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1990年代の暮し方はどのようなものですか?

A 回答 (9件)

インターネットはパソコン通信で


ニフティーとか使ってやっていた
スマホはなく、第一世代の携帯で
アナログの時代。
それ以外は今と変わらない。
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インターネットが一般家庭の電話回線のトーンバーストでできるようになり


マイコンの改造ではない市販パソコンを家でも使うようになりました。
98ノート等で屋外でもパソコンが使えるようになり、家計簿が電子化されました。NECのベーシックから、ウィンドウズが使えるようになって
便利になりましたね。
携帯電話というものは一般的でなくビジネス的にはポケベルですかね。
それら以外は今とそんなに大きく異なることはなかったような気がします。
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私は45歳男性です。

地方の田舎出身ですが、1990年代というと中学から高校、大学生時代くらいです。


「お茶の間」という言葉がまだ存在していた時期、ですね。家族で一つの番組を見て過ごす機会があった時代というか。


モーニング娘。ができたのが1997年くらいだったと思いますが、AKB48はまだなかった時代で。アイドルというと、一人の歌手が歌う、もしくは2人、3人組とか。



実家に暮らしていた高校時代まで、VHSという規格のビデオテープを使ったレコーダーでテレビ番組を録画していました。再生するときに、いちいち巻き戻さなくてはならなくて、何度も再生すると画像が荒くなって。


カセットテープのウォークマンから、CDウォークマン、MDウォークマンへと進化していった時期だったと思います。


1995年くらいの私の周囲では「ポケベル」を持つ人がいるかいないか、という状況でした。私は持っていませんでしたが。大学進学で上京した当時、新宿駅に伝言板があったり。


とくに、1995年の後半にWindows95の日本語版が発売されたと思うのですが、私自身はパソコンを持っていませんでした。周りにもパソコンを使える人があまりいませんでした。


1人暮らしを始めた当時は、「テレビデオ」といって、ブラウン管のテレビの下部分にビデオデッキが付いているものでテレビを見たり、録画していました。たまに中でテープが伸びて、外に無理やり出したらテープが巻き込まれて二度と再生できなくなったり。


駅のトイレは、ウォシュレットではなくて、洋式の水洗トイレか和式の二択でした。和式が多かったような。


まだ、ファストファッションのお店がちらほらという感じで、今のように手ごろな価格で季節に合わせて洋服を買うより、ちょっと値段がかかっていたような。ユニクロのフリースがヒットしたことで、90年代後半にファストファッションが広がったような記憶があります。


ぱっと思い出したのはこんな感じですけど。ほんのわずかですみません。
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西暦1990年 年号平成2年


二つ折の携帯電話を使ってる方達居ましたよ
当時は液晶画面へ電話番号だけ
その後ショートメール出来たり
i-mode発売で液晶画面カラー
10年前迄ビデオカメラ撮影はテープでした
本体価格も高くて
安くて15万円とか

パスカードやETCもまだ無くて
現在と比べると不便でしたね

でも当時はそれを面倒だとは思ってないですけど
定期を通すより 翳すだけのが楽だね
そんな人達のアンケートで便利になって来たのかもしれませんね
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携帯…と言うかPHSが普及しだしたのは1990年代の終わりで、待ち合わせでは、相手が来るまで状況が分かりませんでした。


恋人との電話も固定電話です。

スラムダンクの大黒摩季の歌に出てくるのは「ポケベル」ですよ!
あの頃は、コナンの通信装置も阿笠博士のハイテクアイテムとして違和感ありませんでした。

そういえば、あの頃にMDという音楽媒体が出てすぐに消えていきましたね…。
パソコンの記憶媒体としてのMOも…。


インターネットは、Windows95…だから95年? 普及は感覚的にもう少し後だったような気もしますが、私は98が出るまで、DOSで頑張ってた記憶が…。
通信速度も64kbpsで速くなったとか言っている時代で、今では速度制限が掛かったスマフォより遅い?
昔はYahooなどが独自に集めたサイトなどを検索結果に表示しているだけだったり、url集のような本が売られていたりしていました。

何より、まだ紙媒体が全盛で、よく本屋にも通っていた記憶があります。
大学受験なんかは郵送と振り込みでした。


今のようにインターネットも便利というレベルではありませんでしたし、みんなで旅行や遊びに…というのもかなり多かったですよ。
旅行にプレステやネオジオを持ってきた人もいました。

スキーも多分流行っていました(第二次流行?)。
短い期間の間に、スノーブレードが出てスノボが出て…。

外向きな遊びに関係してか、走り方面の車好きも多かったです。
カーセンサーとかoption2とかみんな読んでましたねぇ。


初代プレイステーションが発売されて、今では当たり前の3Dが、ポリゴンという単語とともに本格的に出てきたのもこの辺りですかね…。
2Dの格闘ゲームなどもまだまだ流行っていたと思います。


個人で企画する合コンも結構流行っていたと思います。
私の少し前の世代は結構派手な話も聞きましたが、私の世代の飲みに関しては、今とそれほど変わっていないかもしれません。


90年代は私の高校・大学時代だったので、結構偏った情報になりますね…。
しみじみと書き連ねてしまいましたが、このくらいにしておきます。
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No.3です。

個人的なものを追加しますけど…


1990年代というと、私の父の車が「マニュアル車」でした。当時、中高生のときに家族でドライブに出かけるとき、私は助手席に乗せてもらっていました。


父が運転するときの足の運びとシフトレバーのタイミングを見て、自分が運転する姿をイメージしていたのが1990年代でした。
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今よりましかなあ。


