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セガサターン・ドリームキャストのセガとプレイステーションのSONYが戦争していた時代がありました。
その時のセガの中心人物だった湯川専務も亡くなり、そしてSONYの社長だった井出さんも亡くなりました。
自分的には御二人の死で本当の意味で平成が終わったと感じています。
改めて質問ですが、
何故、セガはSONYに負けたのでしょうか?

A 回答 (3件)

当時のセガは社内がチグハグでしたね。



アーケードゲームで名を馳せていたセガのAM2研は、ゲームに3DCGを導入して、バーチャレーシングやバーチャファイターを制作し、ゲームセンターで大人気を博していました。

しかしその頃出したサターンはハードウェアとして3DCGをまったくサポートしておらず、相変わらず2Dのスプライト機能ばかりを全面に押し出した古い設計でした。

それに引き替え、プレイステーションの3DCG機能は当時としては優秀でしたし、前述のセガのアーケードゲームが「ゲームに3DCGを導入するとこんなにおもしろい」と、間接的にプレステの宣伝をしているような状況でした。

当時のセガがもっと一枚岩で、サターンに積極的に3DCG機能を乗せていれば、もう少しプレステに対抗できたように思います。

その後に出たドリームキャストは、サターンの反省を活かしたなかなかすばらしい機種でしたが、やはりその時点で付いてしまった差を埋めるのは難しく、追いつくことはできませんでした。
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たぶんドラクエをプレステになったからだと思う


後ダンスリボリューションなどソフトがヒットした
花火や大花火なパチスロもプレステ限定だったし会社の規模による撤退
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SONYの経営方針、社風でしょうね

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