【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

例えば、元号と西暦を一致させれば良いのです。今は西暦2021年だから令和21年とすれば良いです。そして令和の元号を、今上天皇の生死に関係なく、令和99年まで続けるのです。新しい年号は0年から始めれば良いです。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    元号の意味は「時間」に名前を付ける事です。元号が無いと、1,900年代 2,000年代 2,100年代 と成り、単に数字で呼ぶことに成ります。

    我々は大切なもの、重要なものには名前を付けます。例えば自分の子供を数字では呼びませんよね?

    時間は重要なもの、大切なものです。ですから時間に名前を付けるのは当然の事です。

      補足日時:2021/08/05 12:25
  • HAPPY

    合理性だけを追求するなら、国民に名前など付けず、”My number” で呼べば済むことですが、それをしないのは、一人ひとりの人間を大切にしているからです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/08/05 13:01
  • うーん・・・

    自分のものでなければ名前を付けてはいけないとなると、富士山に名前を付けられなく成ります。

    動物園の動物にも名前を付けられなく成ります。ですから、あなたの言っている事は誤りです。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/08/05 13:23
  • HAPPY

    昔は人生50年とか言うてました。確かに昔は病気や事故で死ぬ人が多く、平均年齢も50歳くらいだったので、天皇の代かわりに年号を変えても不自然ではありませんでした。

    しかし現在では100歳も珍しくない時代ですし、これから100歳を超える人は増える一方でしょう。ですから、100年を一区切りとして、一つの年号を割り当てた方が良いのです。

    それと昔は100年を超える政治経済の計画など有りませんでした。行き当たりばったりで政治をやってきたのが現実です。しかし現在は違います、100年を見据えて政治経済を運営しなければ成りません。

    ですから、西暦と一致した百年区切りの年号が合理的なのです。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/08/05 17:45
  • HAPPY

    もちろん、時間は連続しています。それは空間が連続しているのと同じです。

    しかし、我々は空間を区切り、それに名前を付けています。1m,1km,とか言ったものです。

    寿命が長くなり、百年はちょうど人間の一生に当たります。自分が生きた、この百年を大切に思い、これに名前を付けたいと思うのは当然の感情でしょう。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/08/05 17:52
  • HAPPY

    私は元号を廃止せよと言っているのではありません。しかし、このままでは、不便だから廃止せよと言う声が強くなる一方でしょう。ですから、西暦と一致させるべきだと思うのです。

    寿命が長くなり、百年はちょうど人間の一生に当たります。自分が生きた、この百年を大切に思い、これに名前を付けたいと思うのは当然の感情でしょう。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/08/05 17:55
  • プンプン

    皇紀だと、2,600年くらいでしょうが、西暦2,021年と同じで、4桁の大きな数に成り、結局、西暦と同じで、西暦と同じようなモノを2つ作るのは無駄で愚かな事です。馬鹿らしくて話に成りません。

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/08/06 09:16

A 回答 (19件中1~10件)

それだと元号の意味がなくなります。

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この回答へのお礼

元号の意味は「時間」に名前を付ける事です。元号が無いと、1,900年代 2,000年代 2,100年代 と成り、単に数字で呼ぶことに成ります。

我々は大切なもの、重要なものには名前を付けます。例えば自分の子供を数字では呼びませんよね?

時間は重要なもの、大切なものです。ですから時間に名前を付けるのは当然の事です。

お礼日時:2021/08/05 12:24

役所などへの届け出書類を、西暦に統一する方が早くないかい。

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この回答へのお礼

元号の意味は「時間」に名前を付ける事です。元号が無いと、1,900年代 2,000年代 2,100年代 と成り、単に数字で呼ぶことに成ります。

我々は大切なもの、重要なものには名前を付けます。例えば自分の子供を数字では呼びませんよね?

時間は重要なもの、大切なものです。ですから時間に名前を付けるのは当然の事です。

お礼日時:2021/08/05 12:26

そんなことしてまで元号を残す意味って何?


元号を大切にするなら、西暦に合わせるなんていう馬鹿馬鹿しいことはしないし、元号が不要なものなら、西暦に合わせるなんて小手先の延命策なんぞしないで、廃止すればよいですね。
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この回答へのお礼

元号の意味は「時間」に名前を付ける事です。元号が無いと、1,900年代 2,000年代 2,100年代 と成り、単に数字で呼ぶことに成ります。

我々は大切なもの、重要なものには名前を付けます。例えば自分の子供を数字では呼びませんよね?

時間は重要なもの、大切なものです。ですから時間に名前を付けるのは当然の事です。

お礼日時:2021/08/05 12:26

すごい!名案だね(棒読み)

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それができるのならいいんですが。



元号が天皇の在位期間となったのはたしか明治以降です。
それ以前は在位期間に関わらず、なんかの都合で元号を変えていたはず。
その時代は西暦は使ってないので、元号だけが暦だったわけで、クルクル年号が変わったとしても別にいいんです。しようがない、すんだのでしょう。

在位期間と関係なくしてもいいんですが、はたしてそれで元号派が納得するかどうか?元号の意味があるかどうか?です。

少なくとも継続性が重要な事柄は元号使用はやめて貰いたいです。
たとえば、経理関係書類、長期に継続する計画、定期的に繰り返す会議や行事など。
運転免許証の有効期限もそうですね。
自分のみるたびに平成34年っていつだよ!って思います。

オリンピックだって、昭和○○年オリンピック、令和3年オリンピックとはいいません。

元号を使用するのは天皇が主催する事柄、宮中晩さん会とかナントカ勲章授与式など、だけにしてもらいたいです。
そうした方が「元号使ってるのは特別」とありがたみが増すと思います。
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この回答へのお礼

元号の意味は「時間」に名前を付ける事です。元号が無いと、1,900年代 2,000年代 2,100年代 と成り、単に数字で呼ぶことに成ります。

我々は大切なもの、重要なものには名前を付けます。例えば自分の子供を数字では呼びませんよね?

