プロが教えるわが家の防犯対策術!

30代離婚女性、こどもが3人います。
独身のころからそうなんですが、ときどきすっごく寂しくなります。
とっても人恋しいんだけど、人に会いたくない、怖いというようなアンビバレンスな感情がわき起こります。
そういうときは特に自分がどこの仲間にも属してない感じ、疎外感みたいなものを強く感じます。
本当にすっごく寂しくなります。世界中の誰も私になんて関心を払うことなどない、という気持ちがする。
バイオリズムがあるようなので、「あ、また来たか」という感じで冷静に構えてますが、
これから何千回こんな気持ちになるんだろう、と思うとため息が出ます。
そういうときだからよけいそんな風に後ろ向きに考える。

私は小学校の低学年の頃、母親が病気で入院したりと、母親がいなくて寂しいのに頼れなくて、自分で頑張らないとって陰で泣いたりしてました。自分で言うのはおこがましいけど、多分そのとき子供ながらにすごく無理をしていたんだろうなと思う。本当はすごく寂しかったんだろうと思う。
母を恋しいと思ったはずなのに、母とは思春期から現在にかけていい関係が築けない。それも多分に影響しているように思う。
だから実家に自分から頼ることもほとんどない。母はきつい性格で私は甘えられない。

この寂しさは、大きなホームシックのようなものだと思います。
こんな私がせめて子供たちにできることは、両親は離婚をしているけど、子供と父親の関係を断たないようにしてあげること、母親の私が頻繁に家を空けたりしないで家を守り子供たちを安心させること、だと思っています。

大きな寂しさに包まれることありますか?
どうやり過ごしているかでも、ナンでもいいです。
意見をください。

A 回答 (8件)

私も45歳離婚女性です。


娘と2人暮らしです。
私は離婚に際して親や姉妹の理解が得られなかったので
今は絶縁状態です。多分、住所等も教えていないので
このままになってしまうと思います。

仕事してめいっぱい頑張っていますが、時々おっしゃるように
ものすごい寂しい気持ちになるとき、自分がこの世の中で
たったひとりなんだという気持ち、私なんて生きててなんか
意味があるのかとか、いろいろな気持ちになります。
無力だなって思うこともたびたびです。

変かもしれないんですが、そんな時私は、生まれたときも
一人だったんだから、死んでいくときも一人なんだなって
考えて、少し落ち着きます。
多分、子供さんは小さいと思うのですが、私の娘はもう社会人です。

この子に、支えられている部分もずいぶんあります。
答えになってないかもだけど、お子さんがきっと
近い将来、お母さんの力になってくれると思います。

私の娘の場合は父親とも行き来がないでの、もし、
私になにかがあったら、一人になってしまうのが
とても心配です。親は一生一緒にいるわけではないですしね。

ご自分でも冷静に考えられると書かれているので
とてもしっかりしてらっしゃると思います。


あまりアドバイスにもなっていないと思いますが
同じように思っている人は多いと思いますよ。
お互い、頑張りましょうね。

この回答への補足

pagu-paguさん、書き込みをありがとう。今から仕事の準備に入るので、明日仕事が終わってからすぐにお礼を書かせていただきますね。もう少しお待ちください。

補足日時:2002/06/28 20:49
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この回答へのお礼

pagu-paguさん、アドバイスをありがとう。お礼が遅くなってごめんなさい。
pagu-paguさんも離婚をなさってお子さんを育ててみえるのですね。
ご家族の理解が得られなかったとのこと、それは大変でしたね。
私は結婚していたときに両親と疎遠の時期がかなり長くありました。だからその感じが少しわかる気がします。・・・でもやっぱり離婚をしてからの疎遠の方が心細いかも知れない。私の場合は離婚を決意した時点で親と仲直りしたんですが、それでも両親に心を全部開くことはできないし、日常生活で両親を当てにして生きたことはないけど、それでも・・・わかったような口をきいてすみません。

娘さんのこと、心配かも知れませんが、好きな人が出来たら大丈夫ですよ。
親は子供が1人で生きていけるように巣立ちするまでが役割なわけだし、
たぶん寂しいとは思うけど、1人で生きられるようになったらある意味安心ですよ。pagu-paguさんはちゃんと娘さんを育ててみえると思う。大丈夫。
巣立ってからもお母さんを大切にしてくれますよ。

