【コナン30周年】嘘でしょ!?と思った○○周年を教えて【ハルヒ20周年】

生命の、その保持・維持に必要な“養分”は、他者の肉体。
これが必須。
と、云う事は、共食いだ。

人間が崇め奉る“創造主としての神”の仕業だと思うと、、、
嗚呼、罪深い神。

それなのに神の本質は愛だ、なんて思っている皆さん。
おかしくないですか?

質問者からの補足コメント

  • 目の前の机とは距離が有ります。

    今は、その机に手をついています。
    この場合は、机との距離はない、という事でしょうか?

    自分と机との関係は、手をついている間は“今・現在”であるけれど、手を放した瞬間に“過去の机”となる、と云う事ですね?

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/26 19:33
  • 回答者の菱菱菱さんも、文章がおかしいと云ってましたね。

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/02/06 11:40
  • 仏教では煩悩があるから、菩提心が起きると云います。
    これを、仏の慈悲心が煩悩を与えた、と云い変えれば、生の苦しみは神の愛が与えたと云う表現を、苦しみがあるから、神の愛に気付く事が出来る、と云えますね。

    ちょっと苦しい解釈ですが。

    回答を下さった皆さん、有り難うございました。
    ベストな回答は迷いに迷って決めました。

      補足日時:2022/02/06 11:54

A 回答 (32件中31~32件)

マゾになって苦しみを喜びに変えよう。

それが愛としての考え方。ですよね。
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この回答へのお礼

少しばかり考えて見たのですが、、、

「愛としての」
これが分かりません。

愛を以て受け止める、という意味ですか?

お礼日時:2022/01/26 07:45

彼ら食しをる時、イエス、パンをとり、祝してさき、弟子たちに與へて言ひ給ふ『取りて食へ、これは我が體なり』


また酒杯をとりて謝し、彼らに與へて言ひ給ふ『なんぢら皆この酒杯より飮め。
これは契約のわが血なり、多くの人のために、罪の赦を得させんとて流す所のものなり。
ーーマタイ傳福音書二十六章


(私たちは血の潮、世のヒカリゴケ事件かも・・・。)
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この回答へのお礼

やわな“頭脳”だから、難しいです。

イエスはどのような思い、で云ったのでしょう?

「わが血なり」と云っていますが、イエスの血ですよね。
と、云う事は自分は神だと、云っているのですか?
それとも神の代人だ、との思いでの発言ですか?

イエスは、生命の共食い状態は致し方なし、との考えなのかな?と思いましたが。

お礼日時:2022/01/26 07:40
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