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雛人形は親や姉妹と共有せず、一人一組買うべきとのことですが、昔子供が多かった時代から、そのような風習だったのでしょうか。
子供が6人も7人もいた時代、例えば娘が5人いたら5組の雛人形が家にずらっと並んでいたんでしょうか。
昔のひな祭りの光景の想像が出来ないので、ご存じの方、ご教示願います。

A 回答 (7件)

一人一組は、


メーカー・販売店の策略ですねッ!
少子化で、結構大変なんですね。
昔は三姉妹とか四姉妹とかザラでした。
一人に一組ぢゃ、足の踏み場もない、
何処に寝れば良いのだッ!
って事ですよッ!
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この回答へのお礼

ですよね。どうやって飾っていたんだろうと思っていましたが、やはり少子化の時代の企業戦略ですよね。ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2022/02/16 10:47

むかしのひな人形って今のように7段飾りだとかケース入りだとかって幅をとるものではなかったので。


『姉様人形』でググったら出るような物です。
それなら一人一対揃えることも不可能ではありませんね。
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この回答へのお礼

なるほど、小さくて便利だったんですね。知りませんでした。ありがとうございます!

お礼日時:2022/02/16 10:37

1年限りで使い捨て(神社やお寺に納めたり、川に流したりする)にするひな人形なら一人一組でしょうが、段飾りでは有り得ません。


女の子が複数いる家庭で段飾りなら、末っ子がお嫁に行く時持って行くのが普通かな?末っ子が嫁に行ったら長女が引き継ぐ場合もあったかな?
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この回答へのお礼

やはり段の雛人形を何組も飾るのは無理ですよね。ありがとうございます!

お礼日時:2022/02/16 10:39

こんにちは



昔は一家に一つでした。

お嫁に行くときに持っては行かず、下の子のために残してありました。
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この回答へのお礼

簡潔なご回答をありがとうございます!すっきりしました。

お礼日時:2022/02/16 10:40

今のひな祭りの風習は昭和初期に日本橋三越による同じく日本橋人形町の久月や吉徳のイベント宣伝で作られていて、今の全国的な段飾りは岩手青森由来の大正期に生まれた新暦による東北の風習で、昭和30年代以降にデパートの宣伝で普及したもの。


室町時代から雛流しという藁人形の形代流しの風習に、江戸後期に人形町の古今雛という平安貴族人形の男女雛が流行して、御殿飾りという高級おままごとセットにようになって、久月が明治期に五人囃子を追加したことでメンバー増員で置き場所がなくなったので段飾りに変容したとされます。

ひな祭りの歌「うれしいひなまつり」もサトウハチロー作曲で昭和11年発売の新民謡であり、この曲自体もデパートの販促として生まれたCMソング。

ひな祭り自体は昭和期だけの風習なのです。
産業革命がないと雛人形の大量生産が不可能ですし。
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この回答へのお礼

とても詳しくご回答頂きありがとうございます。現代のひな祭りは、比較的新しい文化なのですね。非常に勉強になりました。

お礼日時:2022/02/16 10:42

旧家には代々受け継がれているひな人形がありますね



良いものを大事に受け継ぐのが本来の姿だと思いますよ
まぁ一人一組の方が売り上げ面では望ましいんでしょうけど
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この回答へのお礼

確かに旧家には立派な雛人形がありそうですね。良いものを大切に受け継ぐのが本来の姿というのは、とても同感です。ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2022/02/16 10:44

今は名前を入れたのぼりを追加購入するのが主流ですよ

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この回答へのお礼

なるほど、そういう方法もあるんですね。その方が場所を取らなくて良いですね。ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2022/02/16 10:45

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