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賤ヶ岳の合戦における柴田方の敗因は、前田利家・利長父子の敵前逃亡だった!?
https://rekan.jp/674/

賤ヶ岳の合戦の真相
https://ameblo.jp/yoritsuna-sakuma/entry-1271486 …

前田利家の利敵行為の戦線離脱で裏崩れがなければ、美濃大返しという強行軍で帰ってきた秀吉軍に勝てましたよね?士気や予備兵力の優位性、秀吉軍より高地に布陣しているという点で有利なので...
長時間の軍事行動で佐久間盛政率いる中入り部隊が疲れていたとしても強行軍で帰ってきた秀吉軍も疲れているでしょうから

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    併せて前田利家の印象や佐久間盛政の印象もお答えできるならお答えください。
    ちなみに私は、前田利家は処世術の匠で佐久間盛政はとにかく速攻が得意だなぁ〜と思います。

      補足日時:2021/12/19 20:19
  • HAPPY

    あと、リンクの記事を一読し質問にお答えしてもらえるとありがたいです。

      補足日時:2021/12/19 20:21

A 回答 (5件)

そうですね勝てた可能性が高いですね。


佐久間盛政が秀吉方についた柴田勝豊の家臣山路正国らを調略
一気に進軍して奇襲により中川清秀を討った
側にいた高山重友は戦わず撤収した
重友の父友照、母マリアは柴田勝家の元で厚遇されキリスト教の布教も許されていたから勝家方と戦いたくなかったのだろう

盛政は羽柴方の本隊を直撃できる位置にあったため、勝家本隊の出陣を願った
(しかし佐久間盛政の背後にいた前田利家が秀吉に通じている可能性があったので
盛政に撤収を命じた

盛政は拒否した)※創作の可能性が高い
絶好のチャンスであり、早くケリをつけなければ数で勝る羽柴方が有利になるのはわかっていたからだ

勝家は動かず
そうこうしている内に盛政の奇襲により危機的状況にあることを知った岐阜城攻めに向かっていた秀吉本隊は慌てて引き返してきた
琵琶湖から丹羽長秀も上陸してきた

秀吉は盛政を攻撃したが、頑強に抵抗し撃退された
(そこで盛政の弟柴田勝政に対し攻撃目標を変更、勝政は討たれる)※生存説あり

しかし盛政は実弟の討死にもめげず、恐るべき統率力で逃げる勝政の敗残兵を押し止め、士気を鼓舞し収容
再び秀吉と合流した丹羽長秀の大軍を阻止していた

(その盛政の凄まじい抵抗は秀吉方にいた渡辺勘兵衛も驚嘆している)※渡辺勘兵衛記による

盛政軍が秀吉方に反撃を仕掛けようとしたまさにその時に前田利家の敵前逃亡的な撤収が始まった
戦国期の足軽の忠誠心はあまりない

前田勢の撤収により裏崩れが始まった
いくら統率力のある盛政でも一旦裏崩れを起こしてしまった軍を立て直すことは無理
やがて盛政の軍は瓦解してしまう

賤ヶ岳の戦い後の論功行賞で敵方にいた前田利家に加賀二郡が加増されたことでもわかるように賤ヶ岳で最も功績のあったのが前田利家であることがわかる

もし賤ヶ岳で前田利家でなく秀吉嫌いで知られる佐々成政が着陣していたら盛政と合力して違う結果になったかも知れない

はたして前田利家は本能寺の変後、上杉景勝の支援下温井景隆、三宅長盛の旧畠山家臣と石動山の一向門徒が合力して能登の石動山、荒山に攻め込んできて前田利家は窮地に曝された

利家は加賀の佐久間盛政に救援を求めると盛政は快諾して直ぐに自ら2500の兵を率い奮戦、温井と三宅を討ったのです

つまり前田利家は恩を仇で返したのです
そのことは後々の前田家の評価を下げてしまうことになるので加賀藩二代目藩主前田利常の右筆小瀬甫庵が佐久間盛政はいわゆる脳筋で賤ヶ岳は盛政の頑迷な性格で敗北したと著書太閤記に書き記したのです
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佐久間盛政は、武将として未熟だったかと。
秀吉の戦略にしてやられました。
前田家は、微妙な立場でしたが、秀吉軍の勢いをその目で見て、柴田の勝ち目はないと判断でしょう。


全くもって的外れな回答です。

質問者は、前田利家の利敵行為の戦線離脱で裏崩れがなければ、美濃大返しという強行軍で帰ってきた秀吉軍に勝てましたよね?士気や予備兵力の優位性、秀吉軍より高地に布陣しているという点で有利なので...
長時間の軍事行動で佐久間盛政率いる中入り部隊が疲れていたとしても強行軍で帰ってきた秀吉軍も疲れているでしょうから と質問しているので私は、そのとおりだと思いますと回答します。根拠も示されているわけですし
佐久間盛政については優秀な軍事指揮官兼行政官で前田利家は生き残りの天才、処世術の達人という印象を持っています。
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佐久間盛政については優秀な軍事指揮官兼行政官で前田利家は生き残りの天才、処世術の達人という印象を持っています。

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佐久間盛政は、武将として未熟だったかと。
秀吉の戦略にしてやられました。
前田家は、微妙な立場でしたが、秀吉軍の勢いをその目で見て、柴田の勝ち目はないと判断でしょう。

全くもって的外れな回答です。

質問者は、前田利家の利敵行為の戦線離脱で裏崩れがなければ、美濃大返しという強行軍で帰ってきた秀吉軍に勝てましたよね?士気や予備兵力の優位性、秀吉軍より高地に布陣しているという点で有利なので...
長時間の軍事行動で佐久間盛政率いる中入り部隊が疲れていたとしても強行軍で帰ってきた秀吉軍も疲れているでしょうから と質問しているので私は、そのとおりだと思いますと回答します。
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佐久間盛政は、武将として未熟だったかと。

秀吉の戦略にしてやられました。
前田家は、微妙な立場でしたが、秀吉軍の勢いをその目で見て、柴田の勝ち目はないと判断でしょう。
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