初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

極論ですが親から虐待に合いその子供が親になりまた
自分の子供に虐待する、そう言った事はやはり
連鎖するのでしょうか?
だとしたら根本的に育ちに問題があるので
それを直すのは個人の力では不可能だと思うのですが
このいわゆる憎しみの連鎖は本当に断ち切ることは
不可能なのでしょうか?

A 回答 (7件)

こんばんは


 僕は経験はありませんが、かなり勉強した者として
一意見を言わせていただきます。

 憎しみは連鎖するようです。確実にいえるのは、
例えば虐待を受けた子供が親になると、虐待する可能
は高くなります。離婚した両親にそだてられた子供は
離婚する確率が高くなるそうです。

 離婚の場合、夫婦のコミュニケーション方法を
その両親から学ぶそうです。虐待もその部分がある
かもしれませんね。

 でも、国分康孝は非常に良いことをいってました。
確かに離婚した両親を持つと離婚しやすくなる。だが
離婚した親をもって、自分はそれを教訓にして結婚
生活を送ろうとすれば、殆ど離婚せずに済むと。

 僕の両親は、友達がいない。また、家に人を呼ぶのが嫌いです。僕も自分の家ではくつろぎたいから、
両親の気持ちもわかります。それも個性だし。でも、
友達ができないのは、友達が欲しかったから。だから
僕は
ステップ1 友達を作りにくい自分に気付く
ステップ2 そんな自分を(嫌々)認める
ステップ3 対策方法を考える。
ステップ4 気長に(下手すると10年以上の長期戦
      かも)実践する。です。

ステップ3,4に共通して言える事。
成長する4大柱
1、人の話を聞く 相談する(耳学問)
2、読書など学問を勉強する
3、試行錯誤して、成功して失敗して経験する
4、できるひとの技を盗む(だれもが教えてくれる訳
  じゃないし、誰もが知っているわけじゃない。だ
  から使えそうな所「考え方」「姿勢」「生き様」
  「技術」等をそっと盗むわけです。)

俺には親友がいる。だから敢えて断言しますね。

憎しみは連鎖するかもしれない。だけど、それを
乗り越えられるし、幸せも手に入れる事はできる!
ただし、長い時間は必要かもしれない!

共に成長しましょう。悩みと手をつなぎながら。
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>連鎖するのでしょうか?


するかしないかということでしたら「する可能性が高い」と思われます
自分がされたこと以外の方法について実体験している時間がないので、同じ場面なら自分がされたことを無意識のうちにしてしまうと思います

>本当に断ち切ることは不可能なのでしょうか?
不可能ではないと思いますが先に回答がありましたがすごく時間がかかると思います。
自ら気づき、自分の状況と他の方法について学習して自分で修正していくわけですから
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おはようございます。



虐待をうけた者です。既婚子供なしです。

まず、連鎖についてですが、虐待を受けた親が、なにも考えないで子供をつくると、ほぼ確実に連鎖はします。
「自分が親にこうやってしつけられたから」という前提で子供を教育しようとすると、そうなるのです。

私事はさみますが、私の父親は、おそらく祖父母からあまりいい目にあわなかったと思われるふしがあります。多分彼は連鎖させたと思います。そして彼の両親も兄弟も、なんだか体裁ばかり気にして、心の底が冷たいというか、暗い感じです。

で、要は何も考えずに親と同じことすると、虐待の連鎖は、間違いなく起こるのです。子供は親から子育てを学んでいますから、残念ながら・・。
連鎖を断ち切るためには、かなりの力が必要です。でも、不可能ではありませんよ。
私も今、模索中です。虐待のためうつ病をかかえて、かなり辛いですが。
自分が、子供の幸せのためにつくす親になる自信が持てるまで、決して子供は持たない決意です。それだけが、愛すべき子供のために、今私にできる精一杯の愛情です。

被虐待者は、親からもらえるはずだった愛や思いやりをもらえず、代わりに大きな苦痛を味わわされました。つまり、残念ながら他の子供は+(プラス)まで親がもっていってくれるのを、それどころか-(マイナス)にされてしまった状態です。

