古代日本における水の精霊の原初のイメージとはどのようなものだったのでしょうか?
私は神話学を学んでいました。
『古事記』などの日本神話には、水の精霊はしばしば蛇のイメージで語られています。
「ミズチ」や「オロチ」などのように。
それは、実りの慈雨をもたらす雷神と結びつきます(「イカヅチ」)。
このように、水の精霊を表す言葉には多く「チ」がつきます。
おそらく「チ」は、水の精霊そのものではなく、生命力の源泉(「イノチ」「チ(血)」と関連付けられていたのでしょう。
こうした水の精霊(蛇)に対する基層信仰は、中国の龍と結び付き、一方仏教が伝来して、観音信仰にも発展して、原初の形が失われたと想像されます。
ここまでの流れで、何か補足や訂正がありますか?
また、古代の水の精霊に対する信仰を学ぶ際に必要な文献や、ここへ行けという、場所があればお教えください。
便宜上「精霊」という言葉を使いましたが、なにやらキリスト教っぽくなってしまい、あまりいい言葉ではないことは承知しています。ですが、「水の神」「水のマナ」という言葉もしっくりとこないので、アニミズム(精霊信仰)を意識して「精霊」という言葉を使いました。
最後に、「カグツチ」は火の神ですが、以上の話とどう関係しますか?
おそらく、落雷で火事が起こることから、「イカヅチ」と関連付けられた名前のように想像されますが、この解釈でいいですか。
No.1
- 回答日時:
古事記の範囲だと、水を聖なるものと関係深いという発想があるようには思えないのですが、
> 『古事記』などの日本神話には、水の精霊はしばしば蛇のイメージで語られています。「ミズチ」や「オロチ」などのように。
古事記の本文の方の記載では遠呂智、日本書紀仁徳67年の記載では大虬がありますが、聖霊?saint的イメージというよりは邪的イメージです。 慈というよりも悪に近いです。
日本書紀仁徳67年の記載では、虬は水の抵抗に負けてしまうのですから、水の神ではないのでしょう。
こうしたことが、仏教が伝来する前と後で大きく変わったのか、それほどの変化はなかったのか、分かりません。
発音の「ち」は、表記で「智」や「血」が結構多く、「智」は神の名の最後に使われることが多いので、もしかすると、発音の「ち」は、偉大・強い・尊いという感じを表す音だったのかもしれませんが、水(みず)や血(血液)は、汚れを落とす、犠牲に捧げるなど穢いものとの関係が深いこととして古代にはイメージされていて、尊貴偉大とは離れていたのではないでしょうか。
カグツチは、古事記だと「迦具土」で、「次に火之夜藝速男神を生みき、亦の名は火之舷毘古神と謂ひ、亦の名は火之迦具土神と謂ふ。この子を生みしによりて、みほと炎かえて病み臥せり」となっていて、「火之」を前につけてようやく火の神になるし、出産で死ぬことになる元凶のように書かれています。 そして「火之迦具土神」についての解釈は「火で肉が焦げて臭い素が辺りに散って、それを嗅ぐ」ということのようです。 ちっとも神々しくはなく、嫌な感じです。
イカヅチというか、古事記だと、建御雷之男神というのが出てきますが、それ以外に、「蛆たかれころろきて、頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒笛居り、陰には拆雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、併せて八はしらの雷神成り居りき」という記載も出てきます。 漢字で「雷」と書くと、どうしても「空気中の電気現象・カミナリ」をイメージしてしまいますが、古事記を記載した当時にはまだ、[雷≒鬼や蛇のような怖いもの≒神]というイメージだったのでしょう。
詳しい解説をありがとうございます。
日本の古神道の考え方は、人々に災いをもたらす(悪、邪<よこしま>)ものを祀ることで、人間に福徳をもたらす、という発想があります。
祟り神を守り神に転換するという構造は、『常陸風土記』の蛇の話(うろ覚えで書いているので、細部に誤認があるかもしれまでん)や、菅原道真の北野天神に見られる御霊信仰までずっと一貫して続きます。