自分がこの世でたった一人って考えるのは自己中心的な考えの部分もあるかも知れないけど、本当にそう思うくらい寂しくなるのはもう仕方のないことなのかも知れませんね。私はどうも自分の親と思い切りぶつかったことがない、というのが根底にあるんですよね。親を怒らせないように接してしまうんです。一度けんかして疎遠になっているから。今更またあんなことになりたくないって。学習、成長はいいんですが、どうもありのままの自分で接することができなくなっている。

それも大人なんだし、何とかやり過ごしていけるんでしょうが。
大人になるってたぶんそういうことじゃないかと思います。

無力に感じること・・・私は多いですね。自分に自信がないから当然なんですが。
無力に感じるから「なにくそ」って思って、努力できるというのもあるかも知れない。空回りすることも多いけどね。。

pagu-paguさんも私も、子供が愛する人を見つけてちゃんと歩き出せるようにがんばりましょう。そして自分にもそういう人が現れるようにがんばる(私の場合)。
何とかなりますよ。寂しいときがあるけどがんばりましょう。
・・・いっぱい「がんばる」になっちゃいましたが、やっぱり前向きに。
自分が離婚をしている分、子供の人生の選択に寛容になれる部分もきっとあるだろうし!

お話してくれてありがとう。

お礼日時:2002/06/29 22:00

こんばんは。



私も(20代女性・家族と同居)時々無性に寂しくなることがあります。
原因はよく分かりませんが、自分は一人ぼっちだって思ってしまうんです。
そう思い始めると、そわそわしていろんな友達に電話をかけまくります。
でも、友達が仕事とかで、電話が留守電になっていることってありますよね。
そうするとさらに寂しさが増して、また次の友達にかけます。
家族と住んでいますが、そういう日は家族と話したくありません。
でも、誰かに相手にして欲しいんです。
何か悲しくて、涙が出てきて大変です。
泣き疲れて寝るのですが、次の日はまたもと通り元気です。
どの位の周期でか分かりませんが、忘れた頃にまた寂しくなります。
孤独を感じて仕方ないです。

そんな私ですが、ある人と出会ってその孤独感が少し減りました。
その人は仕事先の上司だった人です。
今は一緒に仕事はしていませんが、連絡はよくしています。
男性で、私よりもかなり年上。(親とまではいきませんが、その位、年の差はあります)
その人といると何か落ち着きます。
決して恋愛感情はなく、もちろん身体の関係もありません。
今まで、いろいろな人と会いましたが、その人といると「自分は一人じゃない」と思えるんです。
家族や彼氏、友人も大切ですし信頼しますが、それとはちょっと違う感覚です。
何なのかは分かりませんが、その方の存在は私の心の支えです。(依存とも違います)
最近は強い孤独感を感じることは減りましたが、(その方が自分の大切な人なんだと認められるようになって減りました)寂しくなるとその方に電話をします。
その方にも、自分が大切に思っていることは伝えてあります。


私は長女で、(両親は共働き)小さい時から「姉なんだからしっかりしなさい」と育てられました。
正確に言えば、親はそんなことは一度も言ったことはありませんが、そうせざるを得なかったのです。
だから、甘えるのか苦手でした。
甘えたくても、どうやって甘えればいいのか…ってかんじです。
自分の彼にも甘えますが、その男性は優しく包み込んでくれる感じです。
話しているだけで落ち着くというか…なんでしょう。上手く表現できませんが。
この方と出会えて、良かったと心から思っています。

あと、私は本や映画が好きなので、それで心を落ち着かせることもあります。

回答になっているか分かりませんが、私の場合はこんな感じです。
お互いに頑張りましょうね。
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この回答へのお礼

Neo_coolさん、回答をありがとうございます。お礼が遅くなってごめんなさい。
Neo_coolさんも寂しくなることがあるんですね。私も独身のころはよく友達に電話をしました。一度どうしようもなかったとき、思いつく知り合いに電話をしまくったのですが、ことごとく全員が留守ということがありました。まだ当時は携帯電話もなくて・・・自宅に電話をするとご家族が出られて・・・。そんなときの気持ちよくわかります。今は携帯で本人に簡単に繋がってしまうから、相手が出られないと余計に寂しくなってしまいそう。

