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不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

司馬遼太郎が下のように書いています。

<遊牧民族というのは、モンゴルであれイランであれアラビアであれ、商業民族や農業民族にくらべて、伝統として民族的自尊心がつよいということから理解しなければならない。とくに、農業民族に対してである。土の上を這いずりまわっている汚らしい耕作者を、遊牧者が馬上ゆたかに見おろしている光景を想像すれば、かれらの気分がほぼ察せられるであろう。
 モンゴル人が耕作をきらったのは、基本的にそういう理由もあったし、それにラマ教が入ってから土を掘ることそのものが宗教的禁忌になった。土を掘るとその中にいる虫を殺す。悪業になる。悪業があれば悪く転生してしまう、だからいけない、というのである。>

モンゴル人は遊牧が主流であるから、耕作を嫌っても生存の支障がない、と思います。
ところで、チベット人は同じラマ教(チベット仏教)を信仰しています。
チベットの産業は農業も牧畜業も行っています。
宗教的禁忌のせいで耕作を禁じられたら、農業は困難、という危惧があります。

質問は、チベットでは、どのようにして、ラマ教(チベット仏教)による耕作の禁忌を回避し、農業ができるのでしょうか?

A 回答 (2件)

> 質問は、チベットでは、どのようにして、ラマ教(チベット仏教)による耕作の禁忌を回避し、農業ができるのでしょうか?



それは、司馬遼太郎の文章をよく読めば、おのずと明らかではないでしょうか。彼は、チベット仏教では耕作が禁忌だったとは書いていません。モンゴルにおいては土を掘ることそのものが宗教的禁忌になったと書いてあるのです。

早い話が、虫供養を思い浮かべてください。日本でも、敬虔な仏教徒の農民は「土を掘るとその中にいる虫を殺す」ことになるのを心苦しく思って、10月10日ごろお坊さんに供養してもらう風習が各地にあります。
つまり、土を掘ることそのものを忌む意識はあるのですが、耕作を忌むというのは言い過ぎなのです。

チベットにも虫供養があるかどうかは知りません。それが見られないとしても、とにかくチベットは耕作と牧畜の合計でやっと食べていける状態だったので、耕作をしないわけには行かず、伝統にのっとった仕組みによって、耕作の禁忌を回避したでしょう。
「伝統にのっとった仕組み」というのは、チベット仏教と肉食との関係においても出てきます。そもそも、仏教では殺生が禁忌のはずなのに、なぜ彼らは肉を常食できるのか。
これは、牧畜民がみだりにせずに、伝統的な屠畜方法(窒息死させる)を守る、その肉は食べてよい、という仕組みがあるそうです(イスラムのハラール肉に通じる所があるかも知れない)。以上、「供養」や「伝統的な屠畜方法」などの仕組みにより、「土を掘ることの禁忌」と耕作とを分離し、「殺生の禁忌」と肉食とを分離していると思われます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
おそらくあらゆる宗教は(原則)殺生禁止(生き物・動植物)なのでしょうね。
しかし、<屠畜>や収穫(採取)、<供養>の定められた方法にのっているかぎり、殺生禁止に該当しないのですね。

お礼日時:2021/10/21 13:31

これって、誤解に基づいていませんでしょうか。


http://hashim.travel.coocan.jp/mongolia/uba006.htm

下のような説明もあって、僧はうっかりでも殺生をしないように、在家に依存するということのようです。 
上座仏教で一人の修行者が、悟りを求めて洞窟に入り修行するとする。実は一人で洞窟に入っても、そのあと困ってしまう。食事をどうするのか。上座仏教の修行者は戒律の問題があって、自分で食事を作ることができない。薪を焚こうとして、もしも薪の中に虫が入っていたら、殺生戒を犯すことになる。
だから、食事は在家信者の家から布施してもらうのである。南方の国々で僧侶たちが毎朝托鉢に出るのはそのためである。だから修行者は、洞窟に入る前に在家信者の家に行って、これから修行したいと思うが食事を毎日運んでもらえるかと頼む。了承を得た上で、洞窟の修行に入るのである。
とにかく在家の人の援助がなければ、一人で修行することなど事実上不可
能なことである

現実に、モンゴル遊牧民は、乳と乳製品だけを食品にするのではなく、屠体の頭部の肉・内臓・血・骨髄まで食べ、廃棄される部分は骨と蹄だけと、まさに放牧・肉食民族という生活をします。
モンゴルの伝統的な暦によれば、十一月は「月」とよばれていて、このころに、冬から春にそなえて家畜をいっせいに屠ったらしいです。 逆にいうと全く肉を食べない時期もあって、そのときは乳と乳製品だけを食べていたらしいです。
とにかく、土地の生産性がとても低くて、植物も育たず、季節で移動放牧し、それを唯一の食料としていたので、生活の知恵でそうなったのではないでしょうか。

チベットにも、標高が低く農業も出来る気候の場所がありますが、ヒマラヤ周辺はネパールでも中国でも高地で寒冷で、そもそも農業適地ではないです。現代ではビニールハウスや地下水利用も可能ですが、耕起して農耕をすると土地がダメになってしまうこともあるようで、そういう場所では放牧型の畜産になったり、不耕起で蕎麦を育てたりということもあるようです。麦も育ちます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
残念ながら、<誤解に基づ>が分かりません。
誰が何を誤解しているのですか?

お礼日時:2021/10/21 13:33

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