電子書籍の厳選無料作品が豊富!

最近のあなたの趣味を教えてください。

コロナ禍で(新しい生活様式)への転換をせまられましたね。自分は映画を見に行くのが楽しみでした。あとは公園でのランニングとジョギング。 しかし、コロナ禍をきっかけに公園に人が増えてきました。映画館はもちろん避けます。

そこで私は、自分の趣味を 読書と家の近所のジョギングに変えてみました。
こんなところもあったんだ。とか 近所に東京タワーがあるのですが そこまでの道をのんびりとジョギングしたりすると 色々発見できることが多いです。
最近楽しくて 気分も良くて赤坂の勤務地までジョギングで行ったりし始めました。。。笑

実家にいる弟もジョギングを始めたみたいで、こんなところに〜があったとか報告してくれます。いい趣味になったなと思います。

で、改めて聞きますが あなたの最近の趣味はなんですか?

新しく始めた趣味があったら教えてください。

A 回答 (3件)

私はプロファイルのような者です。



ありがちな多趣味です。
私の場合は、電子工作、DIY、アマチュア無線、絵や図を描くこと、エッセイを書くこと、寄席演芸を見聞きすること、音楽を聴いたり歌ったり演奏すること、映画やビデオをみること、鉄道や飛行機を見たり乗ったり模型で遊んだりすること、動物を眺めたり飼うこと、旅行、スキー、水泳、料理、このQ&Aコーナーのようなものの相手をすること・・・などなどです。

どれが好きかと言うと、それらに順位はつけてませんし、つけられません。
やるのは、あっちをやっちゃぁしばらく止まったり、気が変わって別のことを始めることもあれば、止めてたことをまた始める、と言う具合に、誰はばかることなく、その時やりたいものを気ままにやっています。
趣味なんてそんなものじゃないでしょうか。

この趣味、自分が楽しめればそれでいいんですが、『その原動力は何?』と問われれば、誰かに『いいね』と言ってもらいたいということかな、と思います。
だから趣味には仲間が必要で、その輪があったから今まで続けて来られたように思っています。

実は、私の本職は、電子工作やそのほかのいくつかの趣味の経験を基にして進めてきました。
なので、ここでは『電子工作』のお話をしてみましょう。

電子工作は、小学校の頃にラジオを作ったのが最初でした。
私は東北の山間の寒村の生まれ育ちで、まだ真空管全盛の時代、捨てられたラジオやテレビから部品をとってはそれをやってました。

はんだ付けは、今風に言えば親父のDIYからみおう見まねで覚え、その他の工作や電気などのいろいろなことは、工業高校に通う近所のお兄ちゃんや、アマチュア無線をしているおじさんに教えてもらいました。

自分が作ったもので音が出たのに喜び、その後は、もらった雑誌なんかを頼りにオーディオアンプなんかを自作しちゃあ、作り替えたりして楽しんでました。
中学のころは、アマチュア無線の免許を取り、送信機や受信機を自作し、手作りの通信を楽しんだものです。
なので、高校になって出会った物理の電気は、原理を理解できるようになって楽しかった覚えがあります。
高価で立派な既製品や既製のキットは買えませんでしたが、やりたい意識と手に入る部品と情報で実現する世界はクリエーションの心髄と思え、やっていて実に楽しかった。

ですから大学への進学で工学部を選んだのは、私にとっては必然でした。
でも、多くの人達にとっての電気の世界は勉強で知っただけのもので、話しをしていてもまったく楽しくなかった。

そんな時にあるものに出会いました。
アメリカの先端的な半導体やコンピュータ、通信などの技術を教えてくれる専門書群で、日本の学校の授業には全く出てこない内容ばかりでしたが、心髄までを惜しげもなくわかりやすく教えてくれていることには強烈な衝撃をうけました。
そしてそこに思ったことは『こんな世界で勉強や仕事をして暮らしたい』ということでした。

しかし、当時は今とは違い、格安航空券もなければビザなし渡航なんかもなく、海外旅行のガイドブックも『地球の歩き方』さえない時代でしたから、旅行はおろか、そこに暮らすなんて夢物語以上のものでした。
でも、受けた衝撃は失せるものではなく、社会人になって伴侶を得ても持ち続け、機会あらばと思い、それに向けた勉強を続ける一方、転職するなど可能性を高める努力は続けました。