その上司の方とはとてもよい信頼関係を築かれているんですね。依存ではないという意味、わかりますよ。私にも身体の関係のない年上の仕事仲間がいますが、やはりその人と話すと私もなぜか落ち着きます。でもその人は私のことそういう風には思ってないんですよ。私は父親くらいの年のその人を男とはなかなか見られない反面、その人は・・。だから私の場合、寂しいときに電話するということがその人にとってはありがたいやらなんやら・・って感じになりそうで躊躇してしまうのです。

彼氏さんともまた違う安心感・・・そこのところはとても不思議な感じがしますが、そういう感覚があるというのは事実ですよね。無理に言葉で説明をつけなくてもいい感じがします。人間として信頼できる・・・これ以上素敵なことがあるでしょうか。

本や映画・・・そうですね、そういうもので心を潤わせるということはとても大切なことだと私も思います。なかなか時間がなくてビデオ鑑賞もままなりませんが、文庫本などはつねに傍においておいて、少しの待ち時間を利用して読む・・・それだけで一瞬違う世界を体験できるって感じることがありますね。お話に感化されるのって、不思議な感覚ですよね。自分の世界を広げるためにも、映画や本などにはどんどん触れたいと思います。
そして感受性を養って、ちゃんと人を見極められるように。。。

お話を聞かせてくれてありがとう。励まされました。
お互いに頑張りましょう!

お礼日時:2002/07/03 20:34

ものすごく寂しいとき、私もあります。

涙が出るほど孤独を感じて。私は生理前のやや鬱の時が多いですが。

実は私もakkochantさんの様に子供の頃から精神的な部分で頑張ってきました。ウチは両親共酒飲みで、ケンカが絶えず、一人っ子の私はそれに耐えてきました。その父は数年前に亡くなり、母は現在入院中で何があっても実家には頼れません。そんな人生だからか私は人に上手に甘える事ができません。でもやはり自分をさらけ出したり、甘えたりできる人がいたらどんなにいいか...そう考えると私の寂しさもホームシックかもしれませんね。そして、そんな寂しい時はやはりパソコンに向かうことが多いかな。(まだ超初心者ですが)

ちなみに私も30代で3人の子持ち、夫はいますがうまくいってません。だからアナタは素晴しい、と思います。私は勇気(ヤル気?)がなく今は中途半端な状態です。家庭の中でも私は孤独を感じます。(夫に対してですね)akkochantさん、陰ながら応援しております。

自分の事ばかりの長文でゴメンナサイ。回答にはなっていませんね。

よっぽど疲れたらカウンセリング等も考えてみてもいいかもしれませんね。お互いに...
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この回答へのお礼

mikimeさん、回答をありがとうございます。お礼が遅くなってしまってごめんなさい。
mikimeさんも寂しくなるときがあるのですね。鬱のとき・・私も鬱かな、これはというときがあります。突然やって来るので準備ができません。でもほんのささいなことでぱっと霧が晴れるようになることもあって。自分でなかなかコントロールするというのは難しいです。

mikimeさんは子供の頃、いろいろと大変な思いをしてこられたのですね。1人で頑張ってこられたんですね。きっとしんどいこともあったでしょう。実家に頼れないって気持ちわかります。実家に頼らずに結婚生活をしている人も意外に多いとは聞いたことがあるけど・・・精神的な部分で頼れないというのは辛いときがあると思う。でもお互いにがんばっていきましょう。

離婚をした私を素晴らしいと言ってくれるけど、そんなことはないです。mikimeさんのやり方がいいという部分はたくさんあると思います。離婚はリスクもあるから、mikimeさんは今の状態を改善する方向でがんばって欲しいです。ご主人に今より甘えられるようになるといいですね。私も応援しています。