ですから、そこは矛盾ではないと考えます。
「チ」を水の精霊とする説は、ほとんど私の直観ですが、いまウィキペディアを調べたら、「『広辞苑』でも「水の霊」の意だと説いており、古例でもあげた「河の神」と同様視する考察もある。」という記述がありました。
私見では、『日本書紀』は『古事記』と共通する原資料を国家主義(天皇中心主義)的に変えてしまったり、後代の解釈で古義を改変しているところが多くあります。特に神名など。
>日本書紀仁徳67年の記載では、虬は水の抵抗に負けてしまうのですから、水の神ではないのでしょう。
というのは、いかにも人為的な改変が考えられます。口碑として伝承された原型からはかなり隔たっているのではないでしょか。
カグツチですが、これは女性の陰部(ほと)の語源「火処(色から連想、ただし「火処」と書かれた文献はない(たぶん))」から発展させた話で、女性が出産による産褥熱で亡くなることもあり、このことと関連付けて作られた話で、カグツチがもともと邪悪なイメージはなかったと考えています。
イカヅチの原型は雷神ではなく、「古事記を記載した当時にはまだ、[雷≒鬼や蛇のような怖いもの≒神]というイメージだったのでしょう」というのは、傾聴に値する意見です。
レベルの高い回答をありがとうございました。
大変満足しています。
私の返答に対してご意見がありましたら、またご教示ください。
No.2
- 回答日時:
> 私見では、『日本書紀』は『古事記』と共通する原資料を国家主義(天皇中心主義)的に変えてしまったり、後代の解釈で古義を改変しているところが多くあります。
特に神名など。 《日本書紀仁徳67年の記載では、虬は水の抵抗に負けてしまうのですから、水の神ではないのでしょう。》というのは、いかにも人為的な改変が考えられます。口碑として伝承された原型からはかなり隔たっているのではないでしょか。古事記と日本書紀で内容にも記述の仕方にも大きく違いがあるのは確かですが、日本書紀仁徳67年の記載内容が人為的な改変であると感じるのがどのようなロジックなのか、見当がつきません。「口碑として伝承された原型」がそもそも存在するのかも不明です。少なくとも古事記にはないです。 河川は暴れるものであり、この時代の人にとっては、河の被害を減らすことは関心事で、日本書紀仁徳67年の記載内容は「県守淵」の縁起話し、「百舌鳥耳原」の縁起話しで、全体としては、各地に仁徳の関係先由来を描けばいいだけだったように思えます。 少なくとも、口伝や伝承を「国家主義(天皇中心主義)的に変えて」とは思えません。
柳田国男が指摘しているらしいのですが、浮沈で判じる話しは、河の害から村落を守るときの(昔からよくある伝承)らしいです。日本書紀の仁徳11年、67年も、そういう伝承を取り込んだだけということで、「国家主義(天皇中心主義)的に変えて」というものではないと思います。
なお、蛇は古事記にはあちこちに出てきます。狭穂毘売、豊玉毘売、須勢理毘売、活玉依毘売、どういう訳か、女性と蛇はセットで出てくるようです。小さな蛇が出てくるような気がします。 考えてみると、世界に広く女王の蛇のような図もあるようです。 大きな蛇・龍と、手にすることができる程度の蛇はなにか違うのかもしれません。 考えてみれば、大蛇が生存するのは密林のようなところで、小型の蛇はそこらのヤブや穴、床下、屋根などにいて人類にとっては身近な生物だったのですから、これに神秘を感じるとすれば、脱皮することくらいではないでしょうか。
> カグツチですが、これは女性の陰部(ほと)の語源「火処(色から連想、ただし「火処」と書かれた文献はない(たぶん))」から発展させた話で、女性が出産による産褥熱で亡くなることもあり、このことと関連付けて作られた話で、カグツチがもともと邪悪なイメージはなかったと考えています。
次のような説明もあります。
http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/hinokagut …
