012/11/24 20:09

>もともとインド人は、神々ですら死すべき運命にあり、輪廻からは逃れられないと考えたのですよね。



そのとおりです。

ただ、神や六道という言葉を使うと、言葉の定義が宗派で様々なため混乱します。
ですから、神とは一定の性質をもつエネルギーの塊、六道とはエネルギーの塊を性質ごとに大まかに区分けしたものと表現したいところです。

仏国土も定義が様々ですから、仏教国の領土の意味から梵天界の世界まで意味は様々です。

つづく
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>仏国土も定義が様々ですから、仏教国の領土の意味から梵天界の世界まで意味は様々です。

まったくその通りだと思います。
私としては1世紀インドで仏国土という言葉がどう理解されていたのか、
どのようにしてその概念が形成されたのかを知りたいと思っています。

つづきも楽しみにお待ちしています。

お礼日時:2012/11/24 20:24

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