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日東壮遊歌で、大阪で朝鮮通信使が接待を受ける場面が出てきますが、タコやアワビを四角に切ってご飯の上にのせて盛り合わせた食べ物は悪臭が強くて食べられなかった、と書いてありましたが、これはたぶん寿司だと思うのですが、悪臭が強い寿司、四角く切断というとバッテラ?熟れ鮨だと想像しますが、
現在の熟れ寿司というとサバとかフナみたいなイメージなんですけど、この当時の関西、大坂ではアワビやタコも発酵するまで漬け込んで熟れ寿司にしていたのですか?
あと、朝鮮通信使は全員臭くて食べられなかったと記述があるということは、当時の李氏朝鮮では熟れ寿司は普及していなかったということでしょうか?

A 回答 (3件)

関西圏とあるがなれずしは和歌山の郷土料理でサバやサンマを酢を用いて作る押し寿司の腐り寿司ですね^_^ 当時は色々な物をしていたみた

いですが詳細は不明
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朝鮮は中国と同じく、海産物は乾物が中心でしょう。


熟れ寿司のような発酵食品は無かったと思います。

発酵食品は納豆もそうですが、独特の臭みがありますので、大人になってからいきなりご馳走ですと供されても無理でしょう。
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こんにちは!



>李氏朝鮮では熟れ寿司は普及していなかったということでしょうか?

そうですね…、当時の李氏朝鮮には、発酵食品を作って、保存食を作る技術がありませんでした。つまり、木を加工して桶を作る技術が無かったのです。朝鮮通信使が日本に来て、水車の技術を教えてもらいましたが、木を車輪状に加工出来ず、日本統治が始まるまで、水車が造れませんませんでしたねぇ。そんな訳で、荷車も造れず、「背負子」で荷物を運ぶのが常でした。

話しが横道に逸れましたが、桶も作れず甕しか作れなかったので、お酒もどぶろくみたいなモノで、清酒は造れませんでした。

キムチに関しては、日本から唐辛子が輸入されて、甕に白菜と一緒に付け込んで、発酵保存食品が作れるようになりました。
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