
春望
作者:杜甫
国破れて山河在り
長安は崩壊してしまったが、山や河は変わらず、
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺そそぎ
時世の悲しみを感じては、花を見ても涙がこぼれおちる。
家族との別れを恨んでは鳥の鳴き声にすら心を痛ませる。
烽火 三月に連なり
三ヶ月が経ってものろし火(戦火)は消えることはなく、
家書 万金に抵あたる
家族からの手紙は万金にも値する。
白頭を掻けば更に短く
白くなった頭を掻けば、髪はいっそう短くなり
すべてしんにたへざらんと欲す
かぶり物のかんざしをさすこともできない。
_____________
杜甫のこの詩を読むと、トホホな気持ちに成りませんか?
今のウクライナにそっくりですよね?
杜甫がこの詩を書いたのは、 今から1266年も昔、安禄山の攻撃により長安が陥落した756年頃。
それから、今に至るも、人間のやる事は大して変わっていないようです。
ちなみに、この頃、日本では万葉集が書かれていて、その中に、
大伴 熊凝(おおとも の くまごり、和銅7年(714年) - 天平3年(731年)は、奈良時代の地方官吏。姓は君。肥後国益城郡(熊本県上益城郡・下益城郡などにあたる)が、天平3年6月27日(731年7月21日)、18歳の時、肥後国国司の従者になり、奈良の都に向かうが、道中、疾病にかかり、そのまま安芸国佐伯郡高庭(現在の広島県廿日市市大野高畑と推定されている)の駅家にてみまかる。
大伴 熊凝、臨終の際に、長く嘆息して、こう言った。
「伝え聞いたところでは(地・水・火・風の四大が)仮に結合してなった人間の身は消えやすく、泡沫の命はとどめにくい。それゆえに千年に一人出るかのような聖人も既に去り、百年に一人出るかのような賢者もまたとどまらない。
ましてや凡愚のいやしき者は、いかにしてうまく死から免れるのだろうか。ただ、私の老いてしまった親は、ともに草の庵にいらっしゃる。私を待って、日を過ごせば、きっと心を痛めるほど残念がるだろうし、私を望んで約束の時に帰れなかったら、必ず光を失うほどの涙を流すだろう。
かわいそうな私の父、痛ましい私の母よ、この一身の死に向かう道は苦しくないが、ただ二親の生きて苦しまれることのみを悲しむだけだ。今日、永久に別れてしまったら、いずれの世にまたまみえることができるのだろうか」
以上のように語り、歌六首を作って、死んだという。
彼の死を悼んで、大宰大典であった麻田陽春が以下の2首を詠んでいる。
国遠き 道の長手を おほほしく 今日(けふ)や過ぎなむ 言問(ことど)ひもなく
朝霧の 消易(けやす)き我(あ)が身 他国(ひとくに)に 過ぎかてぬかも 親の目を欲(ほ)り
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