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仏教の例え話で、長い箸とおごちそう、があります。あれは、他人軸、という意味とは違うんでしょうか。おみくじでも世のため人のためと書かれてますが、他人軸とは紙一重なんでしょうか。自分軸と自己中または利己心とはちがうのですか。わかる方教えてください。

A 回答 (3件)

「他人軸」という言葉は、だれでもが同じような意味で使う言葉ではないのでしょう。

 
ただ、自分軸と他人軸と並べ比較するような形で言う人のほとんどは、「他人軸=友人知人の気持ちや上司からの評価を1番に考え、自分の気持ちを後回しにして取り組む」、「他人軸=人からどう思われるかを考えてしまう」というように考え、「自分軸=自分の気持ちを大切にする」というように考えるようです。  そのように考える人は、「自分軸=我が儘」「自分軸=強引・独善・独り善がり」とは考えないのです。 {「自分軸=我が儘」「自分軸=強引・独善・独り善がり」とは考える⇒他人軸に影響されている}と考えるのです。

自分軸と他人軸と並べ比較するような形で言う人のほとんどは、「自分に自信がなくなったり、元気が出てこないのは、ストレスの結果である」と見立てて、ストレスフリー&ポジティブになるには"あるがままの自己肯定"が大事だという方法論に立って、「おもんばかり・気にする・配慮する」思考習慣を少なくしようとしているだけです。
それで(その人が「他人軸から自分軸にシフト」して)、周りに嫌がられたり、利己的なってしまったら、そのときに、別なアイデアで「思いやり」「認め合うことの大切さ」等を言うだけです。 
(三人寄れば文殊の知恵 船頭多くして船山に上る)(善は急げ 急がば回れ)
(渡る世間に鬼はなし 人を見たら泥棒と思え)
(君子危うきに近寄らず 虎穴に入らずんば虎子を得ず)
などのように、その時々の状況で、適当に言っているのと同じです。
聞く方も、自分で「そうだ、それで行こう!」と思えば、それで行けば良いだけのことです。 嘘も方便です。 都合が良ければ、なんでも良いのです。
後でマズくなったら、別の言い方をすれば良いだけのことです。

> 仏教の例え話で、長い箸とおごちそう、があります

確かに、そういう話しをする坊さんもいます。
https://www.jodo-kanagawa.com/houwa/contents/hou …
これは仏教説話であると紹介している人もいます。
https://www.shojunji.com/post/%E9%80%A3%E8%BC%89 …
でも、どうやら、19世紀にはまだなかった話しらしいです。 「なかった」を確認するのは難しいです。 
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/452565.html
20世紀になってから日本で作られた作り話・法話なのでしょう。 譬え話なので、聞き手にとって、「そうなんだ。それって大事だよな」と思えれば、充分なのです。
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違うと思う・



他人に長い箸で食べさせれるくらいなら 手が使えるのだから 自分で手で食べればイイだけ・・

それを しない人が多いから ネット検索で すぐに出る事でも 此処で 他人に聞く人が多い
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他人軸とは他人を基準にすることを指しますし、長い箸のたとえは利己心と利他心について説いた喩えですね。



それぞれまったく違うものです。

自分軸というのは自分を基準に生きることです。確固たる自己を持った状態です。

自己中というのは自分さえよければ他人の利害はどうでもいいということです。

利己心というのは自己中と似ていて、自分の利益を最優先する状態です。
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