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自己肯定感が低い人というのは、何故『自分』を中心に置いて(軸に?)物事を捉える思考になるのか。

そのメカニズムが分かる方、そのメカニズムをぜひ教えて下さい。

(自己肯定感が低い人は、自分中心の思考じゃないのでは?等の返信や意見は要りませんので、一切送ってこないでください)

A 回答 (3件)

傲慢な人と、自己肯定感が低い人というのは、実は表と裏の違いはあっても、どちらも「自分」を中心に据えて、自分を「独善が許される存在」と捉えるのか、「自分は評価されていない存在」と捉えるかの違いでしかありません。



幼少期の接し方は影響すると思います。

頭ごなしに、子自身での選択を認めず、親が下した決定に随わせることを続ければ、自分の選択は「他者からは受け入れられない」という感じ方がこびり付くことになると思います。

一方、子の過ちを問題にせず、身勝手を許し、社会性を学ばせず、プライベートな環境での発想のまま、改める機会も十分に経ていない場合は、自分の振る舞いを周囲は受け入れるべきだと考えるクセが染みつくでしょう。

成功体験については、平均的レベルの社会性がある場合は、自己変革や成長の機会として意味がありますが、傲慢な人にとっては傲慢の増幅に作用し、自己肯定感が低い人にとっては、それでも自分を肯定できない(その成功を自分の成功だと考えられない)という悪癖が続きます。

では、どうしたら自己肯定感を上げられるのか。

他者との協力による「共同成功体験」により、協働した同志での相互承認が「受け止めやすい成功体験」になります。
同じように「成功者」と周りが認める他人の存在が、自分の存在を承認する後押しになるのです。
それを何度か経験することで、次第に単独での成功に対する承認自閉が緩和されていくと思います。
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この回答へのお礼

重ねがさね、ありがとうございます。

他者との協力による「共同成功体験」ですか…
不可能と決めつけてしまうのもダメなのでしょうが、物心ついてから、パーフェクトと言っていいほど人には嫌われ続けているので、これは私には無理そう…
この“人に好かれない”ことが、自信のない根底にある気はしているのですが、

『子自身での選択を認めず、親が下した決定に随わせることを続ける』や
『子の過ちを問題にせず、身勝手を許し、社会性を学ばせず』は、ゾッとしてしまいました。
母やん…と…。

ずっと、何か人と違う…と思って、生きづらさを感じながら生きてきましたが、こうなってはもう心療内科等に行った方がいいんですかね…
社会生活も、転職三昧、パワハラ&嫌われ三昧で、とうとう怖くて働けなくなっている状態に……
正直、もうお手上げ、としか思えなくて。

色々教えて下さり、ありがとうございました。
発達障害?!愛着障害?!?!となんとなく感ずる今、自力でなんとか!なんて、無謀なのかもしれませんね…

お礼日時:2022/07/22 10:24

{『自分』を中心に置いて(軸に?)物事を捉える思考}というのは、どのような思考なのでしょうか。



例えば、子が友達を叩いてしまった場合の叱り方として。
  A「叩いたらダメでしょ!相手が痛い思いをするでしょ!」

このAは、自分を基準というか、自分の視点で、親が子を見ていると思うのですが、、、  
そうも言えると思うのであれば、Aは、親が自分視点で物事を考え、子に注意しているのでしょう。
でも、このケースの親が、自己肯定感が低いか、自己肯定感が高いかは、判然とはしません。  
このAの(子に注意を与えているまさにそのとき)には、親自身は自分の見解がまっとうだと自己肯定しているのでしょうが、(数分前、あるいは数時間後)には、自分の子育てはうまくいってないなぁと自己否定・自己肯定感が低い状態かもしれません。

いつも自己肯定感が低い人、いつも自己肯定感が高い人というのもいるのでしょうが、多くの人は状況に流され、影響され、あるいは自分と相手との関係のたまたまのことで、自己肯定が高くなったり低くなったりするのでしょう。

たまたまですが、こんなサイトを先ほどみました。
https://h-navi.jp/column/article/35028832?utm_so …
ほぺろうの様子を見ていると、学校を楽しんでいる根本のやる気の出どころがほかにもあるような気がしています。
根本的なやる気。二つの自己肯定感
担任の先生から普段の様子のお話を聞いて感じた私の憶測ですが、ほぺろうは今、自己肯定感が著しく上がっているのではないかと思いました。
1.個人に合わせた課題で「できた!」が増えた
就学前お世話になっていたのは、いわゆる普通の保育園。いわば定型発達の子どもたちがほとんどという環境で、ほぺろうは一見無関心に見えても「自分だけできない」と悔しく思う瞬間があったのかもしれません。特別支援学校での個人に合わせた課題は、ほぺろうの内面にとって大きな変化だったと思います。
2.お友達との関わりの中で「頼られてる」という実感
保育園では定型発達の子どもたちに囲まれて、ほぺろうは常にお世話される立場でした(先生達はほぺろうの身辺自立を促してくれましたが、どうしてもその年ごろの周りの子は誰かのお世話をしたいものなので…)。
私から見たらお友達に構ってもらえるのはありがたいことだし、良い刺激になってると思っていたのですが、何なら年下の子からもお世話されていたほぺろうにとっては周りが良かれとやってくれたことでも、心の中では思うところがあったのかもしれません。
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自己肯定感というのは、状況次第な面が大きいです。 失敗続きのとき、順調に感じているとき、他人や周囲の関係者の言動で、大きく左右されます。
中には、何があろうが自己肯定感が少ないように見える人もいますが、その人がむやみと頑張り屋・チャレンジャーであったりという場合もあります。
現状自己満足に浸る、「これでも充分」と現状肯定になるのが自己肯定というのではないでしょう。
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「自己肯定感が低い」という場合、そのコンプレックスに囚われています。


自己肯定感を上げられないことへのジレンマから、他者からみた自分の劣等意識に拘っているので、常に意識は「自己」にあります。
意識の中心に自分があるので、自分のアタマでイメージする自己という存在が常に思考のスタートになってしまうのです。
他者への配慮、他者の立場での物事の考察が欠落してしまうので、自己中心的思考になってしまうのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。
『他者からみた自分の劣等意識に拘っている』
ここがスタート地点だったとは、思いもしませんでした。
ということは、『自己肯定感を上げられないこと』が根本の原因ということになるのか。
それは、成功体験が少ないとか、そういうことになるのか。

親の叱り方は、どうなのか。
例えば、子供がお友達を叩いてしまった場合、
・コラ!本当にお前はダメな奴だな!
と“その子本体”として叱るか、
・叩いてはダメ!お友達が痛い思いをするでしょ?
と、叩いた行為とそれによる他者への影響”として叱るか。
これはまた別問題になるのか…
少し調べると、自己肯定感には、幼少期の親の接し方も影響するとあり、どんな接し方をすると、自己肯定感が下がるのかとても興味があり、少しお聞きしてしまいました(すみません)。

virgo_o_99 さんは、どうしてそこまでお詳しいのでしょうか。
もし差し支えなければ、ぜひ教えていただきたいです。
(色々お聞きしてしまい、すみません)

お礼日時:2022/07/21 22:05

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