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楽しい時間はあっという間に過ぎるように感じます(音楽聴いてカップ麺の3分と時計を見ながらカップ麺の3分など)が、
一年間を振り返える時などは、
退屈で何もなかった一年だったと思う時はあっという間に感じ、充実した一年だったと思う時は長く感じます。
時間の感覚は充実度で変化すると思っていましたが、楽しく過ごしても退屈でもあっと言う間に過ぎたと思うのはなぜでしょうか。
時間の感覚が変化する要因は何でしょうか。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    ①瞬間的な単位
    ゾーンと呼ばれるものですかね?
    とても集中するとスローモーションに感じるのは面白いです。
    ②数時間単位
    数時間の場合には時間に集中すると長く、自分の行動に集中している時は短く感じるという表現は端的でいいですね。
    私は集中している時とは、目的や望みの対象(カップ麺を味わうこと、共通テストを受験することなど)を体験している時であっという間に感じ、
    目的や望みの対象が今目の前になく、現在それらを待っている時=時間に集中している時は遅く感じるのだと思いました。
    ③一年単位
    初めてが多いと衝撃が大きくゆっくり感じるのは同意しますが
    数時間単位と一年単位で感じ方が真逆という点について疑問が残ります。
    どこからが堺になって、退屈が早く過ぎ去り、面白い出来事はゆっくりに感じるのだと思いますか?また1年間カップ麺を待つという出来事があったとして、それがあっという間にすぎるようには思えません。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/03/01 12:43

A 回答 (5件)

1年が短く感じる・・・は、けっこう体系的に調査されていて、ほぼ全員そう思っている。

そして、理由は、年齢が高くなると、1年の変化率が小さくなるから言われていますね。N+1/ N は、Nが高くなるとほぼ1ですから、1年たっても何も変化しない>>短く感じるってことです。

ところが、ある出来事や瞬間が短く感じるとか、長く感じるとか、実際整理して調査でもしないと、みんなが思っている感覚に傾向があるかどうかもわかりませから、理由を考えても、あまり意味がないように感じます。
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専門家でも何でもないので私見。



楽しいと時間の経過が苦にならないからその時点では短く感じる。
でも楽しいといろいろ記憶に残るが、退屈だと残らないので
後から振り返ると退屈な方が短く感じる。
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この回答へのお礼

振り返る時の時間感覚の長さは記憶の濃さにあるのかもしれないですね!
ありがとうございます。

お礼日時:2022/03/03 23:40

全ては脳のなせる技ですが、瞬間的な時間、数時間、1年程度の長い時間に分けて考えてみます。



エレキの神様 寺内タケシは、目にもとまらぬ速さですね、と言われて「自分では早いとは思わない、スローモーションで見えているのね。」と言っています。野球でボールが止まって見える、というのも同じで、ヒトは極度に集中すると、一瞬がスローモーション映像になって見えます。命の危険に遭遇した時にも同じことが起きます。

何かに集中して作業をしていると、「えっ、もうこんな時間」となることがあります。共通テストや入試などでも同じことになっていると思いますが、逆に試験開始までは非常に長く感じていると思います。これは、誰もが良く経験することで、一方は集中したことにより時間が経つのが早く感じ、もう一方は、時間に集中することで長く感じるのではないかと思います。

最後は、1年単位ですが、幼い時ほど時間の流れがゆっくりなのに、年を取るにつれて時間の流れが速くなります。これは、ヒトの心が初めて経験することになんらかの衝撃を受けることに起因していると思います。また、割と衝撃的な経験でも何度も経験すると、心はマヒしてしまうようで衝撃を受けなくなってしまいます。そのため、年をとると日常的な出来事は心に残らないので、あっという間に過ぎていくのだと思います。

ヒトの心が初めて経験することに衝撃を受ける事例です。
 50歳過ぎて父が死んで葬儀の出棺の時と火葬直前に号泣しましたが、母が死んだときはどの場面でも泣くことはありませんでした。父に対する想いより母に対する想いの方が強かったはずなのに、当時はどうしてか不思議に思っていました。

以上、ド素人の脳科学者の気づきです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

時間に集中するか、出来事に集中するか。
出来事の衝撃度合いで感覚が変化するのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2022/03/03 23:43

5歳の1年は20%です。


50歳の1年は2%です。
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この回答へのお礼

そんなに違うんですね。
勉強になります!

お礼日時:2022/03/01 12:49

一般には、生活内容が興味深く新奇であれば、時間の経つのが短くなるが、単調とか空虚とかは、時間の歩みに重しをつけて遅くすると信じられているが、これは無条件に正しい考えではない。



一瞬間、一時間などという場合には、単調とか空虚とかは、時間を引き伸ばして「退屈なもの」にするかもしれないが、大きな時間量、途方もなく大きな時間量が問題になる場合には、空虚や単調はかえって時間を短縮させ、無に等しいもののように消失させてしまう。

その反対に、内容豊富で面白いものだと、一時間や一日くらいなら、それを短縮し、飛翔させもしようが、大きな時間量だとその歩みに幅、重さ、厚さを与えるから、事件の多い歳月は、風に吹き飛ばされるような、貧弱で空虚で重みのない歳月よりも、経過することが遅い。

従って、時間が長くて退屈だというのは、本当は単調過ぎるあまり、時間が病的に短縮されるということ、のんべんだらりとした死ぬほど退屈な単調さで、大きな時間量が恐ろしく縮まるということを意味する。一日が他のすべての日と同じであるとしたら、千日も一日のごとくに感ぜられるであろう。そして毎日が完全に同じであるならば、いかに長い生涯といえども恐ろしく短く感じられ、いつの間にか過ぎ去っていたということになるだろう。

習慣とは、時間感覚の麻痺を意味する。あるいは少なくともその弛緩を意味する。青春期の歩みが比較的ゆっくりとしているのに、それ以後の年月が次第にせわしい急ぎ足で流れ過ぎていくというのも、この習慣というものに原因があるに違いない。

トーマス・マン『魔の山』岩波文庫
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この回答へのお礼

ありがとう。
私は短い時間や長い時間をカップ麺の3分や一年間の振り返りなどと例えていますが、具体的にどこからが退屈が早く感じるようになるのか、時計見ながらの3分間は退屈だが、もっと長い時間、5000時間かかるカップ麺ならばどうかと回答を読みながら考えていました。

その結果、退屈な時間感覚の変化は、退屈な出来事の長さではなく、
私の結論は、何か目的や望みの対象(カップ麺を味わうことや退屈な授業の後の休み時間など)を現在進行形で【早く来ないかと待っている時間は長く感じ】、
過ぎ去った退屈で空虚な【過去を思い出している時(今現在は待っていない時)はあっという間に感じる】ということが分かりました。

またついでに退屈とは、自分を幸せにしてくれる物は今ここにないという考えだということも分かりました。

あなたの回答で疑問を深く考えることができました。
感謝。

お礼日時:2022/03/01 04:13

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