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古寧頭戦役で国民党軍が勝てた訳を教えてください。

また、古寧頭戦役後に共産党軍のドクトリンは変化しましたか?

A 回答 (1件)

①共産軍には鋼鉄製の海軍艦艇がなく、上陸用舟艇とは名ばかりの木製の漁船で海を渡って上陸したが、第一陣上陸後に国民党軍の哨戒艇で悉く撃沈されたため、第二陣と補給物資が渡海できないまま、第一陣が孤立してしまった。


②蒋介石に恩を感じていた旧日本軍将官から、日本軍情報参謀が開発した米軍用の戦術を伝授されており、それが上手く嵌った。

①の状況下では、島内深く侵攻せずに適当な拠点で防衛に徹し、いつになるか分からないにしても第二陣の来援を待ったほうが良かったかもしれない。
しかし、共産軍は破竹の勢いで大陸を制覇し、国民党軍を舐めていたことから、海岸を突破した部隊は奥深く進撃してしまった。

国民党軍が、旧日本軍顧問から伝授された作戦は、敵を奥地に引き込み、防御陣地に迫ってきたら、敵の左右にも別部隊を急行させ、三方から十字砲火を浴びせて殲滅させる、というものだった。

共産軍が予想通りに進撃してきたため、思惑通りに三方から反撃し、共産軍は身動きできないまま、弾薬が切れとなり、残存兵は海岸線まで撤退したが、何もできずにそのまま降伏となった。

敗戦を聞いた毛沢東は沈黙を貫いている。大勝利の汚点となったこの戦いをなかったことにしたわけだ。
なかったことにしたのだから、共産軍のドクトリンがすぐに変わったということは無かっただろう。
ただ、2回目の金門島攻撃は、上陸作戦ではなく、旧式ではあったが多数の長距離砲を対岸に据えて砲撃戦を展開している。海を挟んで砲撃で嫌がらせをし、あわよくば国民党軍を撤退させようとしたのかもしれない。その意味では、ドクトリンの変更と云うほどではないにしても、継戦の意志は感じさせる。
しかし、それも、米軍から供与された最新式の長距離砲のために、逆に沈黙させられてしまった。
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