カウンセリングには結婚していたとき少し通ったことがあります。保険がきかないところだと高くて専業主婦だった私にはとうてい難しいことでした。医療費が戻るということを知ってからは負担も軽くなったけど、処方してもらった薬で薬疹が出てしまったりして、薬を出してもらうこともやっかいなものだな、と残念に思いました。
とにかく誰かと話したかっただけなのかも知れません。そのときは実家の親と疎遠になっていたし、元夫は私の両親が嫌いで、葬式にも出る必要はない、と言っていたくらいなので、元夫に仲をとりもってもらうこともできず。元夫曰く、本当に仲の良い親子なら、ダンナに黙ってでも連絡を取り合うもの、でしたが。
とにかく結婚生活をしていたときも、精神的にまいっていたことがありました。
それで自分で本などで調べ(あの頃はネットというものもなく)、精神科へ通うことにしたのですが、当時の友達は「そんな病院に良く行く勇気あるね」と言ってました。実際大学病院の待合室にいると、何となくではあるけれど、ちょっと不安になったことは確かですが、やっぱりまだまだカウンセリングって市民権を得ていないなって感じました。だから友達にも心の悩みなど、相談しにくかったというのはありますね。

そのカウンセリングに対しても、元夫は理解を示してくれませんでした。しばらく精神科へ通うのをやめていたとき、喧嘩の最中に『またキ○ガイ病院に行かないとだめか?』と言われたことがあって。これはとっても残念でした。

なんだか愚痴っぽくなってしまってごめんなさい。
カウンセリングもカウンセラーの主観を入れて話を聞いてもらうと辛いものがあるので、お互いにもしかかることがあれば、よいところに出会えるといいですね。お互いを否定することなく語り合える友達ととことん話す、というのが一番よいのでしょうけれど。

お話を聞かせてくれてありがとう。
お互いに環境は少し違うけど、母親としては同じだから・・がんばりましょうね。

お礼日時:2002/07/01 09:56

すいません。

追加です。

最近孤独でなかったときは、逆説的ですが、海外旅行の一人旅を数ヶ月したときと、大学の知り合いに適当な対応をされ怒りを感じたときです^^;。
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この回答へのお礼

追加をありがとう。
これは一見矛盾した感じですが、逆説的・・という部分からみるとわかる気がします。一人旅を私もしてみたい。海外での一人旅だからこそ、孤独を感じなかったということなのでしょうか。人に適当な対応をされ怒りを感じたとき、というのは、自分がそのことに関して必死になって相手との距離をとろうとするから孤独を感じなかったということかな。
ごめんなさい。私には何となくしかわかってないかも知れないけど。
ありがとう。

お礼日時:2002/06/30 20:59

悲しくなるとき。

よくあります。

もうどうしようもないくらいな悲しみに包まれてしまいます。さまざまなことが悪く思えてしまって、うめき声さえもれることもしばしばです。

でも、僕は本当に誰にも相手にされてないのかも知れない。とは、どうしても思えません。それは、僕に笑顔で挨拶して一言でも会話を交わしてくれる人がこの世に存在しているし、また、幸いなことに両親が健全であるからです。彼らは最低でも僕に関心を少しは払ってくれているでしょう。また、自分自身もさまざまな理由から人を相手にしない瞬間をいくつか持つでしょう。「もう誰も相手にしてくれない。」と、思うことはナルシシズムに陥っているような考え方であり、上記のような人々の存在を無視するような仕方なので理性で食い止めます。

それでもやはり、孤独です。漠然と孤独です。

僕は学生です。僕は最低限の集団活動にしか参加しません。なぜなら、自分の度を越して集団活動に適応を図ろうとした場合、自分の精神のバランスを失い、周りの多くの人々の迷惑になりまた傷つけてしまうと考えるからです。学生の身分であるのでほとんど一人で自立的に生活することが可能です。だから、僕は最近ほぼ一人ぼっちで生活を送っています。自分で選んだ生き方です。

他人はどのように生活をイメージしそれを行っているのか気になります。自由に生きているように見えて、実は人間相互にさまざまな影響を与え合い、例えば太陽系のを構成する惑星のようにきれいに歯車のような精密さで構成員として生きているのではないだろうか。もし、そうであれば僕はそこに漂う十分な燃料と方向転換をできるだけの噴射装置を備えた宇宙船で、木星の周りを定期的にスピードを調節しながらまわりつづけます。火星や土星は僕のことを木星の衛星として捉えるでしょう。そして、僕もそのような働きをできるだけ最小限のエネルギーで模倣するように勤めます。
しかし、問題があるのですが、僕は宇宙空間を漂う船であって木星の衛星ではないのです。木星の衛星であったらどんなに楽でしょう。僕はただ、何もない空間に同じような軌道を描きつづけるだけです。

