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司馬遼太郎の「空海の風景」より引用します。

「この実慧が唐の長安に空海の死を報じている。」
「たまたま幸便があって、託したのである。」
「この報をうけた長安の青竜寺では、一山粛然とし、ことごとく素服をつけてこれを弔したといわれている。」

29年前に青竜寺を去った異国の空海を、一山粛然として弔した、のですね。
当時、空海は自分と同じ知的水準のひとびと豊かな交わりを持っていたのでしょうね。
長安が懐かしい、と思っていたでしょうね。

質問は、「この報をうけた長安の青竜寺では、一山粛然とし、ことごとく素服をつけてこれを弔したといわれている。」の出どころを教えて下さい。

A 回答 (2件)

空海の弟子である実慧はwikiを見る限り訪中した形跡はないですね。


何年かに1度の遣唐使しかなかったですから、実慧が伝えたかのかは不明です。
さらにいえば本当に伝わったのかどうかもわかりません。

ただ空海は805年に師匠である恵果和尚が死んだとき全弟子を代表して和尚を顕彰する碑文を起草しています。たった2年でそこまで評価されていたわけですから、長龍寺では空海は伝説的な人となっていたでしょう。

彼の入滅を聞いた長龍寺の僧侶たちが喪章をつけたということはあったのかもしれません。でもすくなくとも文献などではないですね。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
<さらにいえば本当に伝わったのかどうか>ですね。
<伝説的な人>ですね。
<文献などでは>ですね。
弟子の・司馬の創作ででしょうか?

お礼日時:2021/11/20 10:46

>弟子の・司馬の創作ででしょうか?



そのような文献があって司馬遼太郎が引用しているのかもしれません。
すくなくともネットではみつからなかったということです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
藪の中、ですね。

お礼日時:2021/11/21 09:13

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