【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

1. 小説家の文章をふたつかかげます。

これらにわれわれが寄ってたかってツッコミを入れることをとおして 日本人論の深みを互いに問い求めることが出来れば さいわいです。

自由にご見解を述べてください。例によって質問者は自由に(つまり 互いに対等の立ち場で) 批判をも交じえて コメントを書き込みます。むろんそれに対して反論してください。




2. なお 次の遠藤周作における《黄色い人》は 特には われわれ日本人を指して言っているはずです。

▲ (遠藤周作:黄色い人) ~~~~~~~~~~~~~~~
3. 神さまは宇宙にひとりでいられるのがとても淋しくなられたので人間を創ろうとお考えになりました。そこでパン粉を自分のお姿にかたどってこねられ竈(かまど)で焼かれました。

あまり待ちどおしいので 五分もたたぬうちに竈をおあけになりました。もちろんできあがったのは まだ生やけの真白な人間です。《仕方がない。わしはこれを白人とよぶことにしよう》と神さまはつぶやかれました。

4. こんどは失敗にこりて うんと時間をかけることになさいました。すこしウトウトとされているうち こげくさい臭いがします。あわてて蓋をおあけになると 真黒に焼けすぎた人間ができているではありませんか。《しまった。でも これは黒人とすることにしよう》。

5. 最後に神さまはいい加減なところで竈をひらかれました。黄色くやけた人間が作られていました。《なにごとも中庸がよろしい》。神さまはうなずかれました。《これを黄色人とよぼう》。(童話より)

6.
  我 汝の業を知れり。即ち汝は冷ややかなるにも非らず 熱きにも非
  らざるなり。寧(むし)ろ冷ややかに 或いは 熱くあらばや。
  然(しか)れども汝は 冷ややかにも熱くも非ずして温(ぬる)きが
  ゆえに 我は汝を口より吐き出さんとす。(黙示録)

(遠藤周作:『黄色い人』 冒頭)


7. ▼ (司馬遼太郎:《絶対》なる概念と日本人)~~~~~~~
http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk//pages/SAK …

8. 近代以後の日本の文学者が、西洋の小説を読み、読みおえてから小説を書きはじめたことは、いうまでもありません。
 
ただ日本には「絶対」という思想、慣習、あるいは日常の気分がなかったということが、決定的に不利でありました。

9. 日本に存在しつづけてきたのは、すみずみまで相対的世界でした。
神道、山々や谷々の神々、あるいは仏教という相対的世界を最初から是認した思想。

10. 山々や谷々の神々が神遊びをするように、神遊びとしての日本特有の私小説がうまれても、絶対という大うそを、つまり絶対という「神」---これは聖書の「神」のことですが---という思想、又は文学的思考----大文字のGodと同じ次元での大文字のFiction---を中心にすえるという習慣は、日本においてはカケラもありませんでした。

11. いうまでもありませんが、"あの部分はフィクションです〃という意味の虚構ではありません。神が絶対なる、ごとく、同じ意味における絶対の虚構のことであります。

12. むろん、絶対などは、この世にありはしません。宇宙にも、科学の中にも、存在しないのです。

13. しかしある、と西洋人は、千数百年をかけて自分に言いきかせつづけました。
 
14. 絶対、大宇宙の神は存在する、うそではない、ということを、哲学として、神学として、論理をきわめ、修辞をきわめ、思弁のかぎりをつくして説きに説きつづけてきたのです。
 
15. ヨーロッパの荘厳さというべきものであります。

(開高健への弔辞 in 司馬遼太郎『十六の話』)
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質問者からの補足コメント

  • №2さんへ。

    引用は あえて自由な解釈ができるかたちでしているはずです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/28 21:24

A 回答 (16件中11~16件)

時代は異なれど、五色人は、神、高次元存在のオモチャか、アバターですね。

確かに、高次元存在が、複数のアバター=人間を動かしてる、という見解が、へーゲルにおいても現代スピリチュアリズムにおいても散見されます。地球は高次元存在の仮想空間という見方、相変わらず変わりませんね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


神からのハタラキカケが あやつりといった概念で捉えられるのでしょうか。

ううーん。むつかしいですね。そう思うのも それを覆すのも。

お礼日時:2021/10/29 08:08

もっとも長い旅をした人間でしょう。

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この回答へのお礼

そうですね。

主戦論ではなく非戦論――ユヅリアヒの精神――で 対立する勢力とのたたかいにのぞんだと見るとすれば 或る意味でもっとも短い旅において 精神的に――屈辱の従属を強いられることに甘んじたからには――もっとも長い旅を経験した・・・と言えるでしょう。



だが そのあと――対立勢力に対して おいそれと そろそろその権力を民衆のもとへゆづり返して欲しいとは言えないとは言え―― みっともいい為体(テイタラク)である。


そばが延びてしまった。



絶対性論をぶつ欧米の思想に対しても まだまだじゅうぶんな対応・処理をし得ていない。

和魂洋才が どこかでポシャってしまった。

お礼日時:2021/10/29 03:18

山 谷 神 宇宙 


女の事でしょう エロ文学でしょう。
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この回答へのお礼

という捉え方をしますと 日本人は どういう人間になるか。どうでしょう。

お礼日時:2021/10/28 23:02

簡単な事を難しく言うのは馬鹿だ、


難しい事を簡単に言う 表現する事が難しいのだ。
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この回答へのお礼

一般論ですね。

しかも つねに真だとは限らない命題でしょう。


たたき台のどこかには 引っ掛かってもらえればよいと思います。

お礼日時:2021/10/28 22:12

現代用語に訳して下さい コピペの抜粋は分かりづらい 至らなさがめだちます。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


ですが 見限ります。ざんねんながら。

お礼日時:2021/10/28 21:21

日本人じゃなくて、


人とは、でしょ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

いえ やっぱり日本人とは です。


遠藤のばあい――たとえがあまりよくないですが―― 黄色い人は たしかに日本人のことを言っています。中庸か中途半端か いづれにも解釈できますね。


司馬のばあいは はっきりと日本人についてです。《絶対性》という概念をめぐるわれわれの扱い方でしょうか。

お礼日時:2021/10/28 20:30

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