僕の周りには真空しかありません。惑星の引力などありますでしょうが、それらの影響力から自分を解き放つ燃料と噴射装置を既にもってしまっているのです。


このように、僕は漠然とした不安を抱えています。伝わるでしょうか?徹底的に一人ぼっち。と感じているのです。思い出せる限りで幼稚園の年中組みくらいの時から感じています。

思春期では両親と相克を感じてしまった時期もあります。今はできるだけやさしく接しようとしますが、あの時はお互いに不器用であったと思います。


あぁ、すいません。ながながと書いてしまいました。
でも、確実に僕が言えることといえば、僕もどうしようもない孤独を感じることがよくあるということです^^;。
それはそれはどうしようもないですね。
しかし、それを人のせいにすることはできないし、もうちょっぴり人生あきらめてしまっているのかも知れないが、運命というものもありますし。わからないです。

あと、最後に僕の経験ですがどうしようもなく孤独に陥り、心臓の鼓動が激しくなり自分の人生がすべて誤った道を経て来て今の自分は、存在しないほうがいい。くらいに思ったところで、どこかにちょっとは楽観が残っているものだと思います。それに気づいて見るだけでもいいんじゃないかと思います。

楽しそうに苦しむ私たちを踊りながら見つめる楽観の子悪魔みたいな感じ。



[蛇足]
僕の昔からのイメージがありまして、精神の負の部分が大きくなるとそれは絶望になり、残りの正の部分を圧迫し追い詰めます。しかし、正と負のエネルギーの量は等しいのです、追い詰められた正のエネルギーは凝縮して希望の槍になります。希望とは絶望と対の感情だと思います。そして、同時期に現れます。しかし、鋭利な槍を作るためにはその行動を繰り返し少しずつ少しずつその方法を学ぶ必要があると思います。
膨張した希望は、絶望を周囲に追いやり漠然とした不安になるのかな(新説)???

この回答への補足

Evianusさん、こんばんは。長い書き込みをありがとうございます。
申し訳ないのですが、仕事の準備をする時間になってしまいましたので、明日仕事が終わってからゆっくりお礼をさせてください。宜しくお願いします。

補足日時:2002/06/29 22:29
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この回答へのお礼

Evianusさん、長い書き込みをありがとう。
Evianusさんが考える孤独はとても複雑で深いものですね。その分析はとても興味深いものでした。
うーん、私はたぶんそこまでちゃんと自分の寂しさを分析できてないかも、と思います。
でも、どんなに悲観的になっても、どこかに楽観が残っているっていうところは、
私もそうかなと思います。
だからこうして生きているんだと思うから。
それに、寂しさはいつまでも続くものではないということも知っています。気の紛れているときもあるから。

書いてくださったことを私なりに考えてみます。
思いをきかせてくれてどうもありがとう。

お礼日時:2002/06/30 20:54

寂しくなるとき…私もあります。



私も寂しくなる自分を繰り返し経験してまして、
波がやってくると、「また来たな」という感じで
彼に抱きしめてもらったり、泣いたりして、
波が過ぎるのをやりすごします。

分かってくれる人もいるし家族もいます。
でもそういう時はなぜか置いて行かれたような
とても寂しい気分になってしまいます。
「自分がいつかヒトリになるのでは…」という
恐怖感が寂しさを呼んでいるんだと思います。

人間は誰しも一人になる怖さを感じて
生きているのかもしれません。
それがふとした時に目の前にあらわれる。
それがとても寂しい気持ちの原因の気がします。
本当は人間はみんなそういう寂しさを
抱えて生きているのだけれども、
忙しく動いて生きているとかすれてしまう。

私自身はそういう状態になったとき、
「これは生きていて当然の気持ちだな」と
よく感じています。
もしかしたらそれを感じられるほど
自分の感覚が敏感で、生に余裕があるのかもしれませんね。

