ろくな地図もない時代にどうやって決めたのでしょうか?
「地理的なまとまりで決まったのでは」という考えもあるでしょうが、信濃の国など北の善光寺平(現長野市周辺)と南の伊那谷(伊那市、飯田市など)では距離的に遠いので、都の権力階級の者であれそこの住民であれ、当時の人が一つの国として認識するには無理があったと思うのですがどうでしょうか?
信濃いついては都から遠いので適当に決めたんじゃないかという考えもあるでしょうが、そうであるなら同じように都から遠い安房、下総、上総はそこまで分ける必要があったのか疑問に思います。
どなたかご存知の方がいたら教えてください。
を一つの国として認識する
A 回答 (8件)
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No.8
- 回答日時:
『古事類苑』の中に、令制国の国境確定に関して、次のような資料が収録されていました。
原典は『日本書紀』ですので、『国史大系』版の『日本書紀』で確認をしてみましたが、間違いなく日本書紀にも記載されていました。古事類苑の記述をもとに、必要と思われる部分を日本書紀の記載で、カッコ内に追記しました。古事類苑 地部一 定国堺
日本書紀 二十五 孝徳
大化二年(646年)八月癸酉、詔曰〇中略〇今発遣国司幷彼国造可以奉聞、〇中略〇宜観国々壃堺、(或書。或圖来奉示.国県之名,来時将定。)
日本書紀 二十九 天武
十二年(683年)十二月丙寅、遣諸王五位伊勢王、大錦下羽田公八国、小錦下多臣品治、小錦下中臣連大島、幷判官、録史、工匠者等、巡行天下、限分諸国之境堺、是年不堪限分、
十三年(684年)十月辛巳、遣伊勢王等定諸国界
*なお、伊勢王は孝徳朝から活躍が見える人物です。羽田公八国・多臣品治は壬申の乱の功臣として名高い人物です。
この記述が、どこまで実態に即しているのか、また、孝徳朝の例は、国造が登場しているので令制国の国境なのか、国造国の国境なのかははっきりしませんが(定説では令制国以前の国境とされています)、天武朝の例については令制国の国境確定とされていますので、国境画定に中央から派遣された人物が関わったことが知られます。多くの令制国の国境は、国造の持つ領域を統合や分割した結果でしょうが、令制国としてのまとまりにするためや、国境を確定するのには、中央の意向があったことになります。統合・分割するにしても、国造の支配する領域が厳密な境を構成していない場合もあるでしょうし、中央の思惑もあり、中央から派遣された者が、山や川などの自然境界により、令制国の境界を新たに確定したこともあったのではないかと想像されます。
例えば、吉備のように、中央がその勢力を恐れ、最終的に備前・備中・備後・美作の四国に分割されたとされている地域もあり、令制国の成立には、中央の意向が大きかったように思います。
また、大宝律令成立後になりますが、信濃国のように、諏訪地方が諏方国として独立し、その後再度信濃に合併した国もあります。同じ例としては多禰国がありますし、安房国のように、上総国との間に合併・独立をした国もあります。安房は現在からみるとそれほどの経済力を持っていたとは思えませんが、当時の国の格付けとしては四等級中の三番目の中国で、それなりの力があったことになります。
しかし、国境画定に関する記述は以上の孝徳天皇・天武天皇の時代のものだけになりますので、天武天皇の12年、13年に後の令制国の国境は凡そ画定され、それから701年の大宝律令による令制国の成立に向けて、国の分離・合併が、令制国の成立後と同じように行われたのではないでしょうか。また、令制国の成立には中央の考えが強くあらわれていたようにも思います。ともかくも、天平宝字元年(七五七年)の、安房・能登・和泉の再独立まで、令制国の合併・独立がくりかえされます。
以上、史料の紹介を兼ねて参考に。
No.7
- 回答日時:
現在使用されている高校の日本史教科書を見ますと、古代国家の形成として「ヤマト王権」もしくは「ヤマト政権」の歴史用語を見出すことができ、「大和朝廷」なる用語は使用されていません(この用語は既に過去のものであり学会でも認知されていません)。