時間は重要なもの、大切なものです。ですから時間に名前を付けるのは当然の事です。

お礼日時:2021/08/05 12:26

>我々は大切なもの、重要なものには名前を付けます。

例えば自分の子供を数字では呼びませんよね?
別に大切・重要なものだから名前をつけているわけではなく、名前を付けた方が便利だから付けているだけです。例えばゴミは大切なものではないですが、名前がないと何と呼べばいいのかが分からなくて不便だから付いただけです。つまり西暦さえあればどの年を指しているのかが分かるので、天皇の生死に関係の無い元号は無意味です。
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この回答へのお礼

合理性だけを追求するなら、国民に名前など付けず、”My number” で呼べば済むことですが、それをしないのは、一人ひとりの人間を大切にしているからです。

お礼日時:2021/08/05 13:00

時間は大切なものだから名前をつけるというのはその通りですが、名前をつけるのは自分のモノに限られます。

自分の子供に名前をつけますが、他人の子供にはつけませんよね。
時間に名前つけると言うことは、時間の持ち主だという宣言なのです。この行為は中国の王朝が始めたものです。そして、東アジアの諸王朝はこの行為をマネしてきました。元号をマネすることは中国の手下になるという宣言でもあったのです。
現在では元号を使用するのは日本だけになりました。主権在民の世になっても、これを続けるのが妥当とは思えないです。あえて残すのであれば、天皇の地位と同じく、象徴的な場面だけにとどめるべきでしょう。そうすれば元号が不便ということが問題ではなくなります。
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この回答へのお礼

自分のものでなければ名前を付けてはいけないとなると、富士山に名前を付けられなく成ります。

動物園の動物にも名前を付けられなく成ります。ですから、あなたの言っている事は誤りです。

お礼日時:2021/08/05 13:21

> 元号の意味は「時間」に名前を付ける事です。

元号が無いと、1,900年代 2,000年代 2,100年代 と成り、単に数字で呼ぶことに成ります。
> 我々は大切なもの、重要なものには名前を付けます。例えば自分の子供を数字では呼びませんよね?
> 時間は重要なもの、大切なものです。ですから時間に名前を付けるのは当然の事です。

ふーん。ということは、キリスト教徒にとっては、時間は大切なものではない、ということですか?
西暦何年と言うのは、キリスト教徒が「キリストの生まれた日から何年」と数えるための、大事な意味のある数字のはずですが、それの区分ごとに名前がついてないだけで、それを大切にしてない、という解釈ですか。
日本にも、同じような感じで、皇紀〇年なんていう数え方が一応ありましたが、あれも時間を適当に扱ってる証拠なのですか。
イスラム暦も、ヒンドゥー暦も、マヤ暦も、あれらは全部時間を大切にしてないという解釈ですか。
面白いですね。
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この回答へのお礼

昔は人生50年とか言うてました。確かに昔は病気や事故で死ぬ人が多く、平均年齢も50歳くらいだったので、天皇の代かわりに年号を変えても不自然ではありませんでした。

しかし現在では100歳も珍しくない時代ですし、これから100歳を超える人は増える一方でしょう。ですから、100年を一区切りとして、一つの年号を割り当てた方が良いのです。

それと昔は100年を超える政治経済の計画など有りませんでした。行き当たりばったりで政治をやってきたのが現実です。しかし現在は違います、100年を見据えて政治経済を運営しなければ成りません。

ですから、西暦と一致した百年区切りの年号が合理的なのです。

お礼日時:2021/08/05 17:45

ならば「皇紀」を復活させるほうがよいです。



今年は皇紀2681年なので、西暦+660年と簡単に計算できます。
役所やコンピューターは皇紀で管理すればよいですし、元号は元号で残せばいいでしょう。

このような「西暦と違う年号」は他国も使っていて、台湾なら2021年は民国紀元110年ですし、タイの仏教暦なら仏滅紀元2564年です。

今上陛下の生死に関係ない日本の暦号なら皇紀が一番いいと思います。
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この回答へのお礼

1,000年単位では長すぎます。元号は一人の人間の一生の時間に関連付けるべきだと思います。

寿命が長くなり、百年はちょうど人間の一生に当たります。自分が生きた、この百年を大切に思い、これに名前を付けたいと思うのは当然の感情でしょう。

お礼日時:2021/08/05 17:57

日本にも和風月名があった


1月 睦月(むつき)
2月 如月(きさらぎ)
3月 弥生(やよい)
4月 卯月(うづき)

世界各国に月々に名前があり
1月 January
2月 February
3月 March
4月 April
5月 May

1月などと数字で月を読む国は無いです

つき表示だけではなく尺貫法、一升などの文化も無くなり
今はメートル、キログラムの統一されてしまった

戦争に負けると国の文化が取られ失われます

和暦は日本の文化であり歴史です
覚えやすいとか分かりやすいではなく
文化として覚えるべきだと思います
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この回答へのお礼

私は元号を廃止せよと言っているのではありません。しかし、このままでは、不便だから廃止せよと言う声が強くなる一方でしょう。ですから、西暦と一致させるべきだと思うのです。

寿命が長くなり、百年はちょうど人間の一生に当たります。自分が生きた、この百年を大切に思い、これに名前を付けたいと思うのは当然の感情でしょう。

お礼日時:2021/08/05 17:54

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