電子書籍の厳選無料作品が豊富!

神社は神道、お寺は仏教のようですがこの二つの宗教を元に神社とお寺は日本に複数ありますがこの二つの神社とお寺は思想の違いなどから派閥や揉め事、争いなど都合の悪いことなどは起きないのですか?
神社とお寺はそれぞれ八万辺りと七万辺りの規模で日本に存在しているらしいですがそれほど大きな宗教であればぶつかることはないですか?

あまり知識がなく興味本位ですが今まで何かあれば教えてください

A 回答 (7件)

現在の神道と日本の仏教は勢力争いをしたりしているわけではないので「神道と仏教が争う」と言った事はありません。

    • good
    • 0

神宮寺というのがあるでしょう。


同居になりますね。
    • good
    • 0

知識が少ししかなくても、ちょっと考えるとわかるようなことも多いです。


どこにお住まいで行動範囲や経験の量がどのようなのかがわかりませんが、キリスト教会、神社、お寺、社(ちいさなおやしろ、祠)、お堂、お地蔵さんなどが、市や村、同じようなエリアにあっても、「派閥や揉め事、争いなどがあた」というニュースをほとんど聞きません。 個人と宗教団体がもめたりする件数に比べると、神社とお寺でもめて都合が悪い事態になるってことはほとんどないです。 公立の学校と私立の学校があっても、教育方針などの違いからもめ事や争いごとが起きることはほとんどないのと同じです。同業の小売店やお店、コンビニが同じ地域で競い合っても、状況は似たものです。
酒場、カフェなどでも、数は多くても、もちろん生き残りを懸けて競い合うのですが、密集しているから繁盛するということもあります。 
地域によっては、寺町と呼ばれるほど、寺が隣り合っていることも多いです。 普通の民家の10軒分くらいはある神社に入っていくと、その中に、大きな神殿の建物の他に、摂社(せっしゃ)と呼ばれる小さな社が3つ、4つもあって、別々の神様?をお祀りしているのがごく一般的です。

No.2の方が書いているように江戸時代では、神社は基本的にお坊さんが管理していてお寺の管理下が神社だったので、明治になって無理に分離しても、そういう神社の隣や近所にはお寺が現在も残っていることが多いです。

利害が異なる、信仰が異なる、思想・信条が異なる、性別が異なる、貧富が異なる、学歴や職業が異なるなど異なることは多くても、滅多に争いが発生することはないものです。 日本に限らず、ほぼ世界中で、昔っからそんなものです。 宗教戦争とかが起きた時代や地域もあるにはあるのですが、例外的な出来事です。 「人間社会全体に言えることだが、自分の所属する派閥のルールこそ常識で、別のそれを持っている奴らは気に食わないと思ってしまう」傾向があるので、信仰の方法や戒律が違っていると争いになるというようなことを言う人もいるのですが、抗争状態になることなど滅多にはないです。 国が違おうが、言語や文化習慣、体制が違おうが、互いに交易して、得を取ること、むやみと抗争にならないようにすることが、人類の歴史の事態からわかることです。

> 神社とお寺はそれぞれ八万辺りと七万辺りの規模で日本に存在している

それは宗教法人・宗教団体の数のことです。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/gaiy …

建物と敷地というセットである区画の数は、それとは違います。 正確な数を調査したものはないと思います。 たぶん、1.5倍以上はあるでしょう。 何倍もあるかもしれません。 
全く放置状態になっているわけではなくて、近隣の人たちが支えている神社やお寺もあって、重要な行事のときには、別の神社やお寺から神官や僧侶に来てもらっているとことも、結構多いです。
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%84%A1%E4%B …
    • good
    • 0

揉め事、争いなど都合の悪いことなどは起きないのですか?


  ↑
廃仏毀釈運動があったでしょう。

それ以外は、併存していますね。


廃仏毀釈とは、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、
仏教を廃することを指す。
「廃仏」は仏を廃し、
「毀釈」は、釈迦の教えを壊すという意味。

伝来当初、江戸時代後期、明治時代にも
ありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F …



れほど大きな宗教であればぶつかることはないですか?
 ↑
そもそも神道は多神教なので
他の宗教とぶつかることはあまり
無いのです。

仏も八百万神々の一つみたいな感じ
で受け入れます。

明治になると、欧米がキリスト教で国民を
まとめていることに倣い、
神道でまとめようとして廃仏毀釈が
行われました。
    • good
    • 0

時代の名残でしょうか、


12月に成ると、
お寺さんが神棚に飾るしめ縄の代用品として、
しめ縄を印刷した紙を持って、檀家を回ります。
お寺が神社のパシリをしないと、生き延びられなかった時代の証ですッ!
    • good
    • 2

>神社とお寺は違う宗教ですね



違う宗教です。

>神社とお寺は思想の違いなどから派閥や揉め事、争いなど都合の悪いことなどは起きないのですか?

起きないこともないですが、それは政治的な何かが合った時です。たとえば明治維新の後、神道が国家宗教になり、政府が神社を整備する際にお寺を壊すなどの廃仏毀釈が行われたました。

>神社とお寺はそれぞれ八万辺りと七万辺りの規模で日本に存在しているらしいですがそれほど大きな宗教であればぶつかることはないですか?

政治的な部分を抜けば、あまりないです。
どちらの宗教もキリスト教など違って「自分だけを信じろ」という排他性を持っていなかったこと、日本にヤマト王権が出来る際に「すべての豪族の神々を天皇は認め、すべての神々に天皇は祈りを捧げる」というやり方で日本を統一したからです。

なので日本では「すべての神々が平等で、もちろん仏も平等。誰がどのような神仏を信じてもいいし、複数の神仏を同時に信じてもいい」ということになったのです。

ただ、とはいえ「仏さまって外国のものだよね」という認識はあり「なんで神と仏と二種類あるんだろう?」という疑問は昔からあったので、これを説明するのに「神様はどこでも同じなんだけど、天竺(インド)では仏として現され、日本では神として現された」という本地垂迹(ほんちすいじゃく)説ができました。

たとえば仏様の中で最も位が高い大日如来と神道の神でもっとも位が高い天照大神は「同じ太陽の神なのでこの二つは同じ」としたわけです。

なので、明治以前はお寺の中に神社があって「仏様を助ける日本の神様たち」とされたり、大きな神社の中にお堂があって「神様を助ける仏様たち」なんていうこともあり、たとえば伊勢神宮の境内の中には朝熊岳金剛證寺というお寺があり、伊勢本宮の鬼門方向を守っているとされています。

こういう形の神仏習合は江戸時代まで多かったのですが、先に書いた廃仏毀釈でだいぶ減ってしまったのです。
    • good
    • 0

時代による


最初は抗争も有った
やがて受け入れるばかりか一体化した時代も有った
やがては再び仏教が排斥される事も有ったがやがて互いに独自の道を進むことになり今に至る
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す