これを自分や親以外の人の力を借りて、傷を癒し、愛をうけると、時間や労力はかかりますが、プラスまで持っていけるのです。
一番よいのは、親のくれるはずだった無償の愛を、他の誰かにもらうことですが、夫婦でもそれは難しいです。そのへんは妥協しながら、誰かに愛をもらいながら、ゆっくり進むことです。おそらく、愛をくれるひとを傷つけてしまうこともあると思います。これは、被虐待者にはかなりの確率で起こってしまう、一種の虐待連鎖です。ただ、相手が自分の子供でない部分は、はるかにマシだといえます。相手が自分の子供だった場合、相手の命・人生をその手に握ってしまいますから。

あ、それと、虐待してきた親に、愛情や虐待の謝罪を求めても、ほとんどの親は認めません。過去の自分らの罪は都合よくなかったことになるらしいです。そのくせ食わせてやったといっていつまでも縛りつけようとしてくるので、さっさと音信不通にしたほうが、精神衛生上いいです。子供が大人になっても、いつまでも虐待的なことや過干渉をしてくる可能性が高いです。

虐待・それを乗り越えるために、大変とは思いますが、このことについて、本やサイトなどをよんで、しっかり勉強することを強くおすすめします。自分のことを把握したり、自分がされていたことを認識することによって、少し雲が晴れるような気持ちにもなれます。
私は、自分が虐待されていたことすら、うつ病の勉強をするまで、気づいていませんでした。(親がそれを常識としていたから、あたりまえだと思っていたのです)

あと、なにかあれば誰か答えてくれるのでここへご質問されるといいですよ。一人で悩んでいるより、誰かの力を借りましょう。私も、夫やカウンセラー、お薬、そしてネットでアドバイスしてくださる皆様のお力でなんとかやっています。カウンセラーといっても、心療内科の病院のカウンセラーで、民間ではありませんから、私野病院では一時間1600円でしたよ。心療内科は、申請すれば5%の負担額にすることも可能です。

ご相談役の人は、できれば虐待を受けなかった人(理解難しいらしいですが)か、虐待について理解の深い人、虐待の傷を乗り越えられた人が理想的と思います。
同じような状態の人が相談相手だと、虐待の痛みを「当たり前のこと」と捕らえて、ひたすらガマンしよう、となる傾向がありますので。
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憎しみというより「虐待の連鎖」ですね。



誰だって経験したことしか解りませんから、
自分がされたことを人にもしてしまうんです。

されたことのないこと、経験したことのないことは体得しようがありませんから、自分が体得したことをする以外に方法がないんです。知覚、認識のパターンが出来上がってしまうんです。

で、被害者だったのが、いつのまにか加害者になってしまうんです。


例えば、こういう人を知っているんですが・・・
3人兄弟の真ん中に育って、幼い頃から上と下は仲が良いのに、真ん中の自分だけいつも仲間はずれだった人が親になって、我が子に対しても無視、放置という接し方をしてしまうんです。
とても寂しい子供時代をすごしたんだそうです。
寂しい以上に疎外感を植え付けられて育ったんです。

で、別の問題でいろいろ話をしていくうちに、我が子に対して同じことをしていると、その時初めて気が付いてもらえたので、すぐに修正してもらえたんです。
そうしたら親子関係も良くなってきたし、お母さんも幼い頃の自分を供養するように癒されたし、お子さんも癒されてきたんです。


ですから、虐待の連鎖をストップさせるには、「気が付く」ことしかないと想います。

幼い頃、自分の身に何が起こっていたか?を客観的に把握して、自分自身の被害者性を認めて、次に現在の自分の行動をチェックしていくんです。

そうすると、必ずと言っていいほど、自分がされたのと同じことをしていることに気が付くか、逆に自分がされたことと同じことをしないように抑圧しているがために、ストレスが溜まってしまう場合もあると想います。

どちらの場合も「癒す」という心のドブ掃除が必要だと想います。
癒すというのは、アロマを嗅いだりする程度ではなくて、心の底に溜まっていたヘドロをかき出すような作業なので、真剣にやると気が狂うくらい辛い作業なんです。

この作業をするのはアダルトチルドレン概念(AC)であったり、インナーチャイルドの癒しとか言われています。

ただ、この作業をすると過去に自分がされたことを把握できると同時に激しい憎悪が湧いてきますので、賛否両論もあるんですが、私は必要な概念だと想います。


<自分を癒す>作業をすれば虐待の連鎖は止まると想います。
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なぜ、連鎖が起きるのか?