私の経験を書かせていただきました。
参考になりますかどうか分かりませんが、
お互い納得できる時が来るまで悩みましょう(苦笑)。
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この回答へのお礼

myaamiさん、アドバイスをありがとう。お礼が遅くなってごめんなさい。
myaamiさんも寂しくなることがあるのですね。
でもそんなとき抱きしめてくれる人がいてうらやましいな。
私はずいぶん男の人に甘えてないから、もうできないかも知れない(笑)。

ホントに1人だなって思うんですよね、そういうときって。
なんででしょう。いつか1人になってしまう・・・という気持ちもあるし、
現在の状態に関して怖いって感じることもあるのかも知れない。
でも、myaamiさんが言うみたいに、生きていて当然の気持ちなのかも知れない。
そう思うと少し楽になりますね。

私には育てなくてはいけない子供がいるんだから、がんばります。
お話を聞かせてくれてありがとう。
myaamiさんもがんばって。

お礼日時:2002/06/29 22:28

 はじめまして。


 タイトルを読んで、「あ……自分だけじゃなかったんだ」と思いました。
 多分、厳密な意味ではakkochantさんとは違った種類の寂しさなんでしょうけど、あります。どうしようもなく、寂しくなる時。
 私の場合も、バイオリズムがあって、大体夜中、一人の時になることが一番多いです。夜中で、しかも一人(家族は一緒に住んでいますが、既に就寝した後なので誰も居ないのと同じ状態)、そんな気持ちに襲われた時は、ひっそり泣いて泣いて泣き疲れるまで泣いて、そのうち疲れて寝ます(←子どもみたいですね……)。
 どうしてこんな寂しくなるのかなって考えたことがあります。
 多分、何もかもさらけ出して甘えたり、全てを受け止めてくれるような他人が居ないからかなって思ってます。誰も私のことを理解できないだろうなっていう諦めが、あるからかもしれません。基本的に一人で居る方が好きなのに、そんな風に寂しくてどうしようもない時もある。矛盾…ですね。

 誰かに甘えすぎることって、あんまりしないようにしなきゃ、と思う一方で、家族に甘えられるのって、大切なことなんだ、とも思います。
 甘えって、文字通りの甘いものではなくて、甘えの種類によっては、甘えられる方にとても(精神的に)負担がかかることもあるんじゃないかな、とも最近思っています。

 >母親の私が頻繁に家を空けたりしないで家を守り子供たちを安心させること
  と仰っておられますが、どんな状態の時にでも、帰れる場所、甘えられる人が居るって、すごく良いことだと思います。私は今学生で、母親ってどんなものか想像するしか出来ない状態ですが、もし将来子どもができるようなことがあれば、安心してくつろげる空間を、きちんと提供したいな、と漠然とですが考えています。
 寂しい時ってとても辛くて、孤独ですけど、寂しさを知っていることって、大切なんじゃないかなって思っています。
 何だかよく解らない文章になってしまいましたが、以上がakkochantさんの投稿を読んで私が思ったことです。

この回答への補足

north06さん、書き込みをありがとう。今から仕事の準備に入るので、明日仕事が終わってからすぐにお礼を書かせていただきますね。もう少しお待ちください。

補足日時:2002/06/28 20:49
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この回答へのお礼

north06さん、回答をありがとう。お礼が遅くなってしまってごめんなさい。
夜中に寂しくなって泣く・・というのは私も小さな頃よくありました。
私の場合はまるで『夜中の懺悔』状態。自分の行いを反省したりするんですが、なぜか母に対して「ごめんね、あんなにわがまま言って」みたいな気持ちが一番多かった。だったら普段から従順な子になればいいものを、小さい頃はわがままいっぱいの子どもでした。
だから泣きつかれて眠る・・・というのがわかります。
でも離婚してからは、ただ疲れて眠る・・・というのに変わってきてしまいました。生活に疲れているんでしょうか。
それでも夢の中で泣いていて目覚める・・・ということはときどきあります。
そういうときの涙って、意外と自分が気づかなかった「本心」だったりするんですよね。普段は隠しているけど。だから泣くって気持ちを開放することなのかも知れないですね。
寂しいけど夜中に泣くっていうのは大事なことかも知れないですよ。