別名の「夜芸速男」「炫毘古」が人格的な呼称であるのに対して、「迦具土」は自然的で原始的な神霊観に基づく呼称とする指摘があり、神名の成立は「迦具土」の方が古い神名とする説がある。
「迦具土」のカグは、カガヨフ・カゲ・カグヤ・カギロヒなどに共通する語と捉えて、光や火がほのかにちらちら揺れることを表すとする説がある。輝くの意とする説もあるが、カガヤクの上代の語形はカカヤクと清音であったため、それとは異なるとする批判がある。また、香わしいの意として、物が火に焼けるとにおいを発することによる名前とする説がある。
臭い・匂いで、「くさい・いい香り」のどちらもあるのでしょう。 でも、古事記には、天香山(あめのかぐやま)は出てきます。 この「香(かぐ)」の用例があるのに、「迦具(かぐ)」と表記するのは、イイ・ワルイで区別しているとすれば、人肉・死体を焼くような嫌な臭い、邪悪に近いのではないでしょうか。
なお、古事記にも、たくさん「水」についての記述がありますが、どれも、いわゆる水の利用や性質に関わるもので、汚れ・穢れを落とす利用を超えた神秘的な存在というようなことは見当たらないです。 酒とか火とか岩戸・岩位とかに並ぶような特別性は、水には感じていないように思います。
まともに研究しているのではなくて、野次馬的な関心で、勝手なことを書いているのですから、その程度の受け止めをしてください。
長文の丁寧な回答をありがとうございます。
私見ですが、天皇の万世一系は「神話」で王朝交代が何回か起こっていると考えています。6世紀以降の天皇家の系図はある程度信用できると考えていますが、武烈天皇と継体天皇で一度、切れており、そうなると、5世紀以前も怪しいということになると考えられます。私見では、5世紀以前には大王クラスの大豪族が北九州、近畿、吉備、関東に割拠していて、近畿地方の勢力が各地方の大豪族を倒して、しだいに統一政権が形成されたと考えています。地方の大豪族とは、具体的には筑紫の国造磐井や北関東の毛野君、吉備臣などヤマト政権に乱を起こしたとされるグループで、敗れた側が結果として国造という地方官に任命される形をとります。
日本書紀仁徳67年の記載では、吉備中つ国(備中)に県守の名前が見えますが、県(あがた)というのは、大王家の直轄地のことです。県は大王家の水取や掃除などの内廷機能を果たすところで、近畿地方から遠い岡山県に県が置かれたというのは、奇妙な話です。これは、かつては、ここに大王クラスの大豪族が本拠を置いていた証左と考えます。
事実、この備中国には造山古墳などの巨大な前方後円墳が5世紀に造られています。この5世紀の時代、大陸から土木技術が伝えられ、横穴式石室を備えた巨大古墳が造られます。おそらくこうした技術が治水にも生かされていた。治水で民衆を動員する力が吉備や河内(伝仁徳天皇陵がある)の大王クラスの権力基盤となったことは間違いないでしょう。
さて、この仁徳67年の虬の話は、暴れ川を虬に仮託した説話で、この地を治めた大王(あえてこの表現を使います)の笠国造の祖が高梁川の治水に成功した史実が背景にあるかと思います。
そういうわけで、王権の権威を誇示する意図が当初にはあったと考えれることから、この伝説は民間レベルの口碑というよりも、天皇中心主義的な要素が大きいと考えられます。繰り返しますが、ヤマト政権の大王を輩出した地域は、畿内の狭いエリアではなく、関東から吉備、北九州に及んでいたというのが自分の史観です。持ち回りの輪番制なのか、戦国時代のような群雄割拠なのかはわかりません。
以上、長文を失礼しました。
ほかの案件は時間をかけてゆっくりと考えてみます。あなたのような博識の方とやりとりできて、楽しいです。
ありがとうございました。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
> 私が興味を持つのは、「オロチ」「ミズチ」「カグツチ」「イカヅチ」という呼称が使われ出した、『古事記』成立よりももっと古い古層にあった古代人の精霊(神)観念です。
これを研究するのには、『古事記』よりも『万葉集』や『祝詞』を調べるほうがいいかもしれません。祝詞の成立は8世紀頃らしいですし、とにかく残っているのは新しいものなので、調べるのには向いていないでしょう。