これを問う時に、まず、それらをするのは「人間」であることを理解しなければなりません。「人間」ということは、心理的、肉体的にさまざまな要因が絡み合って言動や行動に繋がっています。

それを1、1つの理論で解釈したところで、すべてのケースに合うとは限りません。100の原因があるなら、100の対策が必要なのです。でも、その原因を突き止めることさえ難しい。

人間とは何たるか知らなければ確実なことは何1つ言えないと思っています。しかし、「人間とは」を完全に知り尽くしている人などまず、いないと思います。それに近い人ならいるからも知れませんが・・・。

以上を踏まえて1意見を言いたいと思います。

――――――――――――
虐待、そもそも、その言葉自体の定義が僕の中では不確定です。
子供が憎くて攻撃するのか、子供を愛しているが故に間違った「教育」として攻撃するのか、この2つが考えられます。

この2つは別の物です。
前者は、その親の精神的なもの、後者は、「教育」の仕方が間違っているだけです。

「教育」の仕方が間違っているなら、正しい教育の仕方を教えてあげれば良い。

問題は、憎くて子供を攻撃する、もしくは、いつも愛してしても突然切れて子供を攻撃する。

僕はこの問題には、「何か」に対しての「怒り」や「恐怖」、「苦痛」、「後悔」、「憎しみ」が働いていると思っています。

その何かが解らなくても、ある拍子(正確には過去を思い出した時)、気持ちは一気に「負」の感情になります。そうするとその気持ちをどうにかしたくて弱い者を「攻撃」してしまうことがあります。

信頼・安心のある付き合い方をするのが子供に限らず、大切な人との付き合い方だと思います。

しかし、大切な人であっても、それができないということは、心理的に考えれば、「別の気持ち」や「別の解釈」が働いていることになります。


例えば、アイスクリームを食べたいとします。普通は、お店で買って食べます。しかし、ある人は買うのではなく、「盗む」ことによってアイスクリームを手にいれようとしたとします。

その人は、物を手にいれる時、盗んでも構わないという捉え方を教育されました。それが通じる限りその人はしつづけると思います。


人は、いろいろなものを受けては(見る、聞く、読むなど)は、過去の記憶とリンクさせようとします。こうした言葉もその行為の1つです。リンク+解釈をしています。

子供の何気ない一言が、自分にとってはものすごく「気」に触ったり、自分の中にある親の象が虐待を正当化していたりすると、虐待のようなものに繋がる可能性は大きくなります。

さら、これを裏付けるのが、人は18歳ぐらいを超えると自分を否定できなくなります。それは自分自身の確立が故に起きることでもあります。

自分の性格、価値観、存在意義、生き方、信念、そういったものを過去の経験等を踏まえて強固なものになります、それを否定されるのが嫌がるのが大人です。

上のことを言い換えれば自分を変えたくないという思いと同じです。ですから、自分が本当に駄目なところを自覚し、変えようとしないと変らないのです。これは虐待だけに限ったことではありません。


内容が前後するのですが、強い「負」の感情、ストレスがある場合、人は相手を思いやる余裕がなくなります。日々の自分の生き方がストレスが溜まるような人は、必然的に弱いものへストレス解消します。

ストレスの原因に対してぶつかれないから、別のぶつかれる何かにストレスをぶつけるのです。イライラした時、物を壊したくなったことがありませんか?あれと一緒です。ひどい場合は、何に対してストレスを感じているのかもわからない状態です。

今週の細木さんの出川さんとのやりとりを見てもらえばわかるのだけどな~あれこそ、自分の無意識を意識で否定している状態です。

このストレスが溜まるような生き方も、上記と一緒で本人が気付いていなく行われていることが多いです。自分の考え方がおかしくて、それが行動に繋がり、自ら不幸を呼んでいることにまったく気付いていなく、それが運命だと思い込み、自己嫌悪するが、自己嫌悪するだけで建設的なことはしない。

