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【宗教】「神社の2礼2拍手の作法も、明治に決まったのです」

明治時代以前はどうしていたのですか?適当に礼と拍手をしていたのですか?

そもそもいつからなんのために礼と拍手をするようになったのでしょう?

A 回答 (1件)

「神社の2礼2拍手の作法も、明治に決まったのです」


これだけだと誤解を招きます。正確には「明治以前は神仏習合でお寺の中に神社が有ったので、仏教と同じ手を合わせるやり方が主流だった」ということです。

>明治時代以前はどうしていたのですか?適当に礼と拍手をしていたのですか?
>そもそもいつからなんのために礼と拍手をするようになったのでしょう?

両方に関わることなのですが、まず日本人は古代から「手を鳴らして敬意を表する」という事をしていたようで、魏志倭人伝に「見大人所敬 但搏手以當脆拝」とあります。

元々どこの世界でも古代は「貴人=神」だったので、古代の日本人は人と神の両方に柏手を打って尊敬の念を表していたのです。これは世界的に見てかなり珍しいようです。

平安時代になると、唐の律令制の様式を取りいれ、人に対しては拍手を行わないようになったのですが、神様に対しては行っていたようで、伊勢神宮や出雲大社では礼と拍手の作法が取り決められていました。

ここで重要なのは伊勢神宮や出雲大社は「神社が主・お寺が従」だったことで、神仏習合が進んだ江戸時代などの普通の神社は「お寺が主・神社が従」で柏手を打たないことが多かったといえます。

ただ、浅草の酉の市で熊手を買うと三本締めをするように「熊手は神様からの御利益→熊手の御利益を願って手を打つ」なので、拍手という風習がどこにも無かったというのは明らかに間違いであると言えます。
 
また「○○締め」と呼ばれる手打ちは各地でいろいろなやり方があり、参拝作法も様々だったと推測できます

現在の神社参拝ではどこでも二礼二拍手一礼が一般的になっていますが、これも明治で神道と仏教が分離したからで、この部分だけ取り上げて「作法は明治に決まった」と言い切るのは誤解の多い表現だと思います。

たしかに明治期に国家神道として二礼二拍手を推奨し、それが近年になって一般的になったわけですが「拍手を打って神を尊ぶ」と言う作法は古来から日本にあったので「日本全国で統一様式化されただけ」と考えるほうが良いと思います。
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