これは律令的統治システムの導入以前と以後の違いを示す用語として重要な位置を示すものです。
律令に基づく行政的システムは「それまでの日本史上で『初めての全国規模での統一』をなし得た」との性格を有するものであり、それ以前の状態である「地域的首長連合(豪族連合)」とは性質も異なります。
ヤマトのそれに類するものとして、筑紫・毛野・越・吉備などの有力豪族も地方には散在していて、ヤマトもそれと同じものといえます。ヤマトの支配力が及んでいた地域は大和平野の飛鳥・三輪一帯から、大和川に沿った現在大阪湾周辺の地域であり、その意味で全国統治していたとは言い難い。
しかしながら、律令的統治システムによる在地支配の形は、単位としての里・郡・国であり、この里および郡を掌握したのは、それ以前から在地に根ざしていた共同体の首長です。いわば現地採用の様な形として理解すれば理解し易いかと存じます。
何れにせよ、統治システムは人民を政治的社会的に再編して掌握することに目的があり、ただひたすらに「行政側の都合」によるものですから、そこにいた人間の意識など考慮に入れる必要性などなかったことには変わりありません。
以上、歴史学を専門領域とする者からの補足でした。
No.6
- 回答日時:
古代の分国の基礎は地方豪族の
支配領域にあったのだと思います。
律令制が確立する以前は大和朝廷
の時代で有りそれは現奈良県在住
の中央豪族が連合して全国の地方
豪族を緩やかに支配するしくみで
したから、各々の地方豪族たちが
律令制導入に伴い中央貴族である
国司を上に抱き、自らは郡司に、
甘んじるようになったとしても、
長い年月で築き上げた「分国」の
境界はそう簡単に崩れなかったで
しょう。その証拠に国境は決して
単調な直線ではなくて入り組んで
いるでしょう。
No.5
- 回答日時:
たとえば、私有地としての荘園を持つ場合、本所がどの様にして「土地の境界線」を定めたかとの事例があります。
正倉院文書をはじめ古典系の荘園の領有を認可する史料も様々ありますが、その文面には「四至(しいし)」と呼ばれる文言が見られ、具体的な標識が記されています。山であったり、大きな岩であったり、川であったりなど自然がもたらした地形によって境界線を定めている史料群です。
また律令的支配システムを全国規模で実施するには、単位としての里・郡・国などの括りが設けられ、それが何処の地方に属するかとの区分も設定されていきます。五畿に対する七道であり、東海・東山・北陸・山陽・山陰・南海・西海の言葉をお聞きになったこともあるでしょう。
これらの形を作ったのは、徴税システムとの関連があります。人間をその土地に縛り付ける形が租であり、庸調にも「地域ごとの特性・特産に応じた納税」との考え方が反映されてもいます(木簡に見られる貢進付札の事例)。
それからもう一つ、そうした「システムとしての『国』」を設けた背景には、ここまでが律令国家の支配が及ぶ範囲であるとの政治的宣言であるともいえます。それでも「まつろわぬ民」がいたことも確かで、彼らは蝦夷や熊襲などと呼ばれていたこともご存知でしょう。
都から遠いところにあるから分ける必要がなかったというのであれば、畿内に近い伊勢や志摩、更には畿内でも河内・和泉・摂津を三つに分ける必然性がないとの話になります。実際に区分されていたのですから、ご指摘の見解とは矛盾します。事実をどう見るかが問題なのです。
当時の人の意識よりも「支配する行政側の論理」が優先されただけの問題であり、その前提には「それ以前の段階からあった地域的そして血縁的結合に基づく集落組織」を政治的に再編成しただけの話です。
因みに「信濃」とは別に「諏訪」との地名も史料には見られます。ということは、信濃と諏訪は別物であるとの認識があった可能性もありえます。
>因みに「信濃」とは別に「諏訪」との地名も史料には見られます。
そうなんですね。知りませんでした。
もしよろしければ出典を教えていただければありがたいです。
よろしくお願いします。
No.4
- 回答日時:
支配する人間と支配される人間
あるいは
納税する人間と納税させる人間
これが基本です。土地があってそこに住んでいる人間がいるから、その人間がその土地に所属するというのではなく、人的結合を前提に区域割がされます。
