高校三年生の合唱祭で何を歌いましたか?

支離滅裂な文章になると思われますがお許し下さい。

自分迷子です。
もう自分自身が如何あったのかすら思い出せません。

18で、精神科に通いはじめて5年が経ちます
統合失調症という診断で2級の手帳がありますが、
大人になるにつれ自分は統合失調ではなく、「境界性」「演技性」辺りの人格障害ではないかと思い始めました
(決して自分の妄想が正しいから病気を否定している等ではなく)

物心ついた頃から、父の兄への虐待を見てきました。
勿論怖くて泣きましたが、そのたびに父は「妹がお前のせいで泣いている」と兄を責め、
母は「わがままな兄と違っていい子だねぇ」と私を甘やかしてきました。
我ながら幼稚園児の癖に腹黒いと思いますが、『兄と喧嘩しても泣けば親のお陰で私が有利になる』と思っていました。
そして『いい子で居れば親も周囲の大人もちやほやしてくれる』という固定観念がありました。

ですが、小3辺りから「親の言うことは何でも聞き、よくできた娘」ではなくなってきて、
親にも反抗するようになり、よく出来たなんていうよりちょっとズボラになってきました。

すると両親の主に接している母からは
「昔はあんなに好き嫌いしなかったのに今の貴方は」
「昔は字は綺麗だったのに今の貴方は汚い字しか書かなくなった」
「昔はなんでも言う事聞く子だったのに、反抗してばっかり」
さらには
「~~ちゃん家の女の子はお母さんの手伝いしてて偉いわ」
「~~ちゃんの家の子と取り替えたいわ」←これは今でも鮮明に覚えている言葉です

内気で、いくら反抗してズボラになっても「人の言う事は断れない」といった人格に育っていた私は
何もいえませんでした。
勿論習い事では暴力でも言葉でもイジメを受けてひとりぼっちでした。
家で母に「この脚のアザどうしたん」っていわれてもイジメられたなんて言えず「転んでぶつけた」などと言っていました。
小4で、辛すぎて母に「習い事でイジメられてるので辞めさして下さい。」って土下座したら
「こんな弱い娘が私から何で生まれてきたんだろう」と呆れられましたがやっとイジメから開放されました。

ですが、その翌年に父が他界。
父から受けた兄の虐待の反動は私にきて、殴る蹴るは当たり前の兄からの、兄妹喧嘩とはいえない、一方的なイジメ。
止める父は居ない。母に頼ることもせず、唯一楽しかった小学校を卒業してしまい、
中学に入ったら厳しい人間関係についていくのに精一杯で、イジメも始まり、
家では母から「塾の宿題やったの!?」学校では男子から「触るな、菌がつく!」
1人で家に居る時に何度泣いたか、母が帰宅するまでに何度涙をムリに拭ったか数え切れません。

流石に頭がおかしくなってきたのが中2で自分で察して、母に「精神科行かせて下さい」と土下座

そっからは更なる地獄の始まりでした。
リストカットで腕は見るも無残になり、何度もODをして救急車で運ばれ、入院し、保護室にまで入れられ、幾度も自殺未遂をしました。

今現在も腕からダラダラ流れる血がやっと止まったところで、レボトミンを3T飲んで効いてきた所です。
(さっきまで発狂してました)

自分で言うのも難ですが、元々頭はかなり冴える(学年トップの成績常連ぐらい)だったので
よく自己分析をして、結局上記に書いたように「両親が酷いからこうなったんだ」と、亡き父と母を心の中で責めたのですが、
父は私を庇った結果ですし、母は私が病気になってからは支えになってくれていて。(兄は独り立ち)

結局誰を責めていいのか解らずに、混乱して狂気に陥りリスカ、ネクカ、突発的な自棄的行動に走ります。
常に胸につっかかりがあり、常に迷子で、結局自分を責める考えばかりに行き当たります。

未だに『ヒトの前では完璧であれ』という固定観念がある様で、
友達は勿論、主治医・カウンセラー・母の前ですら素の自分が出せません。

もう、自分がわからない
迷子すぎてもう死にたいとすら思わなくなりました。
壊れていく自分が怖いという感情が一番強いです。


長文で乱文で申し訳ないですが、これが今の私に書ける精一杯の文章です。
何か、アドバイスやお言葉をいただけないでしょうか・・・?

