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ブッタって占いは信じなかったのでしょうか?

A 回答 (4件)

預言者です。

占いなど要らない存在
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釈尊は超自然を語りません。

人間は死んだらどうなるかに関しても、「そんなことを考えても意味がない」(霊魂不説)という立場でした。占いに対しても同様です。

仏教の北伝の伝搬過程でローカルな宗教観と習合して、成仏などが混ざってしまいました。
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この回答へのお礼

え?ってことは、霊の存在も否定してたってことでしょうか?

お礼日時:2021/05/24 10:37

仏教経典の中で最も古く、釈迦自身が語ったとされるのが「スッタニパータ」です(阿弥陀経や法華経などの大乗経典は釈迦没後500年ぐらいたってから成立)。

このスッタニパータの中では次のように書かれています。

わが徒(仏陀の悟りを学ぼうとする者)は、アタルヴァーダの呪法と夢占いと相の占いとを行ってはならない。(927の偈)

ですので明確に占いを否定していました。釈迦はきわめて合理的な考え方の人だったのですよ。
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他の方のお礼で釈迦は霊の存在を否定していたかというご質問がありましたので回答します。

釈迦は否定していたというよりも、正確には考えても無駄であり、今現実にある苦をなくすことが大事だと教えたのです。

ですから、今のような信じたら極楽にいけるとか成仏できるとかそんな言葉は初期の経典には出てきていません。

以下有名な「毒矢のたとえ」(中阿含経や中部経典に記載)を引用します。

 「世の中は常住なるものか。無常なるものか。世界に果てがあるのかないのか。霊魂と肉体は同一か別なのか。死後の世界は存在するのかしないのか。」との問題に悩みお釈迦様に解答を迫ったマールンクヤは、この答えを知りたくてたまりませんでした。 しかしお釈迦様は、それらの問いに一切答えられず、問いかけてもいつも黙したままでありました。

 そこでお釈迦様は、ある喩えをもってマールンクヤにお説きになりました。「ある人が毒矢に射られたとする。すぐに治療しなければならないであろう。ところが矢を抜く前に、一体この毒矢を射たのは誰か。弓はどのようなものであるのか。 どんな鏃がついていて、弦は何でできているのか。矢羽はどんな鳥の羽であるのかが分からないうちは、矢を抜くことはならぬと言っていたら死んでしまうであろう。必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである。」

 お釈迦様は静かに続けられました。「生があり、老いがあり、死があり、憂い、苦痛、嘆き、悩み、悶え等、人生の苦しみを解決する道があるから私は説いている。毒の矢を抜き去るように苦を速やかに抜き去ることが、いちばん大事なことではないのか。」 お釈迦様は、優しい眼差しで、マールンクヤに深くお話になりました。「汝はそれらの問いに拘り続けている。マールンクヤよ、世界は常住とか、無常であるとかが解っても、生老病死、 愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、 五蘊盛苦の四苦八苦から自由になる事はないであろう。 私たちはそれらの一切皆苦の現実を見極め、自らの煩悩を克服する事を願っている。」
(訳文は奈良薬師寺のHPより引用しました)
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この回答へのお礼

うーむ、人間の苦がいかに浄化すべきものだと言うことが分かりました。

いくらブッタとはいえ、死後の世界などの霊的主観は分からないのですね

お礼日時:2021/05/24 18:44

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