いや、社会人になって働きはじめると、もう建設的なことを考える余裕すらないぐらいそういう人はストレスが溜まる物です。

――――――――――――――――
個人で直すかどうかは、「余裕の心」にあります。人は「余裕の心」がなくなると、その日、その日、その瞬間単位で行動するようになりますし、我慢や忍耐ができなくなります。

自分を意識的に成長させること、それは今の自分の足りないものや悪いところと向き合いそれの今の状態を否定し、成長へ努力することです。

この今の自分を否定することが、余裕を無くす原因です。

自分の否定する部分と向き合えば、洪水のように否定する部分が原因で不幸な結果を残してしまったことが思い出します。

そして、自分は「何だ」という喪失・失望感。

――――――――――――――
心理的にだけ考えれば、僕個人の考えでは憎しみは完全に消せます。

しかし、それは自分と相手の共通を知ること、それは人というものを知ることです。

僕の中で頂点に達する理論が3つ
  
人は皆、それぞれの価値観に基いて幸福を追求しつづけ決して止めることはしない

人は、幸福を感じてこそ、死の恐怖・危険を感じてこそ生きたいと意識して思えるのであり、苦しみばかりで、死の恐怖・危険を感じられない時は、死を求める。

自分のした行為は相手が評価する。その相手の評価を気にしてしまうのがまた、自分である。つまり、自分のした行為が自分自身楽しく、相手にとっても良い評価であることが望ましい。だが、それが上手くいかないことが多い。そうならないために、相手の知り、自分を知り、自分と合った人を判断することが重要になる。

他を語ると長くなるので、この辺にします。

以上、参考になれば幸いです。
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こんにちは。


自分の親に虐待を受けると、「親は虐待をするもの」という行動パターンが刷り込まれてしまいます。親元にいる時あるいは子どもを持つまでこのパターンや憎しみに囚われてしまうかもしれません。でも独立して子どもを持って自分の子に虐待をするかどうかは定まったものではありません。

個人の力では・・確かに難しいかもしれません。
親は難しくとも、他の人から愛情の穴埋めを大人になるまでに受けられれば一番良いです。ですが、なかなかそう良い出会いも無かったり、愛し愛されにくい性格になってしまっていたりしてそう上手く行かないことも多いでしょう。三つ子の魂・・というように人はそうそう変われません。

でもパートナーを得て、子どもを授かるというのは人生の中でとても大きな意味のあることでまさに神様がくれた最後のチャンスです。子どもというのは愛すれば愛するほど希望に満ち成長します。そんな子どもに育てると、親の未来も開けるのです。
逆は・・子どもが大人になった時、親と大人同士の良い関係が築けなければお互いとても不幸です。子ども時代も長いけど、大人になってからも長いんですよ。
一度親となったなら、子どもと自分の将来を見据えて(多少利己的になっても)、虐待の連鎖など断ち切ると誓わないとです。大人は自分の行動パターンを他と照らし合わせる事が出来ます。愛情を得る方法を知っているし、憂さを晴らす方法も知っています。
バーチャルでも何でもいいんです。親となった本人に大人になる決意があれば大丈夫なのではと思います。
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実際そういう経験があります。


自分自身は最初「どうしてこんな風にしか出来ないんだろう?」と自分を責めました。

でも専門家に相談したところ「あなたがそうやって育てられたから、そのようにしか出来ないのよ」といわれ、思い返せば確かにそうでした。

でも今はかなり乗り越えられたような気がします。ようやく「普通」になれたかな~と。なので決して不可能ではないと思います。
ただ、本人が乗り越えようとする気持ちは絶対必要でしょう。

私の場合は、心療内科の医師や保健婦さんなど色んな専門家に力を借りると同時に、たくさんの本を読んで「自分で考える」ことをして乗り切ってきたような気がします。違うだろう!っていう人もいるかもしれませんが、自分個人の力で乗り越えたと思ってます。

ただ「自分の育てられ方が悪いから仕方ないんだ!親が悪いんだ!」って言ってるうちは変わらなかったです。「親が悪いわけではない。親を責めてもしかたがないし過去を変えるわけにも親を変えるわけにもいかない。ならば自分が変わって、これから子供に同じようなことをしなければいいんだ」と思えるようになって変わりました。

「本的に育ちに問題があるので、それを直すのは個人の力では不可能」と思ってるうちは、確かに不可能かもしれないですね。
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