A 回答 (5件)

精神障害の診断は専門家である医師でも非常に判断が難しく、


また自身の年齢によっても目立つ症状が違ってくるのでさらに困難になります。
なので判断は慎重にし、長い目でゆっくり調べていくのがいいと思います。
お辛いでしょうが、薬を変えればピタッと治るというものでもないと思いますので、
ゆっくり心の傷を癒されましょう。

まだ18歳、一番多感な時期ですから、普通の人でも自分の性格がわからないということはよくあることです。
さらにその時期に病気が重なってしまったので、言い方は悪いかもしれませんが、普通の人とはちょっとだけ歩んできた人生が違う、くらいに思った方が逆に心が楽になると思いますよ。

誰が悪いかと言えばそれは勿論ご両親です。
子供を虐待する父親、それをとめない母親、同じ罪です。
幼いあなたがそういう行動に出るのは防衛本能です。
動物の本能ですからしょうがありません。
そういう家庭では幼いあなたはそうするしか生きる術がないのですから。

ただお兄さんも不幸です。虐待されて虐待して、負の連鎖が続いてしまったのですね……。

そんなご家庭のもと、ご病気のもと、あなたはすごく頑張っていると思います。
自分を誇ってください。うしろめたいことなんてありません。
今はもうあなたを責める人はいないのでしょう?
大丈夫ですから、安心されて下さい。

人前で素が出せないとのことですが、表面と素の隔たりを溶かすように、少しずつ二つを近づけていくように意識してみてはどうでしょうか?

壊れていく自分ではなく、治っていく自分を意識しましょう。

また何かあればおっしゃって下さい。
あなたの人生が幸せでありますように。
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この回答へのお礼

沢山ご回答ありがとうございます。
全ての方の文章を読ませていただいて、とても心が救われました。
中でも一番心に響く言葉を下さった、nyaromenさんのお礼欄をお借りして、
ありがとうございました。と言わせてください。

『他の人とちょっと歩んできた人生が違うだけ』
『あなたは凄く頑張っている』
とても、心にじんわりと暖かくしみこみました。

そして同じことを身内、主治医、カウンセラー、看護師等にも言われましたが
同級生の友人は、バイトしながら大学・就職などをしていて、そうは見えないのですが
18歳ってやはり自分迷子になっても仕方のない時期なのですね。

今日は長い人だと3年以上会ってない、小学校時代からの親友4人と遊ぶ予定があります。
私は外出すると過呼吸やパニックをよく起こすので、友達と遊ぶのすら数ヶ月ぶりです。
「みんな健常者だから私一人負い目を感じることがあるのでは」
と思い、皆にキャンセルメールを送ろうと幾度も思いましたが、
この質問のご回答を拝見して、言葉では言い表せない勇気のような、安堵のようなものがわいてきました。

皆とは歩んできた人生がちょっと違っただけ、皆もきっと内容は違っても辛い境遇は私に限らず沢山あったんだ。
自分は頑張っているんだ・・・精一杯でもムリが出ないぐらいに、今日も、これからの人生も生きて生きたいと思います。

nyaromenさん、他の回答者さん、ありがとうございました!

お礼日時:2013/10/14 04:12

自分が何かできるのは今だけです。

過去は特に自分ではどうにもできません。未来も実はどうにもできないという意味では過去と同じです。今だけです。そして今できることをやってみることしかできません。できないことはできません。つまらないことと思うかもしれませんが、朝起きて夜眠るまでの食事や洗顔あるいは服装などを丁寧にやっている毎日を送っていれば、それが核になって自然と自分というものが出来てくると思います。
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仏道へ

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壊れていきつつある自覚があって、それに、


恐怖感を覚えるのであれば、何らかの対策を
天使のように大胆に 悪魔のように繊細に  (黒澤明)
とって参りませんか。

人生とは、誰もが自分の中に持っている長編小説である。 (George Sand)
この世の中に物語の種類は2つしかない。
ひとつは、男が穴に落ちてその中で死ぬ話。
もうひとつは、男が穴に落ちて、そこから這い上がる話だ。  (Leonard Schrader)
書くことがお嫌でないのであれば、ご自身の人生体験を
題材にして小説を書いてみませんか。
穴に落ちてその中で壊れて死んでしまうストーリー、及び、
穴から這い上がるストーリーは、書けるのではないでしょうか。

メンタルな病気と闘いながら作品を創りつづけた
芸術家が内外に少なからずいますので、そうした人たちの
作品に接してみるのも、いいかもしれませんよ。

お大事に!
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読んでいてとても辛い文章で、大変な窮状に在ることも分かります。



人間は、今現在、自身で保有しているものは当然のことだとして、それには感謝せず、無いものに憧れ、欲する・・・。
そういう傾向があります。
世の中には、手が無い人、脚が無い人、手脚が無い人、不治の難病に苦しんでいる人、などなど、苦しい状況下で苦悩している人が大勢います。
あなたには、精神的な苦悩があるようですが、考えようによっては、これは、上記の人たちよりも、「まだ、恵まれている」と思いませんか?
なぜなら、あなたの苦悩は、あなたの心持ちで良くなる種類のものだ、と思うからです。
手の無い人や脚の無い人、手脚の無い人たちは、心の持ち方では、どうにもなりません。
義手や義足を使う以外にないのです。
その点、あなたは、少なくとも、五体満足のはずです。
心さえ何とかすれば、手や脚の無い人に較べれば、自由な人生を送れるのではないですか?

僕は、人生で何か苦しいことがあると、「僕よりも大変な状況の中に在る人は、少なくない」「それを思えば・・・」「しっかり、生きていこう」と考えます。
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