家族に甘える・・というのは「依存」という意味とは少し違うかな。
「心を開く」「ありのままの自分を出せる」ということかな、私の場合は。
これができないととても辛い。

north06さんが、母親になったら子供にこうしてあげたい・・と思うこと、とてもよいと思います。自分が母親になって、自分の母親のことがだんだんわかってきて思うことは、やっぱり親はどんな親でも「子供の最後の味方」になってあげないといけないな、ってことです。はじめからきちんと生きられるわけもなく、多分馬鹿なこともしでかすことあると思うけど、自分がわかるから子供にもわかるだろう、ということがあると思う。でも自分の子には自分がした失敗をさせたくないって親は思うでしょう?
でもそんなときも子供を信頼して、子供の力を信じてあげる。失敗から学ぶことを見守って、最後には味方になってやれるように。
言葉でいうのは簡単ですけど。。

お互いに自分の寂しさと上手に付き合っていけるようになれるといいですね。
ゆっくりとがんばりましょう。
お話を聞かせてくれて、どうもありがとう。

お礼日時:2002/06/29 22:18

こんにちは。


私もたまに、ものすごく寂しくなることがあります、その時期は寝てても昔のいやなことを思い出すし、起きてると「自分はひとりだ」って思うし、いったいどうすればいいのかすらわからなくなります。

実家に住んでいるときから「自分は一人」だと思っていました、なんでかわからないけど、食事以外は部屋にこもるとか、夜になると寂しくてこわくて、ひとりで鳴いてたりとか。

小学校に入る前、痴漢にあって、親に話したら尾たがあわてて真っ青になって、子供心に「これは親にいっちゃいけない」って思い込んでて、中学生になってからも5回ほどちかんにあったけどずっとだまってて、今でも体調が悪いときは夢にその男がでてきます。
でも親は知らないし、誰にもいえないから・・・

以来なんか、寂しいときは「寂しい」以外に「こわい」ってかんじがするんです、寝たらあいつがでてくる。

何も知らない人はきっと「心のもち方」とかいうんだろうけど(というか言われた)こればっかりはどうしたらいいかわかりません。
その時期はただ泣いてふとんにもぐりこんでるだけです。
それでもわずかな物音におびえたり、するんですけど。

いまはひとりぐらしなので、誰もそばにいてくれないから本当にひとりな気がします。
彼が心配してきてくれるけど、帰ったあとはさらに寂しいし・・・

まとまりない文章ですみません。

今も自分はひとりなのかなーとか、寂しいなーとか、心細いです。
病気になっても誰もそばにいてくれないから・・・これって甘えですかね。

この回答への補足

mugimugiさん、書き込みをありがとう。今から仕事の準備に入るので、明日仕事が終わってからすぐにお礼を書かせていただきますね。もう少しお待ちください。

補足日時:2002/06/28 20:47
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この回答へのお礼

mugimugiさん、アドバイスをありがとう。お礼が遅くなってごめんなさい。
小さい頃にこわい思いをされて、今でもそれを思い出してしまうのですね。
私もそれに似たことがあります。ほんとに今でも悪い夢を見ているようにふっと思い出す。
1人暮らしだと・・・私は経験がないけど、ときどき子供のいない夜というのはあります。普段は子供にがみがみ・・小言ばっかりでも、いないと誰も話す人がいない。やっぱり1人暮らしは寂しいかなって想像はしてます。

でもmugimugiさんには、心配してきてくれる彼氏さんがいてくれるんだ。
それは心強いことだと思うけどどうかな?
私もそういう人がいたらいいなぁと思いつつ、子供がいることで今は気が紛れるので「まぁいいか」となってしまってます(笑)。このままではいけないような、、だんだんと男がいなくても大丈夫な女になってしまう。。。

病気になって誰もいなくて寂しいと言う気持ちは甘えとは違うと思いますよ。そういうときは心細いと思う。
お互いに寂しい気持ちを抱えながら、だんだんと1人でいるということ、寂しい気持ちがわき起こることに対して、いい意味の免疫ができてくるといいですね。
うまく言えないけど、人間は多かれ少なかれ心に傷を持っていても、1人のときに寂しくても、そういう気持ちを抱えながらなんとか生きていけるって。

がんばろうね。
話を聞かせてくれてありがとう。

お礼日時:2002/06/29 21:34

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