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秀頼は秀吉の子供じゃないって言ってますけど本物の話なんですか?

A 回答 (7件)

大野治長の子という噂を流す人いますが、おかしいでしょう。



淀君が秀吉の寵愛受けて生まれた子です。

秀吉は正室の寧々に子が出来ず、たくさん側室作り、
ようやく生まれたわけです。
最初の子の鶴松は早世。
秀頼は次の子ですね。
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間違いなく秀頼は秀吉と淀殿の息子でしょう。



秀頼は身長197センチメートル、体重161キログラム。
秀吉は身長140cm程度だったので、父親ではないという俗説が生じたと思われますが、淀殿は身長168cmで、当時の女性としてはかなりの高身長。秀頼の祖母になるお市の方も淀殿と同じくらいの高身長でしたし、祖父の浅井長政に至っては身長190センチ、体重110キロという、これまた巨体の偉丈夫でした。

秀頼が、祖父に当たる浅井長政のDNAが織田家の高身長のDNAに強化される形で、受け継いだとすれば、秀吉云々は関係ないでしょう。
もちろん、これは秀吉の実子であるという証明にもならないわけですが、秀吉のタネ無し疑惑も、長浜城主時代に男子が生まれている(ただし子供時代に夭逝)など、根拠が乏しいようですし、父親が石田三成説、大野治長説も、これまた何の根拠のない下世話な俗説です。晩年の秀吉は恐ろしい男です。秀吉にほんの少しでもそんな疑惑を掛けられただけで切腹ものでしょう。そんなリスクを冒す理由が見当たりません。
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生物学的に本当に秀吉の子であるかは、当時も現代も調べようがなく不明です。

しかし、状況証拠から疑わしいことは確かです。
ただし、秀吉が唯一の正統な豊臣氏の後継者と決めたことはゆるぎない事実であり、当時からもそのように認識されていたのです。
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今となっては本当かどうかはわかりません。



秀吉の子ではないと言われる説の根拠の一つは、秀吉が小男だったのに秀頼は並外れた巨漢だったとされていることです。
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江戸時代から、大野治長の子という説もあります。



秀吉は若いころから何人もの女と交わっていながら一度も子ができていないのに、老年になって初めてできたのもまた不思議な話。

DNA 鑑定の D の字もなかった時代、検証のしようがないから誰も大手を振って言わないだけ。

https://senjp.com/cyacya/
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どっちにしても確認も証明も出来ない話



で、少なくとも一次資料で不義の子という話は無さそうなので
違うという事は無いと思うのがよろしいかと
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庶子(正室ではない女から生まれた子)なだけで、秀吉の子供ですよ。

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