典型的には、飛び地がなぜ生まれているかの原因となります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E5%9C%B0
封建制下においては、同一の君主の所領が各所に分散していることは珍しくなかった。
以上引用
東海道やら北陸道、東山道というのは、都に納税するためのルート分類となります。関東という地理的な統一体をどうしよう?という発想ではなく、都に納税物を運ぶルートごとに地域を分割しています。
だから、利根川が東京湾に流れて、現在の東京=千葉を結ぶのが難しい、多摩川もそれなりに荒れるぞという時代には、武蔵の国は東山道に組み込まれていました。東京都府中市から陸路北上するというのが、当時のメインルート。その後南下するルートが開発されたので、武蔵の国は東海道に編入します。
信濃の国も、東山道で線を引けば信濃の国を縦断することになります(=納税ルートとして合理的)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1% …
住んでいる人間(納税する人間)がどの国に所属していると認識するかなんてことは、知ったこっちゃないです、納税を受ける都の人間にとって。
No.3
- 回答日時:
令制国発足の時に国造の科野氏(姓は直)の領域だった所が信濃国に成っていたと思いますが…。
まあ信濃は古事記の国譲りの項にまで登場するような地域ですから、古代には大和王朝に抵抗できるまでの巨大な豪族存在し、乗っ取ったか臣従したかはともかく、令制国発足時まである程度の勢力で現存していたのでは…。
(令制国発足時に丹波国造の様に分割[丹波国、但馬国、丹後国]されてしまった所もありますから。)
>同じように都から遠い安房、下総、上総はそこまで分ける必要があったのか疑問に思います。
房総三国つまり捄国(ふさのくに・総国)って令制国発足以前は11もの国造が置かれた事から、おそらくこの地域には絶対的な力を有した大豪族が居なかったのでは?
(つまり一つに纏められ無かった。)
>房総三国つまり捄国(ふさのくに・総国)って令制国発足以前は11もの国造が置かれた
そうなんですね。知りませんでした。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
確かに安房、志摩、伊賀、丹後など、なぜこのような小さな国を設定したのかは不思議ですね。
律令制による国の設定は、それ以前に存在した在地権力(国造)を併合・分割したものと解釈されています。
律令国家としては天皇を頂点とする中央集権を実現するため、旧来の大小さまざまの在地権力(国造)を解体し、全国に統一制度を施行する必要があった訳ですね。小さい国造は合併して1国とし、吉備などの巨大勢力は分割させて弱体化を図ります。もっとも、巨大勢力の分割は、大和朝廷に屈服した際にも既に行われており、律令制はそれを継承したということになります。ただ、どのような基準によって国造などを併合・分割したのか、歴史学者には是非とも解明してもらいたいものです。
良く似た例としては、明治の府県統合ですね。廃藩置県によって300諸侯が300の県になりましたが、すぐに3府72県に統合され、10年くらいかけて更に統合が進み、現在の都道府県が定まります。統合の基準は石高で何十万石とかの目安によってグループ分けされたようですね。
ご回答ありがとうございます。
>律令国家としては天皇を頂点とする中央集権を実現するため、旧来の大小さまざまの在地権力(国造)を解体し、
>全国に統一制度を施行する必要があった訳ですね。
確かにそうかもしれません。
ただ信濃については、まるまる信濃一国を支配していた在地権力があったとは考えられないのでその点は疑問です。まぁひょっとしたら伝説の安曇野の支配者、八面大王は信濃一国を支配していたかもしれませんが、そうであれば大和朝廷側としては善光寺平、諏訪、安曇野、伊那といった具合に4分割くらいにしたと思います。いずれにせよ謎ですね。
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