古代の祝詞で分かるのは延喜式(10 世紀)所収の祝詞(延喜式祝詞)で、その延喜式祝詞には、律令制以前、律令制形成期、平安初期の三つの成立時期が想定できるのだそうですが、日本書紀には7世紀の675年天武4年の夏4月に、十日(癸未)に、小紫美濃王・小錦下佐伯連広足を遣わして、風神を竜田の立野に祠
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>これに神秘を感じるとすれば、脱皮することくらいではないでしょうか。
蛇を神聖視するのは、蛇が捕食するカエルなどは水辺に生息するので、蛇も湿地帯に棲むことになる。その容姿もあいまって、そんなところから、蛇は水神と結びつき、中国思想が取り入れられて龍に発展した、という解釈です。昇り龍というように、上昇気流から発生した雲を龍に見立てているケースが多いように見受けられますが、これも蛇→龍が水や蒸気と関係するから当然の成り行きだと考えます。
こんな感じで考えていたのですが、あなたの仰る脱皮は重要な視点ですね。これを古代人は死を再生のシンボルと捉えていたから神聖視されていた、というほうが正解かもしれません。調べれば、ユングなどが書いていそうです。それに対して、「女性と蛇はセットで出てくる」は蛇を男性器のシンボルと考えるフロイト的な解釈ですね。
カグツチの解釈は、光や火がほのかにちらちら揺れることを表すとする説に興味を惹かれます。
ニニギノミコトの子のホアカリ、ホスセリ、ホオリの3兄弟ですが、私見では、これは火が点いて消えるまでの3つの状態を神名にしたと考えています。ポッと火が点って明るくなった状態(ホアカリ)、火が勢いを増して燃え盛る状態(ホスセリ)、火の勢いが弱まって消えそうになる状態(ホオリ)です。なぜ、火にこだわりか、というと、本来この神名は、天皇家の祖先は火の中から生まれたという英雄誕生譚から派生したものの名残と考えるからです。これは、カグツチ誕生神話と共通するもので、同じ原型から分かれた、本来は同一の神話の残滓と考えています。天皇(大王)の一族を「ひのみこ」とも呼ぶのは、「日皇子」よりも「火皇子」が原義に近いと思います。
>なお、古事記にも、たくさん「水」についての記述がありますが、どれも、いわゆる水の利用や性質に関わるもので、汚れ・穢れを落とす利用を超えた神秘的な存在というようなことは見当たらないです。 酒とか火とか岩戸・岩位とかに並ぶような特別性は、水には感じていないように思います。
これは重要なご指摘ですね。確かに『古事記』(及びその原資料)がつくられた段階では、水そのものに対する信仰は、薄れてしまっていると言っていいでしょう。私が興味を持つのは、「オロチ」「ミズチ」「カグツチ」「イカヅチ」という呼称が使われ出した、『古事記』成立よりももっと古い古層にあった古代人の精霊(神)観念です。
これを研究するのには、『古事記』よりも『万葉集』や『祝詞』を調べるほうがいいかもしれません。
私がこの質問をした意図を書かせてもらいます。私は旅が好きで、地方のマイナー観光地に行きます。たとえば磐,座などを祀った神社などに行くと古代人の神観念がうっすら見えてくるような気がします。龍についても興味があるのですが、なんか中国思想にアレンジされてしまって、古代人の心性に
マッチしない印象を受けます。その土地(聖地)の聖なるものに触れるには、水や石(岩)に対する古代人の思いを追体験する必要があると考えるのです。そのために『古事記』や『祝詞』を出したのですが、やはりちょっと違うような違和感を抱きます。
古事記』や『祝詞』も天岩戸は出てきますが、石や岩に対する直接的な信仰とまではゆかない。それは時代的な理由もあるのでしょうは、民衆レベルの信仰に降りてきていずに国家祭祀のレベルでしか書かれていないことも一因かと思います。
私の大学時代の恩師は蘇我石川麻呂の解説で、古代人は石に対する恐れを抱いていた、という言葉が印象的でした。このように人名や神名などの固有名詞からしかたどれないのかもしれないけれど、何か他に方法はないかと思って質問した次第です。