

河東碧梧桐の「赤い椿」について。
俳人・河東碧梧桐の代表的な句に、
「赤い椿 白い椿と落ちにけり」という作品があります。
これは、いくつか解釈があるんですが、一般的には「赤い椿は赤い椿、白い椿は白い椿と、それぞれが混じらす散っていく(あるいはすでに散り敷いている)様子を読んだ歌」だと言われています。椿は花びらでなく花ごとポトリと落ちますからね。赤と白が混じらないで落ちている光景は、確かに印象的だろうと思います。
私がこの句を読んだときは中学生だったと思うのですが、予備知識や先入観のないままこの句を読んだ私は、「赤い椿と白い椿は、きっと境遇の違う男女(例えば身分とか家柄、貧富の差など)のことだろう。二人が恋に落ちて、祝福されて結婚など望めないので、家から逃れて社会の底辺に身を落としていく句なのかな、その覚悟や哀れさ、凄絶さを詠んだ句なのかな」と勝手に思い込んでいました。中学生ながら「なかなか凄い恋の句だな」なんて生意気にもそう思ったものです。
いわゆる教科書的な「正解」の解釈を知ったのはだいぶ後のことです。
今はもう還暦間近の私ですが、別の質問でこの句が取り上げられていて、ふと昔のことを思い出しました。
私の解釈は、もちろん教科書的には間違っているのでしょう。テストで○をつけてはもらえないと思います。学問的には句の生まれた背景や作者に関する知識も確かに知っておく必要があるでしょう。
しかし私はこうも思うのです。
いったん作者の手を離れ、見ず知らずの他人に鑑賞されるとき、読み手は必ずしもその正しい意図を知らなくてはいけないというものなのか。
作品だけが独り歩きする場合もあり、どう読み取るかは個人の自由に任されるべきではないのか、と。
これが例えば
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」「古池や 蛙飛び込む水の音」であれば、そう突飛な解釈は出てこないはずです。
しかし、赤い椿と白い椿なら、それがなにかの抽象的象徴だと解釈することも、あるいはアリではないかと思うのです。
私は俳句にあまり詳しくありません。
お詳しい方に、句の解釈の自由度について、解説をお願いいたします。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
2点ほど申し上げます。
第一に、自然を詠んだ句は、自然の性質にそって味わうのがよいでしょう。普通は赤の椿の木は赤い花だけ、白は白だけで、落下すれば地面も色分けされた形になります。この句の一般的な解釈はそれです。
他方、一本の木に赤い花、白い花が一緒に咲くのは珍しいことです。ご質問の解釈が成り立つのは、同じ木に赤白隣り合って咲いて、落ちた後も地面で寄り添ってるような場合でしょう。それは草木の性質から言って、まれと思われます。
また、花は咲いてる時が生きてる時で、その間に受粉して、散ったり落ちたりする時が死となります。受粉を済ませた雌しべと子房が木に残り、それが種子になって次代の生命になります。地面に落ちた花はもう死体です。
ご質問の解釈の場合、地面は社会の底辺で、駆け落ちした二人が落魄の身を寄せて生きていることになりますが、それは草木や自然の性質に合っていないと思います。
第二に、俳句や短歌は短すぎる文学形式であって、よほど慣れた人ならともかく、私のような教養のない者には、註釈(作者自註も含む)無しでは理解できません。
たとえば小林一茶の「めでたさも中くらいなりおらが春」ですが、この「中くらい」は一茶の地元の信濃の方言で「あやふやな」、「いいかげんな」という意味があるそうです。
私はたまたま知ったのですが、この一句だけでは、それは分かりようがありません。桑原武夫が『第二芸術論』で批判したように、俳句や短歌は作品として自立してないんですよ。良くも悪くもそういうものです。
ご質問者の中学時代の解釈は貴重な思い出ですが、やはり私たちは機会があれば詩句にまつわる知識に触れたりして、感性を磨いていくのもいいことでしょう。
私は最初、「散る」から、心中をイメージしていました。
おっしゃることは、教科書的な意味ではよく理解できるし、もっともだと思います。
俳句、短歌の類は自立してなくてもいい。それももっともだと思います。
しかし、読者が自分なりの解釈/鑑賞をするのも読者の自由ではないでしょうか。
自然を詠んだ句は自然の性質にそって味わう。たしかにそれは原則かもしれません。
しかし、例えば、こんな話はどうでしょう?
「この句はね、碧梧桐の友人が大学時代、良家の若奥様と不倫関係になり、二人で入水自殺、つまり心中したときにそれを悼んで詠んだ句だよ」といえば、多分知らない人は信じると思うのです。多分、私の解釈のほうが一般受けするし、記憶にも印象深く残ると思います。
私には、この句からのファーストインプレッションが、その光景だったのです。
ただ、それだと「白い椿」が先のほうがいいとは思いますが。
確か碧梧桐も最初は白い椿を先にしていたのではなかったでしょうか?
ちなみに、私は職業ライターで詩人でもあります。和歌や俳句はやりませんが、昔は父の影響で自由律新短歌も少しかじりました。
正直言って、この句の「正解」を知ったときは、「なあんだ、案外凡庸なつまらん句だな。俺の解釈のほうが鮮烈で絵が見えるな」と思ったものでした。
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