金利は今より率よし。

消費税率も
3・5時代の方がいいでしょうね。

8~10にして

一つもよくない。

今は0金利。
そして
何をやるにも

国のわがまま値上げ。

国民は経済操り人形に見えますね。

勝手気ままな値上げ。

でも今より
率はよかった気がする。

消費税率挙げて
生活制限。

今は挙げて
ますますおかしくなる感じ。
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1999年7の月、恐怖の大王が、、ノストラダムスの大預言を気にしてました。


21世紀をどんな形で迎えるか、予想できてない。
ウインドウズ95以後、パソコンの普及がすごい。
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https://oshiete.goo.ne.jp/profile/543088306/
質問のベースになる関心の事柄が分かりません。

「暮し方」、「1990年代の暮し方」 たぶん日本のことなのでしょうが、
1950年頃に産まれた方が、60年代(十代)、70年代(二十代)、80年代(三十代)、90年代(四十代)となるときの、「1990年代の暮し方」は、男女や既婚、未婚でずいぶん違います。 
90年代は 結婚年齢が遅くなって、未婚者も増えて、子供が減り、高齢者の割合の増加が顕著になり、大手企業が採用数を減らし、失業率も上がった時期になり、非正規雇用がどこでも増加しました。男女とも、大学進学率は急上昇し、社会全体の就業者比率は下がりましたし、機械化、自動化、システム化も進んで、労働者を必要とする程度が下がり、一部のエリート層と大多数でいろいろな面で格差拡大が生じたのが90年代です。 生活保護世帯も急増し始めます。大都市と地方でいろいろなことに違いがでて、90年代には地域鉄道の廃止が一気に進み、90年代半ばには地方から大都市への人口移動も顕著になっています。地方は、停滞・高齢化・荒廃・衰退に雰囲気からも変わります。 家庭・世帯は小さくなり、たぶん、家庭内での協力共同の仕事や作業の経験も消えていってます。 情報化社会というか、情報が急増し無意味に飛び交いスマホやネットが流行るものの、社会の生産性は低下し続けた、垂れ流し情報化になっています。レジャーも、小さなことでちまちま個人が楽しむ状況になり、国内宿泊旅行さえも減少し始めます。

http://www.f.waseda.jp/yujiyamagu/database/histo …
■1990年代のレジャー史(1990年~1999年)
<社会・経済>
バブル経済が崩壊し、かつてない深刻な不況となった。企業倒産は過去最悪となり、リストラが盛んに行われた。消費低迷から価格破壊も急速に進んだ。また、パソコンの普及でインターネットの利用が広がり、携帯電話は一躍生活必需品になった。
 87年に始まった平成景気は、戦後最長のいざなぎ景気(66年から70年)を越えるかと言われたが、90年代に入ると勢いが衰え、91年のバブル経済崩壊で、結果的に新記録にはおよばなかった。その後90年代は、かつてない深刻な不況に陥った。不況対策としての企業のリストラやリエンジニアリングと呼ばれる事業の見直しが行われた。これまで成長神話に支えられた年功序列や終身雇用も崩壊し、雇用不安が広がった。完全失業率は史上最高を記録するまでに至っている。また、バブル経済期の歪みが様々な形で一気に吹き出し、銀行や証券不祥事から始まり不良債権、銀行倒産など様々な問題が明るみに出た。バブル経済を支えた地価も急激に下落したが、不景気で買い手は見つからず、土地の流動化対策が必要とされている。90年代前半の急激な円高で企業は急速な対応を迫られ、円高回避とともに企業のグローバル化を進めるべく、アジアを始めとする海外進出が盛んになった。しかし、その後アジア各国の経済が支障をきたし、その勢いは止まった。90年代から地方分権や規制緩和の重要性が指摘されるようになり、首都機能移転や、行政や民間の規制や慣習を見直す、あらゆる意味での規制緩和が進められるようになった。ゼネコン汚職多発による入札制度の見直しなどの行政改革の必要性が強く言われ始めた。不況対策として公共投資を盛んに行っているが効果を発揮できていない。公共事業に民間資本を導入するPFIの導入も検討されるようになった。1994年には通称ハートビル法が施行され、障害者や高齢者対策が徐々に広がりをみせるようになった。92年には公立小中学校の月1回週5日制も導入された。平成景気によって余力の出てきた企業が社会貢献に目を向け始めたが、バブル経済崩壊によって一時盛んに行われた冠イベントは一気に姿を消した。ただ一部では地道な活動が続けられ、企業の社会貢献の土壌が構築された。1995年の阪神・淡路大震災は、個人ボランティアの重要性をアピールすることになり、個人レベルでの社会貢献も徐々に広がっている。消費低迷への対策として価格破壊がブームになり、様々な分野で低廉な商品・サービスが登場した。その後、安かろう悪かろうという商品・サービスは消費者に飽きられる結果となったが、徐々にではあるが物価は下がった。バブル経済崩壊の反省と価格破壊ブームの経験から、消費者の選択眼は徐々に高まり、自らの価値観に見合った賢い消費活動が行われる傾向が強くなった。1995年はマルチメディアがブームになり、家庭用パソコンの普及元年となった。インターネットもその後急速に普及する。同年PHSのサービスが始まり、一躍ブームになったが、その後は携帯電話にとって替わった。現在は携帯電話を携帯情報端末(PDA)として活用する動きが顕著である。
<レジャー>
バブル期にはテーマパークの新設が相次ぎ、豪華レジャーが人気を呼んだが、バブル経済崩壊でリゾートブームが終焉を迎え個人の志向性を重視したレジャーへと質的変化が進んだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2021/07/22 23:30

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