そんなある時、勤める会社がアメリカの機関と共同研究開発事業を始めることになりました。
もちろんそれに志願して、アメリカに駐在派遣してもらえるポジションを手に入れました。

始めた暮らしは超ド級の田舎のものでした。
日本のインスタントラーメンをを手に入れようとすると、100キロ以上の速度で車を休みなく走らせて、6時間以上かかるところでした。

しかし、私もカミさんももともと日本のド田舎の出身です。
仕事は私の専門が直接生かせるものではありませんでしたが、個人ではできないアメリカ暮らしが出来るという事で、喜んで来ました。
そこでする仕事は面白いもので、十分打込めて満足してました。

そんな生活をしていた時、現地の仲間が私の仕事とは無関係に進めている仕事で難儀しているのを知りました。
特殊な通信手法と特殊な半導体素子を必要とし、それを当時としてはあり得ない大きさにまとめないといけない、というものでした。

しかし、それこそ偶然で、その通信技術は私が大学で出会ったことのあるものだったのと、素子は私の専門外ではありましたが知り合いに作れる人が居たこと、システム規模はがんばればなんとかできそうなものだったことなどから、作ってやることにしました。
仕事の外なので、それは仕事の時間外にする無給のボランティアです。

『作ってやる』と簡単に言いましたが、半導体で信号処理システムを作るという事は簡単ではありません。
素子そのもの以外に設計道具を使うにもお金もかかりますし、適用する先が高い信頼性を求めているので、設計には高信頼化も入れたり、設計したもののは機能・性能だけでなく信頼性なんかも解析しないといけませんでした。

半導体システムはそれを作っただけではダメで、動かして確認するためには装置を作って評価しなければなりません。
機能・基本特性のほか、環境・耐久性、ありうる問題に対応して機能できるかの『意地悪』試験などをしました。

この時、私の周りにはそれを手伝ってくれる人が手に入らなかったので、仕方なく一人でコツコツやりました。
まぁ、もともとこの趣味は一人遊びがほとんどでしたからそれ自身に抵抗はありませんでしたが、思った以上に時間とお金がかかっちゃったのには申し訳なく思ったものです。

ともあれ、それが出来て仲間に見せた時、友だちは驚いてくれました。
どうも、出来るとは思っていなかったようで、期待以上の性能が出ているデータをとても喜んでくれました。
実際にそれを使うところを私は見れませんでしたが、実際にうまく使えたとのこと。
それを聞いて『私は出来るって言ったから当たり前だ』といったら感心してくれました。

年になってこの趣味で私がしていたのは、『こんなものが欲しい』という未知の希望をもらい、それを実現させて見せる『プロトタイパー』で、バグなしの成功請負人を自称していましたから、そのコケンを守れてなんと満足だったことか。

私はその結果で十分な満足が得られたので、そのことはそれ以降、すっかり忘れてました。
そんなある時、仲間のずっと上の方から呼ばれて言われました。
アメリカで暮らしたいと聞いたが、好きなだけ居られるようにしてあげる、と。
私の実績が耳に入り、国に貢献してくれたという評価だったようでした。

そのおかげで、それからは勤める会社で変わらず仕事はしましたが、その会社の顔色なんか気にせず、アメリカの好きな場所に家族とずっと暮らせるようになりました。

もとはと言えば趣味で始めたことで、それが高じて勉強してきたことが生き方を支えてくれた、という事です。
そんな仕事は昨夏リタイアし、今はプロファイルに記したような生活をしていますが、趣味の世界は子どものころから変わっていません。
その後に趣味に加えたことも含め、誰が何と言おうと、変わらずのんびり、まずは自分が気に入るのが目標・目的と割り切ってやってます。

趣味、楽しくやりましょう。
何かいいことはあるかもしれませんが、それは求めるもんじゃなくて後からついてくるもんです。
そんなものは求めないで、ひたすら楽しく満足できるようにです。

実は今、日本に来ています。
日本の食べ物をカミさんと楽しみながら、アメリカに帰ったらそれを再現したらどうかなぁ、なんて話し合いながら考えています。
工作のためには秋葉原の行きつけの部品屋さんに行くのを楽しみにしています。
各地の寄席をめぐって芸を見聞きするのも楽しみにしています。

趣味は楽しいです。
    • good
    • 0

脱炭素のために焚き火を少々

    • good
    • 0

ライブアプリによるライブ鑑賞、読書、音楽鑑賞、歌うことです。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!